第19話:荒れ狂う動乱の行方

「結論から言います。彼ら。僕の所属する部隊の兵士たちは、またここへやって来るでしょう。目的はご存知の通り、ええと――」

「メアリでいいわ」

「ではメアリさん。あなたとそのご家族を、捕らえる為です」


 またこの町が襲われる。デニスははっきり、そう言った。

 昨日からこちらの光景が、脳裏へと勝手に浮かぶ。一瞬メアリは気が遠くなって、額に指先を当てた。


「捕らえてどうしようと言うの? 父はもう居ないの。人質にもならないわ」

「いえ。我々の上官は、可能だと考えています」


 他にあるまいが、やはり使い道は人質らしい。だが、たったいま言った通り、その価値があるとも思えない。

 命じた上官がブースと言うなら、それもまたおかしな話だ。


「あなたの上官は死んだでしょう? 私がこの手で。この手で、撃ったのよ」


 いかに至近であっても。銃から放たれた弾と、自身の手とは繋がっていない。だから刃物などと違って、手応えはないはずだ。

 しかし、あの一発。

 弾丸でさえない小石を撃ち出したあの一撃は、命を奪った感触があった。その何某は、その前の空撃ちとは明らかに違う。

 思い出したつもりはなくとも、手が震えてしまう。


「少佐ではなく、もっと上です」

「上?」

「ブース大隊は、カンザス大佐麾下の連隊に所属します。現所在はマナガン。僕の元同僚が向かったのも、そこです」


 生真面目が過ぎて、堅苦しい話し方。これがデニスの、軍人としての態度なのだろう。見てくれも声もまるで違うが、どことなくロイを思い出させる。

 ただ大隊だの連隊だのと言われても、どんなものか分からない。父の階級を知っているので、大佐がかなり上位なのは分かるが。


「マナガンですって?」


 またそれとは別に、驚くべき情報も一つ含まれていた。

 デニスの言った地名は、ノソンからおよそ西に百五十マイル。人口一万に迫る、北部では指折りの都市だ。

 やはり戦場までは遠く、ましてや占領されているなど新聞にも載っていない。


「マナガンにエナム軍が居るなんて、初めて聞いたわ」

「そうでしょうとも、先々週のことですから。戦況は刻々と変わっています。四年続いたこの戦争ですが、もうすぐ終わるでしょう。エナムの敗北という形で」


 次から次へ。本当に聞きたいのとは別に、聞き流せない情報がもたらされる。

 貧困地域の解放を旗印に、内戦を起こしたエナム。対してメインにあるユナイト政府は、平等な政治をすると謳っている。

 互いに似た言い分でも、相容れない。限りなく近い距離で平行線を辿る両者の争いは、永遠に終わらぬ気配さえ感じさせた。

 それが終わる、と。デニスは断言する。


「待って、待って。急にそんなことを言われても、何がなんだか分からないわ。それほどの時期に、なおさら私たちがどうだって言うの?」


 この戦争で、既に何十万人も死んだ。そんなものが「ここで終わり」とは、何があれば叶うのか想像もつかない。

 そこへ以て負ける寸前というエナムが、メアリや母を担ぎ出して何の益があるのか。

 姉も含めて三人の命と引き換えに、メイン軍が勝ちを譲るとでも思うのだろうか。


「ああ、いえ。全体の情勢に関わる話ではないんです。エナムの将兵が、追い込まれているのはお分かりいただけましたか?」

「なりふり構っていられない、ってこと?」


 分かったとは言えまい。メアリが咄嗟に想像するのは、いたずらを隠す嘘が、どうにもばれそうというくらいだ。

 いや、それよりも。昨日の自分たちがそうだったか。我ながら、表情が冷めたのを感じる。

 デニスは唾を飲み「そんなところです」と頷いた。


「各地の部隊は、もうどこも孤立無援です。カンザス連隊も然り」

「じゃあ私たちを探しているのは、カンザス大佐? ということね」

「そうです。大佐はあなたがたを、交渉材料に使おうと考えています。つまり、より有利な条件で負ける為に」


 ようやく分かってきた。孤立したその部隊は、負けることを前提にまだ戦っている。

 全滅する気はなく、降伏したあとの待遇をどうにか良くしたい。おそらくそんな打算の一つが、メアリたちなのだ。


「それにしたって、そんな交渉を誰も受けないわ」

「いえ、受けます」

「どうして?」


 メアリの理解が進むにつれ。彼の表情に翳りが深まっていく。

 それに控えめなこの青年が、いやにきっぱりと言うものだ。もちろんその理由は、カンザス大佐からの受け売りだろうが。

 次の言葉を発するのに、デニスは深呼吸を二回必要とした。


「カンザス連隊と戦う、敵部隊。メイン軍の主戦力が、ロイ=グラント少佐の大隊だからです――!」


 じっと真っ向を見ていた視線が、初めて逸らされた。けれども数回、瞬きを経て戻ってくる。

 だがメアリの目にその光景は映っていても、実際の意味で見てはいなかった。

 ――ロイが、戦場に? 嘘よ。彼は首都で、作戦を立てているはずだもの。少佐になったのも知らない。私が知らないことなんて、あるはずがないもの。


「そんなはずないわ。夫は参謀本部に居るのよ。戦争が終わりそうなのだって、きっと彼が作戦を考えたからだわ。それなのに戦場に居るなんて、嘘よ!」


 自分はともかく。母と姉のことを、メアリは口に出さないでいた。デニスに何か悪意があったとして、なるべく知識を与えまいと考えて。

 しかし驚愕が、理性を飛ばした。

 ロイの妻が誰かとは、まだデニスは言っていない。話し方からすれば、もう察しているのかもしれないが。

 それでも、こちらから認めるべきではなかった。その判断が、つかなくなっていた。


「嘘ではないです。グラント大隊長名義の信書を、僕も見ました。本人の姿もです」

「そんな……」


 気が遠く、目の前が真っ暗になりそうだった。何とか踏み堪え、頭を振って正気を保つ。

 ――そうよ。戦場に居るとしても、もう勝つのよ。それなら心配は要らないじゃない。


「分かったわ。でもあなたの言う通りだとして、ロイはそんな条件に惑わされない」

「いえ、グラント大隊長の意思は関係ありません。彼は捕縛され、捕虜の身ですから」


 捕虜。

 敵軍に拘束されている。

 言葉の意味は分かるのに、それがどういうことか、ぴんと来ない。心が拒否しているのだ。

 この町に非道を働く命令を下した男の名はカンザス。そこに夫が居るなどと、理解したくなかった。

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