第14話:矛盾する痛み

 まだ耳に、雷鳴が残る。

 しかしいつか幼いころ、家の裏の森へ落雷があった。稲光を見ることはなかったが、地面が揺れた。

 それと比べれば、きんと耳鳴りを残しただけだ。大したことはない。

 首都に父が居て、女だけの我が家。心配したグラントおじさんが、ロイを連れて様子を見に来てくれた。激しい雷雨の中を。

 ――私はいいのかって、おばさんが怒っていたわ。


「メアリ、しっかりして!」


 肩を揺すられ、はっと視界が戻る。暗い空と、雨に濡れる家は幻想だったらしい。いま目の前にあるのは、温かく乾いた地面だけだ。


「うまくいったの?」


 顔を上げると、倒れた兵士たちの姿が。寝たふりなどする理由が、あろうはずもない。

 だが倒したのだと、保証が欲しくて聞いた。ステラは困ったように微笑んで、手を伸ばす。


「ええ、あなたの作戦がね」


 メアリの腕の半分ほど。か細い腕を頼りに起き上がる。森からはアナたちが姿を見せ、こちらへ来ようとしていた。

 ただ、一人が三挺を持って行ったはずの銃は、各々の手に一挺だけ。油断なくこちらを睨みつけている。

 その理由はきっと、ステラの隣に立つ兵士の姿だ。


「デニス。あなたも無事だったのね」

「こちらの方が、袖を引いてくれました」


 ステラは自分が伏せるのと同時に、彼を引っ張ったようだ。

 しかし助かって良かったと喜んではいない。デニスにとって、倒れた兵士たちが仲間なのだ。惨状に眉をひそめている。

 親切にしてくれた彼が加わったのも、想定外だった。しかしあの瞬間、メアリの頭からは完全に抜け落ちていた。やはりステラは、優しいのだ。


「私はあなたのことにまで、気が回らなかった。でも怪我がなくて、良かったわ」


 心から、そう思う。

 他の女たちから修正もあったとは言え、おおまかに計画したのはメアリだ。その結果が、七人の正規軍人を倒したこの現状。

 にわかに信じられないし、良かったのかと罪悪感も覚える。こうしなければ酷い目に遭ったのはこちらだと、その思いさえ今は霞んでしまう。

 トイレの戸が開いて、母たちも無事な姿を見せた。ステラはアナに、デニスは問題ないと身振りで示している。

 ともあれ終わった。

 せめて生きている兵士が居れば、手当てくらいはしよう。矛盾した行為には違いないが、人として次に行うべきはそうだと思った。

 順番に一人ずつ。遺体の傍へしゃがみ、触れていく。

 声はかけなかった。何と言えば良いのか、思いつかなくて。「大丈夫ですか?」などと、どの口が言えたものか。

 近くから二人目まで、微かな呻き声も上げなかった。胸や背中に手を当ててもみたが、鼓動を感じない。


「みんな……」


 三人目はブース。うつ伏せに倒れ、手足も力なく投げ出されている。

 触れようとして、手が震えた。

 どの兵士も、憎むべき相手だ。中でもこの男は、町を襲えと命令した首魁に当たる。

 それが親しい人々を死なせ、マリアを傷付けたのだ。姉は助かるだろうかと、今も気が気でない。

 ――でも誰かを死なせて、当然なんて思いたくない。誰だって、自由に生きたいんだもの。

 彼らが先に自由を侵したから、こうなった。だからこれは当然の報い――ではない。

 危険な考えを、思いきり頭を振って追い出す。

 父もこんな想いを抱えながら、戦ったのか。それにロイも、同じ痛みを知ったのだろうか。


「父さん」


 父と夫を思い浮かべれば、優しくなれる。即興で思い付いたおまじないだが、効果はあった。

 ブースの背中。心臓の裏辺りを、そっと撫でる。

 これから失われていくはずの体温が、まだメアリよりも温い。指先にひとつ、ふてぶてしい脈動を感じた。

 生きて――


「私はお前の父親ではないよメアリ!」


 ぐるり。身体を回し、ブースはこちらを向く。と、その太い指がメアリの手首をつかむ。

 もう一方の手には、拳銃がある。銃口が喉下に突きつけられ、男は勝ち誇って笑う。

 酒臭い大量の吐息に、心を穢されたかのようだ。気持ちが悪い。

 ――反吐が出そうだわ。


「さあ立て。ゆっくりとだ」


 ブースの握力は、相当のものだ。あわや手首が潰されるかと思ってしまう。

 指示に従わぬわけにもいかない。様子を見ようと前のめりだった姿勢を戻し、ゆっくりと立ち上がる。


「捨て身の見事な作戦だった。だが詰めが甘い。お前や仲間が伏せられるなら、私にもその暇があるということだ。部下たちは間に合わなかったようだがな」


 そんなことは言われずとも分かる。無事な姿を見ればこそだが。

 一瞬前まで芽生えていた、やり過ぎたかという気持ちも枯れた。少なくとも、この男に対しては。

 メアリに合わせて、ブースも立つ。半歩離れたが、手は離されない。


「デニス伍長、その娘を確保しろ!」

「は、はいっ!」


 必要以上の大声は、この場に居ない部下へ聞こえるのを期待してか。

 デニスは比喩でなく飛び上がり、銃をステラに突きつける。

 彼女は一瞬、睨みつけた。だがそれで本来なのだ。悟ったようにため息を一つ吐き、おとなしく従った。


「伍長、一度のミスは気にしなくとも良い。しかし次はないぞ? 見ての通り、状況は楽観できるものでない」

「り、了解」


 デニスは銃を少し持ち上げ、この通りというのと、肯定の意とを同時に示した。

 それに頷いたブースは、アナたちにもけん制を投げかける。


「そこから近付くな! 仲間がどうなっても良いというのでなければな!」


 互いの間に遮る物はない。メアリとステラが人質になったのは、アナたちに見えている。

 それでもじりじりと、ゆっくり近寄ってきた歩みが、それで止まった。


「伍長、その娘を逃がすなよ。メアリ、君もだ。動けば私の部下が、お友だちを傷付けてしまう。それは私の本意ではないのだ」


 よくもこれほど見え透いた嘘を、恥ずかしげもなく言える。

 それで何をするのかと思えば、人質を増やそうというのだ。メアリから離れ、「動くなよ」と母たちに銃を向ける。

 忠告を無視して、ブースだけならどうにか出来るだろうか。

 いやダメだ。出来たとして、やはりデニスを無視できない。最悪はステラを殺され、母たちもメアリも殺される。デニスの腰にも、拳銃はあるのだ。


「こっちへ来い!」


 母の腕がつかまれた。これでメアリ自身が人質となったも同じ。

 ここまでどうにか形勢逆転を望んだが、叶わなかった。バートが父というのも、もう隠せまい。

 何が目的か知らないが、どうせ碌なことではなかろう。メアリの目には、世界が闇に包まれて見える。

 しかし、終わってはいなかった。

 救いの神は、人間の姿をしてそこに居たのだ。即ちデニスが銃を動かす。向け直されたのは、ブースの背中へだ。


「大隊長、これはおかしいです」

「デニス貴様っ」


 デニスに向き直り、ブースは猛る。たった今、忠告した相手に。おそらくは普段から、小間使いとして蔑んでいる相手に。こうも堂々と歯向かわれたのだから。


「僕は志願して、兵に加わりました。それはこの軍隊が、西の誇りを守る為にあると考えたからです。なのにこれは、絶対におかしいです!」


 何を言いたいのか考えながら、ぽつぽつと言葉が練り上げられる。

 そのうち感情というエッセンスも加わり、デニスは牙を剥いた。すぐにも泣き出しそうな顔に、怒りの火を灯して。


「やかましい! 我々は戦い、勝つ為に存在する! それが貴様の言う、誇りを守る行為だ! 分かったらその銃で、娘を撃て!」

「分かりません!」


 撃つのなら、この時しかなかった。けれどもデニスは、威嚇にしか銃を使わない。

 察したブースは、つかんでいた母を引き寄せ、前に出して盾とした。


「大隊長、それはダメです!」

「これが最後だ、娘を撃て。今なら除隊処分で許してやる」


 考えを改めよ、と。デニスの無謀な勧告は、やはり実を結ばなかった。

 分かりきっている。これに従うようなら、今日見せたような卑劣なあれこれを、この男はしなかった。

 分かっていたから、メアリはスカートのポケットに手を突っ込んでいた。


「早くしろ!」


 メアリは武器を持っていない。少なくとも銃弾を持っていない。ブースはそう決め込んで、己の部下だけを見ている。

 たしかにその通りだ。ここに鉛の弾はない。ただし、用意は整った。

 銃を構えつつ、メアリは走る。たった四歩で、心臓が早鐘のように打つ。

 両眼をいっぱいに開き、引き金を引いた。人殺しの道具を、憎き男のこめかみに押し付け、風穴を空けるまでを見逃さなかった。

 達成感など欠片もないこの苦しさを、それでも見なかったことにしてはならない。こんなことが、もう最後になると信じて。

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