第18話:非道の上の誠実
教会の一室を借り、横になっても。なかなか寝付けなかったのは、暑さのせいか。
そうではあるまい。いざ考えようとしても、頭がうまく働かなかった。疲れきった身体が、休息を欲している。
普段なら、抗するのも馬鹿馬鹿しいほどの眠気。それを現実に引き止めるのは、悲しみと恐怖だ。
ようやく明け方。それにも限界が来て眠りに落ちる。
だがすぐに。いやこれは感覚的なものだが、ほんの一瞬で起きたように思う。けれども太陽は、少し見上げる位置まで昇っていた。
「そもそもこの町を、残すことができるのか? 心情を置いてだ」
およそ正午になって、怪我などのない全員が広場に集まった。被害を共有し、これからどうするのか話す為に。
メアリは休んでいてもいいと、母は言った。だがこんな時に、母だけに任せるわけにはいかない。
それに母を、一人で居させるのが怖かった。母と、ステラと、ステラの母と。四人並んで、端に立つ。
そこで神父さまが、保存食を配ってくれた。実際に手渡すのは、アナだ。
おまけにパンもある。硬くなって悪いねと、パン店の妻は歯を食いしばって笑う。
「もうそのパンは焼けないんだ。最後の味だから、全部食っちまっておくれ」
その人だけでない。女たちのほとんどが感情に堪え、あるいは押し殺している。男たちがムスッとしているのも、きっと同じだ。
ステラとアナの父親も、それぞれ帰らぬ人となっていた。
「男たちが居なくても、畑を守るくらいはできるさ。いくらかすれば、子どもたちも育つしね」
「そうだとしても、またエナム軍が来るかもしれない」
多くの人が自分の言葉で、さまざま話す。
しかし要約すれば、町を捨てるのは忍びない。当面を凌いでも、同じことを二度耐えるのは無理だ。と、概ねその内容であった。
「結局、奴らは何が目的だったんだ?」
声の出尽くしたところで、ぽつり。誰にともなく独り語りのように、ハロルドが問う。
輪になった中心辺りに彼は居た。兵士たちの残したライフルを手に、まだ血気盛んな若者を気取っているらしい。
「何がって――」
田舎町の英雄と呼ばれた父。その家族を探していたのは、もう周知されている。
メアリたちがこの場に居なければ、ハロルドは「今さら何を」と馬鹿にされただろう。
「いや、そうじゃない。彼は、バートは」
意見を重ねる途中で、彼の視線がこちらに向けられた。メアリと母へ、すまないという風に目配せがある。
「俺たちの英雄が亡くなって、もう四年が経った。その家族を引っ張り出して、何の用があるっていうんだ?」
「そりゃあ」
誰かがすぐに答えようとして、言葉に詰まった。メイン軍ならば、英雄の式典でも開こうと言うのかもしれない。
しかしエナム軍からすれば、暗殺した敵将だ。しかもその家族など、それこそ今さらな存在でしかない。
言われてみればと、皆が首を捻る。メアリもだ。近くに居る者同士、ざわざわと相談が始まった。
「まあまあ、話を整理しましょう。目的について、誰も聞かなかったのですか?」
ただの喧騒と化して、収まりそうもなかった。それを神父さまが、よく通るバリトンで静める。
「どこへ連れて行くとかは、隊長しか知らないと言ってたね」
答えたのは、首から布で腕を吊ったドロレス。傷は問題ないが、化膿しないようにだそうだ。
「何をする任務なのかも分からないのに、戦う意味もないだろうって。あの少佐やら士官を狙ったのは、間違ってなかったのさ」
たしかに言っていた。メアリもそう思えるのは、それが夜の話し合いではなかったから。
ブースを倒したあと、町の人間とエナム軍の兵士たちと両方が集まってきた。その場での発言だ。
「だとすると、さっぱり何も分からないってことだ」
ハロルドの、全くまとまらないまとめ。聞いたステラは「恥ずかしいわ」と落ち込む。
そのせいではなかろうが、誰も黙った。エナム軍が再び訪れるのか、最も重要な判断がつかない。
と、そのとき。対話の輪から離れた場所で、声がした。
「あの、すみません」
頼りない声は、きっと何度も繰り返された。何か聞こえるとメアリが気付いてからでさえ、三度ほども。
「ん、誰だい?」
住人の誰かが言って、発言者が探された。それはすぐ、直近の建物の軒下に見つかる。
両手に革帽をくしゃくしゃに持ち。それが載っていたはずの赤金色が、くるくると渦を巻く。
メアリにそのまま軍服を着せたような背格好の青年。お人好しのデニスがそこに居た。
「あんた、出ていったはずだろう?」
言ったドロレスが、周囲をあちこち見回す。彼の仲間である兵士たちも居ると考えたのだ。
しかしデニスは首を横に振った。
「あの人たちは居ません。僕だけ勝手に戻ってきました」
彼が言っても、特に男たちはすぐに信用しなかった。何人かが通りを端まで往復して、ようやく一人らしいと認められる。
「あんた、軍人さんだろう? 勝手なことをしたら良くないと聞いたけどね」
「ええ、そうです。でも、お伝えしないといけないことが。それに、やるべきこともあると思って」
問うたドロレスに、彼は遠慮がちに。けれども淀みなく、はっきりと答える。
ただ最後にその視線が、メアリと合った。偶然でない証拠に、何か言いかけ。初めて言い淀んだ。
ドロレスも気付いて、「行きなよ」と背中を押す。彼はつまずきかけながら、メアリの前に直立の姿勢をとった。
「あの。ええと、その。あなたが、エイブス将軍のお嬢さまですか」
どうして。と思ったが、先ほどそういう会話があった。聞いていたに違いない。ならば隠す意味はなく、おもむろに頷いた。
「ええ、そうよ。あなたたちが探していたのは私」
非道の中にあって、お節介をする。いよいよという時に、上官よりも自分の良心に従う。
軍人として、きっと不良極まりない。その男が何を言うのか、聞いてみようと思った。デニスの行動は、せめてそれくらいの価値はあった筈だ。
――でも、聞くだけよ。
「エナム軍の駐屯地に、仲間は向かいました。僕も途中まで、向かっていました。でも、引き返してきました」
「どうして?」
「我が隊が何の為にここへ来たのか、僕は知っているからです」
内緒話をしているのでない。デニスの言葉はメアリに向けられているが、集まった全員に聞こえている。
メアリも含め、住人たちに緊張が走った。
「僕は、というか。隊員の全員が知っています。命令を漏らせば軍法会議にかけられますから、嘘を吐いたんです」
またざわざわと、住人たちは声を出した。今度は相談でなく、デニスへの非難だ。あれほどのことをして、最後にまた騙したのかと。
昨夜は疲労の極致で、疑う気力もなかったのはたしかだ。だが今は、幾分か回復している。その時よりは、気持ちの整理もついている。
話し声は、次第に怒号へと変わっていく。
デニスも覚悟はしていたのだろう。ひと言あるたびに、直立のまま頷いた。
しかしいつまでも、それは止まない。彼を責めたところで、何を取り返せることもないのに。
「皆さん、待ってください。まずは彼の話を聞きましょう。せっかく教えると言うのだから」
静止の声は叫んだせいか、ソプラノに近かった。妻であるアナと示し合わせて、神父さまも静まるようにと両手を上げる。
それでも止まらない。むしろそれで怒りが増したのか、「死ね」とまで声がする。
「エイブスさん、あんたたちは許せるのか!」
また別の誰かが、集団のどこかで叫ぶ。母はその声にびくりとして、震える息を吐き出すだけだ。
「私が! 私が聞きます!」
ブースを殺すと決めたとき。あれに比べれば、どんな行為もたやすい。そう思い込んで、メアリは宣言した。
鎮まった中を、問う。
「デニス。あなたは私たちに、パンやビスケットをくれた。親切な人だと思う。でもそれとこれとは話が違うの。内容次第で、私はあなたを殺したいと思うかもしれない」
町のみんなが、とは言わなかった。
もう二度と、誰かを殺すなどごめんだ。メアリは間違いなく、そう思っている。けれどもその感情論を、誰かのせいにして話すのは不実だ。
非道に対し、誠実を以て。デニスのもたらす真実を、メアリは問い質す。
「やっぱりやめるとは言わせない。全て、話しなさい」
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