第11話:変わらぬもの
うつ伏せたマリアの身体を揺り動かすと、血の広がりが早まったように思えた。
触れてはいけないのか。感覚的に思い、手を引っ込める。
「姉さん――」
しかし呼びかけると、また無意識に手を伸ばしていた。どうするか迷い、震える指先で姉の頬を撫でる。出来得る限り、そっと。
――柔らかい。
あれほど敢然と、無法者に立ち向かった人とは思えない。
そういえば最後にこの肌を触ったのはいつだろう、などと。どう考えても場違いな想いに歯噛みした。
「うぅ」
「目が覚めたの!?」
姉妹でよく似ているらしい、姉の声。頭と肩が身震いのように動いて、また苦しそうな呻き声があった。
マリアは自力で仰向けになり、溜めていた負債を吐き出すように苦しい呼吸を繰り返す。
「敵は教会に入ったわ」
「教会へ?」
咄嗟に意味を解せなかった。
言われるままその方向を見ると、たしかに見張りらしき兵士が五、六人こちらを見ている。
――教会に兵士が居て。あそこは町の人たちが居て。
「母さんが!」
ひとつずつ順番に紐解かねば、こんなことも分からない。鈍い自分に苛立ちながらも、発露した感情は憂慮だった。
アナは言っていた。自分があの兵士たちならば、楯突いたこちらを攻めてきたりはしないと。あれは教会の女たちを人質に取る。そういう意味だったのだ。
「助けに行かないと」
マリアは勢いをつけて、上体を起こそうとした。だが途中で魂でも抜かれたように止まり、落下する。
慌てて受け止めると姉は目を何度も瞬かせ、いやいやをする風に首を動かした。
「頭でも打ったのかしら。目まいが治まらない」
倒れたときの様子から、そうとは思えなかった。
そうだと気付いて、撃たれた箇所を探す。この混乱に、やることなすこと後手ばかりだ。嫌気が差して滅入ってしまう。
「姉さん、大丈夫。撃たれたときのショックよ。傷は――」
見付けた傷は、左の肩だ。着衣を濡らす赤が濃い。上を向いたせいか、染みも広がった。しかもその速度は、未だ緩まない。
「傷は、大したことないわ」
「そう。じゃあ少し待てば、治るかしら」
「もちろんよ」
――姉さんが。姉さんが死んでしまう。
本当はそう思うのに、嘘を吐いた。当然だ。こんなとき「あなたはもう助からない」などと言う者があろうか。
いたずらをごまかす為、父と母には数限りなく嘘を言った。だが姉には、いつも正直に話した。ロイを愛していると、初めて告白したのもマリアにだ。
初めて。姉に嘘を吐く羽目になった。
「どうして……」
どうしてこんな目に遭うのか。どうしてこんなときに、過去のことを思い出さねばならないのか。
姉にはまだまだ、限りない未来があるはずだ。
「メアリ?」
「あいつらのせいね」
身体が震える。沸騰したケトルのごとく、鼻息がおさまらない。
頬に染み渡る液体も、ツンと痛かった。いつから涙は、ビネガーと入れ替わったのか。
「メアリ。無茶をしてはダメ」
「ええ。無茶なんてしないわ」
まぶたを閉じてなお、マリアは何か察したらしい。支えるメアリの腕を握り、窘める。
もちろんだ、無茶などしない。そう思うメアリは、強く頷いて答えた。
怯えて狭まっていた、靄のかかったような視界がくっきりと見通せる。やはり撃たれたドロレスともう一人は、既に運び入れられた。残るはマリアだけだ。
手を差し伸べる女たちに場所を空け、メアリはその場に立ち上がる。手には姉の落とした、あの銃を持って。
「メアリ、どこへ行く気!」
背中にステラの叫びが追い縋る。
いつの間に歩き出していただろう。見張りの兵士を、睨み付けたのは覚えているが。
家一軒分を歩くと、あちらは銃を構えた。
しかしそんなものは、関係がない。より厳しい視線を叩きつけ、脚を早める。すると後ろから、ブーツの底を鳴らして走る音が追う。
それも関係ない。と思ったが、どこかに隠れていた兵士ならば、してやられるのは腹立たしい。
振り返る。
「メアリ伏せて!」
猛然と迫る人影はステラ。振り向きざま、全身を投げ出した彼女が覆い被さった。
絡まるように倒れ、地面を転がる。そのままパン店の軒下へ。舞い上がった砂煙を、複数の銃弾が切り裂いていく。
ステラがこうしていなければ、間違いなくメアリは死んでいた。だがそれさえ血の上った頭では、知ったことかと思えてしまう。
上になったステラを、押し退けようともがいた。
「一人で何をしているのよ!」
絶叫。いやそれさえも通り越し、叫喚と言うべきか。
感極まったステラは、涙と鼻汁を混ぜて辺りへ飛び散らす。これでもかと振り被った平手は、メアリの頬を張った。
「ステラ」
「一人でこんなことして、何の意味があるの!」
先のは左。今度は右の頬に、人間の手を模す業火が衝突した。それが証拠に、燃え上がらないのが不思議なほど、打たれた箇所が熱い。
「こんなことしたって、ただ死ぬだけよ」
胸ぐらをつかむ手が、小刻みに揺れる。
心から、心配をしてくれたのだ。それは分かる。しかし今は、怒りに身を委ねたかった。
小さな振動が頭を揺すぶって、それが不快で堪らない。なぜ邪魔をするのかと。
「ステラ、あなたなら分かるでしょう? 私はあの人たちに、お礼をしなければ気がすまないの!」
「分かるわ!」
キスをされたのかと思った。それほど近くに顔を寄せ、愛すべき幼なじみは怒鳴る。
こつと小さな音を立てて、額が接した。
「分かるわ。だから、一人で行くなと言ってるの」
止めたりしない。行くなら自分も連れていけ。血走った目が訴えている。
「一緒に、行ってくれるの?」
「違う。昔のあなたは、そうじゃなかった」
触れたまま首を振るものだから、額が痛む。けれどもそれで、目が覚めたのかもしれない。熱く凝り固まった息を、すうっと。メアリは吐いて捨てる。
「あの無法者たちを、懲らしめに行くの。手を貸しなさい」
「いいわ、それでこそメアリよ」
戦うべきは、この一つ年下の幼なじみだったろうか。挑みかかるような表情が、肯定の言葉とまるで合わない。
膝立ちになったステラが、手を向ける。引き起こされるはずだったが、力が足らない。両手で引かれて、ようやく立ち上がる。
お返しにメアリも、手を差し出した。細身のステラは、片方で楽々と引き起こせる。
「メアリ。弾を忘れてる」
その頃には、アナもやってきた。昔と変わらず、ステラのすぐ後ろへ。
ただ、一人かと思えばドロレスや、他に五人も野次馬が居る。
「怪我はいいの?」
「腕を持ってかれたと思ったんだけどさ。なあに、かすっただけだったよ!」
弾丸入りのポーチを受け取りつつ、ドロレスに怪我の具合いを聞いた。豪快に笑う彼女だが、裾を裂いた包帯はもうじっとり濡れている。
「アナ。ステラは一緒に来てくれるって」
「他に選択肢はないわ。行かなきゃ、私たちの町がなくなる」
ステラの庇護者。それがどうして、離れて中央に居るのだろう。
けれどやはり変わっていない。アナの言った「私たち」とは、町中みんなのことではなかった。それがメアリには分かる。
「じゃあ、この九人で?」
「男どもが止めるもんだからさ。これだけしか来れなかったよ」
他の女たちは、怪我人を見てくれている。そこにはマリアが、横たわっているはずだ。
また俄に炎上しかけた気持ちを抑え、メアリは問う。
「ねえ。もう一度、弾の篭め方を教えてくれる?」
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