第12話:命がけの交渉
女たちがメアリの下へ向かうのを、男たちが止めたのには理由があった。腐っても相手は軍隊なのだから、結果さえ出せば今以上の非道はすまいと。
それではメアリと、その家族を引き渡すのか。女たちの問いに、男たちはこう答えたそうだ。
「見つけられずに任務失敗。というのも、結果には違いないだろう?」
虐殺とも言える数を殺したのは、制圧の過程だと。それが終わったいま、これ以上に殺す意味はない。
だから彼らの気が済むまで耐えていればいい、という主張だ。いたずらに死人を増やすことはない。終戦後に、適正な裁きも下る。
「そんな殊勝な人たちとは思えないわ」
メアリの発した感想も、大いなる皮肉だ。
撒いた種のひと粒だけが芽吹かなかったとして、その理由を延々と考えても益はない。それよりも別の場所にもう一度撒くか、次の作物を育てたほうが良い。
男たちの言はそういうことで、それは理解できる。
だが前菜から主菜、サラダまでを手づかみで食べた野蛮人が、デザートだけはスプーンを使う。
そんなことはあり得ない。
「ハロルドも、人が変わったものね」
本質はともかく、悪ぶることで自己主張をしていたステラの兄。彼も残ったのだから、同意見なのだろう。
「メアリと同じで、猫を被っているのよ」
「私は元からよ」
いつ以来となるか、ステラとの対等な会話。これが緊張を紛らわす為でなければ、もっと良かったのだが。二人は銃を両手に頭上へ掲げ、教会の正面まで二十ヤード足らずに近付いた。
脳裏には、アナの講義が反復する。
「こちらもあちらも、銃はライフル。マスケットと違って、二百ヤードでも命中させられる。訓練次第で、三百ヤード以上も」
対してマスケットは五十ヤード。拳銃は二十ヤードも離れれば、象にだって当たらない。それは裏を返せば、今の距離ならばどんな銃でも当たるということだ。
「弾は」
見張りに言われて二人それぞれ、明後日の空へ引き金を引いた。景気良く白煙が上がり、兵士たちはニヤリ。口許を歪める。
「もしもそれで奇襲をするつもりだったなら、残念だったな」
「そんなつもりはないわ。私たちは、希望を聞いてほしいだけよ」
「希望? なんだと言うんだ」
メアリは自分から、弾薬の入ったポーチの口を開けて投げ捨てる。油紙で包んだ弾丸が、地面に散らばった。
こちらは丸腰だと、示さねばならない。ステラも同じようにして、二人順番にくるりと回ってみせた。
「ブース少佐と話がしたいわ」
見張りも階級はばらばらのようだ。
ちょっと偉そうな態度の者が、直近の男と何やら話す。ちらちらとこちらを見て、下卑た笑いが時に漏れる。
気付かないふりで居ると、指揮官を呼ぶ気になったらしい。伝言がさらに下位の者へ託された。
それから数分、待っていてもブースは出てこない。伝言に行った兵士もだ。
「何かあったのかしら」
ひそひそと、前を向いたままステラが問いかけてくる。しかし分かるはずがない。
「きっとお腹でも痛いのよ」
不思議な気分だった。
怒りは燃え上がるのを、どうにか押し留めている。また恐怖も否定できない。見張りの兵士が一人でも気紛れを起こせば、自分たちは死ぬのだ。
そのうえに、姉のこと。母のこと。町の誰も。憂う材料には事欠かない。何よりそれらを分かち合いたい夫が、なぜ目の前に居ないのか。
そんなただ感情として分類するのも難しいさまざまが、込み入っている。だのにどうして、平然とした素振りができるのか。
――次に話すときは、三日三晩。話し続けてやるんだから。
後に思えばそれが、正気を繋ぎ止める一本のテグスであったのかもしれない。
「何か、要望があると?」
「え、ええ。聞いてくださってありがとう、紳士のブース少佐」
思考が忙しく巡って、結局のところ二十分が過ぎたころ。ブースは姿を見せた。特に顔を洗ったようにも見えず、何の為だったかは分からない。
「いや、構わない。それに、単なるブースで結構だ。君たちには私の階級を教えていないはずだしね、お嬢さん」
失敗した。
いや、交渉はまだ全く問題ない。詰め込まれた部屋以外に、兵士たちの会話を聞いていた誰かの存在を知られたのも。
ブースはカマをかけたのだ。それに乗ったこと自体は良いが、怯んで黙ってしまった。一瞬、奥歯を噛み締めもした。
「実は、みんなで話しまして。バート=エイブスの娘の居場所へ、案内することになりました」
「ほう? 娘だけかな」
「母親は、何年か前に他界しました」
「そうか、それは知らなかった。哀悼の意を捧げさせてもらおう」
ブースは皮帽を取り、胸に当てる。だが、眼を閉じることはない。
「その銃は?」
「私たちは交渉に来たのです。この銃を投げ捨てるとき、交渉は決裂したことを示します。安心してください、弾は捨てました」
メアリはすぐそこの地面を、視線で示した。先ほど放った弾は、散らばったままだ。
それをブースは、気に入らない風に鼻を鳴らす。傍に居た兵士が、銃も空だと報告してくれたのに。
しかし構わず、ステラが「あちらを」と肩越しに視線を投げた。
二人の後方。パン店とその向かいの屋根に、ドロレスを含めた四人が陣取っている。十分に命中する距離だ。
「なるほど? そのスカートに、ポケットはないのかな」
メアリもステラも、スカートにポケットはあった。小さく舌打ちをして、中の弾薬を手に示し、足下へ落とす。
兵士たちから、至極小さなどよめきが起こった。
「私にも以前は妻が居てね。よくそこに干し肉を隠し持っていたよ。女とは、隠しごとが好きな生き物と教えられた」
ブースは得意げに「覚えておけ」と。部下たちの顔をそれぞれ眺めて言った。
「良かろう。どうやって、あの部屋から抜け出したのか問わない。我々がその気になれば、蹂躙し、拷問して吐かせることもできるが」
――今さら、何を言っているの。
メアリの顔を、恩着せがましく薄ら笑いで覗き込む。酒臭いのを置いても白々しい。とうに蹂躙はされている。
「それはすまい。私も部下たちに、好んで労苦を与えたくはないのでね」
「ご甘受いただきまして、ありがとうございます」
素より不遜な態度ではあったが、酒を飲んで余計に気が大きくなっているのか。ブースは機嫌良さげに、「では案内を」と促した。
どうやらうまくいっている。今度は慎重に、心中でだけほっと息を吐いた。
「すぐそこです」
「ああ、いや。待て」
向かう方向。対面の建物の裏を指さした。途端、ブースは抑えた声で止める。
何か、勘付いたか。冷や汗ばかりは、止めることができない。ステラに目配せを送ることもできない。
「おい、このお嬢さんたちを連行した者が居るだろう。呼べ」
思わぬ指示が、兵士に出された。
我が家を襲い、出稼ぎの若者たちを皆殺しにし、家を焼いた。メアリにとって、悪魔の所業を働いた張本人。きっとステラにも。
――何の為に、そんな人を呼ぶの。
起死回生の策。その成否は、未だ傾ききった天秤に載ったままだ。
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