3rd relate:ここは嵐の中
第17話:晩夏の熱は冷めやらぬ
町を襲ったエナム軍の指揮官、ブース。そのこめかみにメアリは銃を押し付け、撃った。
弾丸は持っていなかった。
だがポケットから捨てた、弾丸の包み。あれを取り出す際に、ポケットの中へ火薬をこぼしておいた。
メアリたちの持つライフルは、マスケットと同じ仕組み。銃身の先から火薬と弾を押し込み、撃鉄で点火する。つまり火薬さえあれば、どんな物も撃ち出すことは可能なのだ。
ポケットの布を引き千切り、拾った小石と共に詰めた。実のところ、怪我で済まないかと期待した面もある。
しかしブースは、激怒のまま二度と動かなかった。
「私、こんなの――こんなことをしたくなかったのに!」
誰に向けたわけでない。強いて言うなら、やはりブースにであったろう。お前たちが来なければ、自分たちが人を殺す必要など生じなかったのだと。
だから誰も、答えてくれる言葉はない。母からでさえ、助かったなどと聞きたくなかった。
誰かが。悪意を向けなければ、起こらなかった悲劇は無限にあるのだ。その帳尻を合わせられた。ある意味で加担したとも言えるメアリが、感謝される謂れなどない。
黒い渦巻く胸の内を紐解けば、おおよそそのような心持ちであった。
「メアリ、お疲れさま」
名を呼び、ひと言。労いの声は、豊かなアルトの音色。
メアリはまだ銃を構え、ブースを威嚇するような格好だった。すぐにも投げ捨てたかったのに、手が離れなかった。
いつ、どの時点で終わりなのか。この残酷な行為をやめて良いのか。分からなかったから。
それがようやく、一本ずつの指を動かせた。人生で初めてのように、ぎこちなく。
木製のカバーが砂を噛んで傷が付く、と銃は非難の声を上げる。しかし同じく、メアリの膝も砂粒に傷付いた。
その場に突っ伏し、声を上げて泣きたかった。けれどもそれは許されない。何も言わず、ステラの胸が抱きとめたから。
「ごめんね。ごめんなさい」
謝罪の言葉は誰に当てたものか。幼なじみにも分かるまい。遠い首都とその空に向け、メアリはしとしとと頬を濡らした。
◇◆◇
残った兵士たちの代表と、生き残った住人たちとで対話があった。そこにメアリは参加せず、結果だけを聞いた。
「命令を受けて赴いたが、頑強な抵抗により失敗した。我々はメイン軍に投降する」
それがあちらの結論だったそうだ。
要するに最高位である少佐とその下の士官たち全員を失い、恥ずかしくて味方の下へ戻れない。ということだ。
エナム軍の銃騎馬隊と言えば、家柄のいいエリート部隊であったらしい。そんなものが田舎町の住民に遅れをとれば、そうもなろう。
すぐに通報できる距離に駐屯地もなく、彼らは自分の足で出ていった。気が変わられても困るので、馬と武器は置いて行かせた。
それでほっとひと息、とはならない。
住人たちは互いに、誰が生きているのか。自分の家や家畜は無事か。そんなことを確認する必要があった。
怪我をしたマリアを神父さまに頼み、メアリも母と家に戻る。
夜が明けてからとも言われたが、じっとしてはいられない。ハロルドが幌馬車を動かして、ステラやアナも同乗した。幼なじみたちも、自分の家が気がかりに決まっている。
メアリなど、燃やされたのは囚われの身が見せた幻だった。などと淡い期待を持っていた。
しかし事実は、巻き戻らない。
新居は柱の根本だけを残し、母屋も太い梁がいくらか形を残すくらい。あとはただ、黒い瓦礫の山と化していた。
夜の闇と同化すればいいものを。ランタンで照らすと、形を失くしたことがありありと分かる。
父の本棚も、母の作業机も、壁に刻んだ数字も。全て、この世から消えてしまった。
逆に。出稼ぎの若者たちの遺体は、そのままだ。
消えられては困る。あの兵士たちが犯した、悪事の証拠もなくなってしまう。
――違うわ。弔いもせずに消えてなくなるなんて、あまりに悲しいのよ。
若者たちが片付けようとした薪は、綺麗に燃え尽きている。どころかグリルにあったはずの肉も、姿を認められない。
僅か残ったのは、トウモロコシの芯だけ。表面のほとんどが黒く塗り潰したようなのに、芯の切り口に白が覗く。
なぜだか許せなくて、投げ捨てた。しばらくトウモロコシは、食べられそうにない。
十人もの遺体を葬る気力も体力も、今のメアリにはなかった。仕方なく保留として、グラント家に向かう。母と支え合いながら、百ヤードほどをふらふらと。
――家に篭って、震えていてくれればいいけど。
グラント夫妻は夫の両親である以前に、メアリにも親同然だ。
不在がちだった実の父も好きだが、すぐに頼れるのはグラントおじさんだった。
一度だけ、母にこっぴどく叱られたとき。慰めてくれたのは、グラントおばさんだ。母の言う通りだと、謝り方を教えてくれたのも。
「もう刃物をおもちゃにしていないわ。心からごめんなさいって言うのも、忘れていない。だから、無事でいて」
間違いなく聞こえたはずだが、母の反応はない。ずっと神さまに呼びかけて、ときどき父の名を呼ぶ。
母は今日一日で、十歳ほども老いたように見えた。
「おじさん、おばさん……」
果たして。夫妻は自宅の前に居た。
おじさんは銃を持ち、同じく銃を持った兵士と対峙して。おばさんはその後ろで、家に入ろうとする姿で。
それぞれ倒れていた。
呼びかけても、揺すっても。へたり込んだ母が泣き崩れても。閉じた眼が開くことはない。
その夜は、厭味なほど暑苦しかった。
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