第13話:生きる道は地下通路

「この娘には母親が居ました。間違いありません」


 軍曹の階級章を付けた兵士。きちんと伸ばしているでもない、汚らしい髭の男。

 多くの住人を捕まえただろうに、メアリと母を覚えていた。しかも聞かれてもいない、余計なことを口走る。


「貧民を十人も飼ってました。男ばかりだったんで、殺しちまいましたが」

「それは構わん。母親を連れてこい」


 母に何の用か。聞いたところで答えないのは、皮肉に満ちた嘲笑で分かる。

 だが同じようにステラの母も、先に連れて来られた。しかも驚くべきことに、その兵士はデニスだ。

 彼はメアリたちを見て、悔しげに唇を噛む。恩を仇で返したのだから、当然と言えるが。

 すぐにメアリの母も姿を見せ、ブースはあらためて案内を求めた。どうもこちらに妙な真似をさせない為の、保険のようだ。


「少佐。デニスはこの女どもに縛られていた、情けない男です。よろしいのですか」

「話は聞いたよ。だがお前はこの先、不意を衝かれることは永遠にないと言い切れるのか?」

「いや、それは――」

「私は部下のミスも許すよ、一度だけはな。それに他の者が死んでいるのでは、仕方があるまい?」


 ステラの家を襲った数人のうち、デニス以外は先ほどの戦闘で死んだらしい。

 彼の助力は期待できまいが、他の兵士よりはましと思えた。ただしブースと髭男、デニスの他に五人が着いてくる。

 ぞろぞろと家屋の脇を通って裏手へ。町の北西に当たるすぐ先には、森が控える。街中を照らす燃えるような夕陽に反して、暗い影の塊にしか見えないが。

 そこを直角に折れ、酒場の裏へ向かう。これにはもちろん、ブースが声を上げた。


「おい、どこへ連れていく気かね? 待ち伏せなどと見え透いた真似をすれば、大怪我の元だ」

「仰るのはごもっともですが、実は酒場の地下に秘密の部屋があります。少佐の階級も、そこで聞いた者が居るのです」


 こちらの仲間は、近付かないように言ってある。屋根上から狙っている以外は、姿も見せないはずだ。

 そう言うとブースは、髭男に意味有りげな目配せをした。これに心得ているという風の、頷きが返る。

 ――あちらも何かしているの?

 それがどんな策であろうと、メアリたちに選択肢はない。気付かないふりで、足を動かす。

 ただ、気掛かりが一つあった。予定外の、二人の母だ。どうすべきか、ステラに聞くわけにもいかない。


「ここです」

「ここ、とは?」


 悩む間に、目的地へ着いた。どんな些細なことにも、優位で居たいのだろう。ブースは平静を装い、機嫌を悪くした声で問い返す。

 さもありなん。メアリが指さしたのは、酒場の裏に設けられたトイレだ。


「ですから。ここが地下への入り口です」

「ここが?」


 あからさまに訝しむブース。扉や壁板越しに漂う臭気にか、額に皺を寄せた。

 それで当たり前の反応と、メアリも思う。いくら秘密の場所でも、好き好んでこんな所を入り口にするはずがない。

 しかし誰も訂正をしなかったので、「開けろ」と。部下に指示が下った。

 雨ざらしで表面の剥げた木戸が、薄いがゆえの派手な音を立て、内向きに開く。中にはベンチ型の、二人がけの便座。乾燥させたトウモロコシの芯が、山積みになっている。

 木戸を開けた部下が、首だけで覗き込むように中を窺う。しかし何も見つかるはずがない。


「それらしき様子はありません」

「うむ。どういうことかな、お嬢さん。私もここは使わせてもらったが、そんな出入り口は見当たらなかった」

「それはそうです。下桶の後ろですから」


 便座の下には、排泄物を溜める下桶がある。ある程度溜まったら取り出し、離れた場所に中身を捨てるのだ。

 普段は便座と囲いに遮られ、桶そのものを見ることはない。


「ご心配なさらずとも、私が取り出します。それとも兵士のどなたかが?」


 下桶の中身を捨てるのは、女の仕事と決まっている。なぜかとは考えたことがない。昔からそうだった。

 田舎の北部でさえそれだから、都会で育った男たちには触れるなど考えも及ばぬだろう。

 それがメアリと女たちの考えた、作戦だ。


「うむ。誰か――」


 自薦者を募るブースも、語尾がはっきりしない。人間の所業とは思えぬ殺戮を命じた男が、自身の捻り出した物に触れさすのは腰が引けるらしい。

 部下も部下で、ちょうど何かに気を取られたり。急に銃の撃鉄やレバーに、不具合が続出する。


「あの?」

「よろしい、こちらは勝手が分からない。お嬢さんがた」


 想定した通り、持て余された順番が戻ってきた。

 格好をつけず、任せておけば良いのだ。母たちは、多少強引になるがどうにかなるだろう。と、計画を修正した矢先。

 またもブースは「いや、待て」と言を翻した。


「恐縮だが、ご婦人がたにお願いしよう。どちらか、やっていただけるかな?」


 労役が目の前を通り過ぎ、母たちに手渡された。

 ――これは好都合かもしれない。

 いつものメアリなら、自分でやるべき仕事を母に任せたりはしなかった。例外は、人と話すことくらい。

 だが今回は、それでうまく行くかもしれない。すかさず人員の追加を要求する。


「いえ。桶は重いので、二人でないと」

「そうか――? ではお二人で」


 託された母は、戸惑いの表情を浮かべた。そこに地下室などないのだから当然だが、ここまで銃を突きつけられていたのと区別はつかない。


「メアリ。私たちは、下桶を出せばいいのね?」

「そうよ。けど、母さんたちはいつも通りでね。汚れないように、注意して」


 四方から見られている。ウインクの一つもしたいところだが、できなかった。

 だがきっと、母には伝わった。あとはステラが察してくれているか。


「兵士のみなさん、離れていないと中身が散りますよ」


 頼れる幼なじみは、そう言って脅した。このくらいは離れるようにと、腕を左右に振って示す。

 そのまま自然な動作で、一団の最も外側に移動する。もちろんメアリも、その隣へ。


「じゃあ。運び出します」


 母二人がトイレに入り、便座を外し始めた。すると髭男とデニスが、メアリたちに銃口を向ける。

 何かするならば、このタイミングとブースが指示していたのだろう。だが黙々と作業は行われ、便座の下の囲いも外された。

 いよいよ下桶に手をかける段になると、兵士たちの意識はそちらへと傾く。

 何せ盛夏は過ぎても、昼間の陽射しに煮えた汚物だ。存分に発酵したそれを、僅かでも浴びればどうなるか。容易に想像がつく。

 少しずつ、顎に向けられていた銃口が逸れていった。

 ――今だわ!


「通路に入って!」


 あわよくば、それだけでも合図となるように。メアリは喉の破れんばかり叫んだ。

 同時にステラと共に、地面へ伏せる。どうにか視界の端で見た限り、母たちも伏せて木戸を閉めた。

 間髪入れず、七つの閃光が森に輝く。それは隠れ潜んでいた、アナ率いる女たち。

 兵士たちを襲う反撃の咆哮は、夕空に三度響き渡った。

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