Break time

第15話:ただ一途に幼き想い

 十八歳のロイが、軍学校に入校したのは夏。正確にカレンダーを持ち出すなら、新大陸暦三百五十九年の七月一日だ。が、それはさして重要でない。

 それから彼が故郷の田舎町、ノソンに戻ったのは半年後だった。退学でも卒業でもなく、帰郷の為の休暇を初めてもらったのだ。


「あらロイ、もう半年経ってしまったの? こんなに早く過ぎるなら、卒業までなんてあっという間ね」

「まいったなあ。訓練が思った以上、というか十倍ほども厳しくてさ。半年が五年くらいに感じたよ」

「そうなの? でもきちんと卒業するのを期待していてあげるわ。ハロルドたちの言う通りになんて、ならないでね」


 違う、こうではない。言いたかったのはこんな、焚きつけるような言葉ではなかった。

 それでもこれまで培った、互いの関係がある。なかなか改められず、滞在する二日間に話したのは似たような会話だけだった。

 ――いいわ、また半年後に話すもの。手紙だって書いているもの。

 それまでメアリは、両親の書いたメモ書きくらいでしか文字に触れてこなかった。だがそれでは、ロイからの手紙を自分で読めない。返事を書くこともできない。

 だから父の書棚から辞書を盗み出し、姉の助力を得て学んだ。

 マリアも似たようなものだったはずが、どんどん上達していく。始めて二ヶ月後には、軍学校の教本なども読破していた。

 頭の出来が違う。メアリは落胆したが、諦めることはなかった。

 何せ二週に一度は、成果を試すテキストが送られてくるのだ。字間の均一な、几帳面な筆致。毎回、十枚を超える大作が。

 最初は母に頼んでいた解読を、ロイが戻るころには一人でどうにか読めるようになっていた。返信はまだ姉頼みだったが。


「え、一年も待つの……?」


 誤算、と言えば語弊がある。

 軍学校の長期休暇は、冬季にしかないと母に聞かされた。だがそれは、入校前にロイも言ったのだ。感情の忙しかったメアリが、聞き逃していた。

 家の裏の壁に、釘で数字を刻んでみる。文字と共に、数字も覚えたばかり。計算など、ほとんど出来ない。


「一年過ぎて、二年で卒業。士官学校へ進んでまた一年、二年……嘘でしょ。終わるまでに、三回しか会えないじゃない」


 ロイは士官候補生として入校した。だから普通課程を終えても、士官課程が続く。その期間は、合計で四年だ。

 それらが終われば、休暇も増すと聞いている。しかしそこまで、顔を直接に見る機会は四度しかない。

 その貴重な一度を浪費したことに、メアリはようやく気付いた。


「本当にそう書くの? 待ってるって?」

「そうよ、姉さん。早く会いたいとも書いて。だって一年に一度の機会なのよ、大切にしたいもの」


 代筆をする内容に、マリアはケチをつけたことがなかった。たとえばステラを小突いたハロルドに、平手打ちを喰らわせたことなども。

 だがこのときはなぜか、書いて良いのか何度も確かめられた。メアリにしてみれば、正直な気持ちを伝えたい。その一心であったのに。

 ひと月後の返信を、心待ちにした。ノソンにはメアリが待っている。そう思えば、元気を出してくれただろう。

 ――まさか「僕も会いたい」なんて、書いてくれたりするかしら。

 弾む胸を抑え、開封した手紙はいつもより薄かった。


「たった三枚?」


 グラント夫妻にも、数ヶ月に一度しか手紙はないという。けれどもメアリへは、欠かしたことがない。

 それだけでも十分で、枚数など問題ではないのだ。ロイも疲れていたり、事情はあるはずだから。

 しかし。よりによって、なぜ今回なのか。読んでみると、やけに文字をかき消した跡が多い。

 メアリを待たせていることにも言及がなく、後日プレゼントを送るとあった。

 二週間後。別便で届いたのは、首都で売っているという既製品のベッドカバーだ。

 白地に赤い模様が、ふんだんに。聖夜の飾り付けのようだと思うと、同封の手紙にもそう書いてあった。メアリによく似合う色合いだとも。

 この一連の行動に、どんな意味があったのか。気付いたのは、何年も経ってからだ。

 この次にロイが戻ったときも、会える喜びで不満など忘れてしまっていた。

 ロイが軍学校に居る間、メアリの想いは強まっていった。胸の内に募る気持ちも、「好き」から「愛している」に変わっていった。

 彼に直接、告げたことはないが。


「強いのはいいことよ。でも乱暴なのとは違うの」


 およそ四年が過ぎ。卒業時期を目の前に、マリアは言った。メアリは十三歳になっている。

 相変わらずステラとアナを連れ回し、子どもたちの親分格であったのを窘められた。


「士官になれば、政治をする偉い人とも会うの。そのとき夫人が、野生のキツネやコヨーテみたいに食事をしていたら。恥ずかしいでしょう?」


 その通りだ。メアリは痛烈に、自分の常を思い返す。

 大統領とかそういう人々は、毎度の食事にナイフとフォークを使うと聞いた。それも音を立てず、スープの一滴たりともこぼすことなく。

 ましてや焼きたてのトウモロコシに、口を直接つけるなどあろうはずもない。


「沼で釣ったマスを、自分で焼いて食べるのは?」

「家族とか、決まった男性と一緒にならいいわ」

「服を破かなければ、丘下りはしてもいいわよね」

「ダメ」


 なんと軍人とは、大聖堂の司教さまよりも敬虔であるらしい。というほどに感じても、実行するのは苦でなかった。

 ――ロイの為になるなら、なんだってやるわ。もしも喜んでくれたら、それだけで報われるもの。

 それからというもの、メアリはおとなしく清楚であろうと決めた。

 ウサギの巣穴を探しに行こうと誘われれば、ウサギ肉のパイ作りに変えてもらう。

 ハロルドたちにからかわれれば、ロイの部下にはもっと荒くれも居るはずと。笑って見過ごした。

 だが元の気性とのギャップは激しく、どんな女性が相応しいのか明確なモデルもない。段々と迷走していく自覚もあった。しかしそれでも、メアリは己の性格を矯正していった。

 極め付きは士官学校を卒業したロイから、その後の予定を聞いたことによる。


「まいったなあ、北西部の戦線に行くことになったんだよ」


 士官学校を出ると、成績が優秀な者から配属先が決まっていく。ロイは芳しくなく、最下位に近かったそうだ。

 成績の悪かった者は伝統的に、厳しい待遇が用意された。そこを耐え抜けば、いくらかでも上位者に近付くだろうと。

 それが北西戦線だった。


「北西ってまさか、泥沼?」

「俗に、そう呼ばれてるね」


 ユナイトの勢力圏は広い。しかしこれから開拓していくような地域も多く、国境は日々変化していると言って良かった。

 中でも北西部は、常に隣国の介入が目まぐるしい。貧困地域に物資を与え、本国であるユナイトに楯突かせるのだ。

 紛争と呼んでは大げさな、小競り合いばかり。だが毎日のように、どこかで戦闘が行われる。そんな日々が、既に三年ほども続いている。

 最愛の男がそんな場所で、少なくとも一年を戦わなくてはならない。ロイに振る舞うパイを、メアリは床へ取り落とした。

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