第20話:人々の決断

 ああよく寝た、と。微睡みの中に思う。疲れて眠った後は、身体が重く感じる。それほどの何かをしただろうか。

 今日も畑の世話をして、別に育てている夏野菜の収穫もして。そうだ、グラント家の牛に水浴びをさせてやらなければ。

 ここ最近、雨がない。そろそろ降ってほしいが、細い髪が濡れて重くなるのは好きでない。

 なかなか開いてくれないまぶたを説得しつつ、ぼんやりと予定を思い浮かべた。

 ――早く起きなきゃ、母さんにお小言を言われるわ。

 大きく息を吸って、吐くと同時に目を開いた。部屋の中は真っ暗だ。いつもより早く目覚めたのだろうか。

 窓から外を眺めようとして、気付く。

 外は暗い。いつもの朝でなく、戦慄の夜だ。寝ているのも、ロイと二つ並べたベッドでなかった。床に毛布を敷いただけで、彼との新居でさえない。

 思い出した。あの山吹色は、失われたのだ。赤と黒に、焼き尽くされたのだ。

 しかも遠い地の夫は、敵軍の捕虜となって命が危うい。そんなときに自分は、呑気に眠っていた。

 恥ずかしくて。悲しくて。喉に大きなものが詰まる。


「ロイ。お願いだから、無事で居て――」


 力の入らない足腰を叱りつけ、どうにかまともに歩く。

 まさかまだ、広場で話したりはしていまい。誰か居ないか探すと、礼拝室に神父さまと母が居た。それにステラの母親も。

 三人は黙って祈りを捧げていたが、すぐにメアリに気付いた。


「起きて平気かい?」

「あなた、倒れてしまったのよ。覚えてる?」


 捕虜の件をデニスに聞いたのは覚えている。しかし直後から、何も分からない。倒れたと聞いて、やはりそうかと合点がいく。


「平気よ。みんなはどうしてるの?」


 特段の意図もなく聞いた。思い付いた言葉がこれだっただけだ。自分はどれくらい寝ていたのか、もう食事はしたのか。などでも良かったろう。

 けれども何か意味ありげに、二人の母親は顔を見合わせた。

 よまやまた、誰かが死んだのか。最初はそう勘繰ったが、どうやら違う。言いにくそうではあるが、そこまで悲壮な表情でない。


「何かあったの?」

「いやメアリ。憂いが増したのではないよ。その心配は必要ない」


 答えてくれたのは神父さまだ。たしかロイと同い年の、いかにも優しげな四角い顔。


「ただし、吉事でもない。つまり町の皆さんは、この土地を捨てる準備をしているんだよ」

「土地を捨てる? 出ていくの?」

「そうだよ。男手もほとんどなくなってしまったし、当面は残っているだけでも危険だ。まずは近隣に身を寄せて、最悪は首都へ行くことになる」


 眠っている間に、そう決まったらしい。

 思わず聞き返したけれども、あまりにも妥当な話だ。首都へ行くのを最悪と神父さまは言ったが、それは心情的なものに過ぎない。

 首都メインは働き手を欲して、どんどん膨張している。この町の住人くらいは、軽く呑み込んでくれるだろう。

 ずっと田舎に居た者が、慣れるかの問題だけだ。


「神父さまは、どうされるの?」

「私かい? 私もどこかの町まで同行させてもらうよ。その後は教会にお伺いを立てないと、分からないけれどね」

「そうなのね。おばさんも?」


 模範解答に相槌を打って、ステラの母にも答えを求めた。神父さまが行くと言うなら、アナも行くに決まっている。

 すると残るはステラだ。

 知人、友人、仲間。彼女らは、そんなカテゴリに収まらない。

 すれ違った時間があろうと、幼いころからずっと知っている。時間の積み重ねに濃いや薄いはあっても、何もない空白だったことはないのだ。

 ステラとアナがどうするのか。メアリが今後を思うのに、関係のないはずがない。


「そうなるわね」


 眉を寄せて。言葉の裏に、ごめんねと聞こえた気がした。

 気を遣ってくれている。この町の誰もが、親しい誰かを失ったのだ。メアリだけが特別ではない。

 違うとすれば、他の人々はここから逃亡すれば悪夢が終わる。傷は残るにしても。

 メアリだけは、そうでない。未だ悪夢の只中にあって、どうすれば終わるのか果てが見えなかった。


「二人と話してくるわ」

「ええ、気を付けて」


 送り出してくれたのは、ステラの母だ。それに神父さまは頷いてくれた。

 メアリの母は悲しげな目で、何も言わない。いつもの母ならば、町を出るのにあれこれと準備を口に出している。

 そうでなかったとして、少なくともメアリの意思を聞いている。

 母自身、迷っているのかもしれない。

 父との。母からすれば夫との思い出は、灰と消えた。せめて一緒に見た光景くらい、眺めて住まえればいいと思うだろうか。

 しかしここに居れば、次は間違いなく捕らえられる。いやむしろ、みんなと同行するのが良くないのだろうか。

 直近にあるノソンと似たような町でも、南東に五十マイルほど。もしも逃避行を追ってきたら、今度こそ皆殺しだ。

 ――私はどうすればいいんだろう。

 その辺りを踏まえ、ロイのことを思い、今後を決めかねていた。

 選択肢など初めからない。強いてあるとすれば、生きるか死ぬかだ。生きるほうを選ぶなら、町の人々と行動を共にするしかなかった。

 悩むのは、それで良いのかと。解決策の存在しない、罪悪感だと理解している。

 夫の危機。幼なじみや、同じ町に暮らした住人たちを危険に晒すこと。

 それらはメアリに、手の施しようがないのだ。出来るだけ早くメイン軍に伝え、救助と保護を求めるしかない。

 ――分かってるわ、そんなこと。だからステラとアナに、そう言ってほしいのよ。

 二人が「一緒に行こう」と。そう言ってくれれば、解決する。そう願っていた。


「あの、ステラとアナは?」

「うん? あれ、さっきまで居たんだがな。用足しにでも行ったんだろうさ。なに、町を出るまでには帰ってくるさ」


 酒場だけが、夜の通りに光を落としていた。食事をしたり、集まって話したり。そもそもそういう場所だから、多くの人がそこに居た。

 けれども探す二人は見えなかった。近くのテーブルに向かって聞くと、ひどく酔った風に老人が教えてくれる。

 きっと街との、別れの酒だ。

 ――ここに居たのなら、待っていればいいかしら。

 まさか二人だけで、どこへも行くまい。むしろメアリが、一人でうろうろするのが危なかった。

 多くの遺体はまだ、埋葬していないのだ。街中をコヨーテがうろついていても、不思議ではない。

 空いた椅子に座り、ふと。隅のテーブルを見ると、デニスが居た。一緒に居るのはハロルドや、残った中では若い男たち。

 デニスの立場的に、自由にさせることも出来まい。それは分かる。

 きっと今まで、あれこれ聞かれてもいたに違いない。彼は与えられた水を、喉を鳴らして飲み干した。

 ――そうだ。デニスになら、他にも何か聞けるかもしれないわ。

 何か、の当てはない。万に一つ、起死回生のヒントもあり得ない。今のところ、最も近いロイの情報を持っているのは彼だ。

 きっとそれだけのことだった。

 だがデニスは、ひと息ついたところで席を立った。

 いや。一緒に居る男たちが、そう言ったのだ。彼らはデニスを真ん中にして、裏口から酒場を出ていった。

 どうにも剣呑な空気だ。メアリは目を細め、自身も椅子から腰を浮かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る