第10話:避けられぬ流血
「行きなさい!」
暮れかけた街に響く、姉の声。メアリ一人に向けたのではなかったろう。だがそれで、僅かなりと脚が軽くなったのは間違いない。
表はマリアに任せ、酒場へ突っ込むアナの後に続く。殴り付けるように開かれたスイングドアを、背中で押さえ固定した。
突入組の残り七人が、目の前を駆け抜ける。土と太陽と、汗の匂い。この街を広げ、守る女の芳香。
そこに今は、鉄と火花の臭いが混じる。
陽に焼けた石を、知らず鍬で打ったとき。不意に上がる陽気なそれとはまるで違う、鬱屈した気配。
――早く終わってほしい。
などと願ったものの、痛みを感じているのは自分でない。メアリは己の身勝手に気付いて悔いた。
「主よ。罪深き我らと彼らに、慈悲をお与えください!」
アナが発砲し、続く七人も煙を上げる。音は重なり合い、七回と数えることは出来なかった。
そこでようやくメアリは、兵士たちの姿を目に留める。窓ぎわのテーブルに、人数は五人。全員の手に拳銃はあるが、床に崩れ落ちた。
夏の雲と見紛う濃い白煙が、焼けた火薬の臭いをばら撒いていく。
「くぅっ!」
薄まり、消える前に。呻く声があった。
女の一人が膝を突き、銃を落とす。背を向けられたメアリに、様子は分からない。しかしベージュの袖が、じわり朱に染まっていく。
「撃たれたの!?」
ステラが腰を落とし、気遣った。苦しげながら「平気よ」と返事が。医者の心得もある、神父に見せなければならない。だが生きている。ほっとした。きっと撃たれた当人以外の、全員が。
その空白を、忠告が切り裂く。
「もう一人居るぞ!」
一瞬遅れた乾いた爆音が、声を追い越した。メアリの正面に立つ女が、脚から血を噴き出させる。
「あぁぅっ!」
傷を庇い、女は倒れた。太腿を押さえたまま、右に左にのたうち回る。
忠告のあった方向。概ねそちらに、白煙が漂っていた。まだ一人、両手で拳銃を構えた敵兵がこちらを睨みつける。
「慈悲を!」
叫び、アナの拳銃が火を噴いた。
しかし兵士は、強張らせた表情で撃鉄を起こす。弾は外れたのだ。
――撃たれる!
拳銃は六発装填。アナもまだ、撃つことができる。だがその為には、やはり撃鉄を起こさなければ。
同じ動作なら、同じ時間が。いや、訓練を重ねた兵士のほうが速い。
だが
「この野郎!」
「押さえ込め!」
と。別の男たちが飛びかかり、兵士は押し倒された。暴発した銃弾が、床に煙を上げさせる。
男たちの両手は縛られている。が、構わず兵士を殴り付けた。拳銃を奪い、無情にも持ち主に銃口が向けられる。
そうして酒場に居た兵士たちは、全滅した。
「助けに来てくれたのか」
馬乗りになっていた若い男が立ち、息を切らせつつも礼を言った。殴った手が痛むのか、宙で揺らしている。
白銀の短髪はステラの兄、ハロルド。彼は生きていた。
「ハル、これだけ?」
アナは問う。悔しげな表情は、先の弾を外したせいか。
どうも違う。視線の向こうにあるのは、捕えられた町の男たち。
それで分かった。一瞥で人数が知れてしまう。二百近くも居るはずの男が、十数人しか居ない。
「ああ……怪我をしていたのと、文句を言ったのは殺された。俺は臆病が幸いしたよ」
生き残った中に、ハロルドより若い男は二人だけだった。若さに先走ったのかもしれないが、兵士たちが狙ってそうしたとも思える。
「やあ、メアリも来てくれたのか。おかげで助かった」
「う、ううん。わた、私は着いてきただけ。でも、よ、良かったわ。ね、ステラ」
かつてのロイの悪友は、随分と性格が丸くなった。男たちの中では、親しいほうと言えるだろう。再会の抱擁も恥ずかしくない。
妹はと言えば、無理に怒った顔で次の弾を篭めている。
「うるさいわね。バカな兄なんて、どうでもいいのよ」
言い放って顔が背けられる。けれども目尻に、そっと指先が添うのをメアリは見逃さなかった。
「他はどうなってる?」
僅か失笑したハロルドは、首を伸ばして外を窺いながら聞いた。
表でマリアたちの警戒しているのが見える。それ以外に、戦っている状況はどうなのかと。そういう意味だ。
「他なんてないわ。あたしたちだけよ」
どうでもいいと言った割りに、ステラが率先して答える。しかし今度は、兄に失笑は生じなかった。
「そりゃあ、まずいな」
「まずい?」
「こいつらの親玉でブースってのが居る。そいつはさっき、小便に行っちまった」
女たちは誰も、声を失う。
怖れる気持ちを抑えつけ、酒場までやってきた目的は二つ。囚われの男たちを解放するのと、無法な軍人の幹部を倒すことだ。
前者の多くが、既に殺されていたのはどうしようもない。しかし後者まで、打ち倒したことに満足して確認を怠っていた。
「たしかに居ないわ」
おそるおそる。ステラに手を引かれ、窓ぎわまで行った。
一人ずつを覗くと、あの威張り散らした顔がない。階級章は尉官と軍曹で、幹部なのは間違いないが。
聞いたアナの足が、押し潰した声とともに床を蹴る。
「じ、じゃあ。ブース少佐はまたここへ?」
メアリは問うた。トイレは酒場の裏にある。小便でないほうだとしても、未だに留まっているとは考えにくい。
考えられるのは部下を取りまとめ、女たちがそうしたように酒場を襲うことだ。
だがそれに、アナは首を横に振る。
「私なら、そうはしない」
「どうするの?」
ステラが意図を聞いたのと、同時だった。外から聞こえたのは、マリアの絶叫。
「中へ! 早く!」
表に居た女たちが、我先に。慌てふためいて酒場に駆け込んでくる。
その理由は、聞くまでもない。何挺分か数えるのも難しい、濃密な射撃音。それは十を数える間ほども続いた。
先頭の三人まで、間に合ったように思う。しかしその後ろは、横殴りに振る銃弾の雨に晒された。
血の気が引くのを、これほど明確に感じたことが過去にあったろうか。
姉は仲間たちに、早く建物へ入れと急かしていた。するとドロレスが倒れ、隣に居たもう一人ももんどり打った。
構わずにマリアも逃げるべきだった。生死は銃撃が終わったあとにも、確かめられる。
けれども姉は、そうしなかった。
二人のうちドロレスの腕を取って、酒場へ引き摺ろうとした。そこへまた、一発の銃声が鳴ったのだ。
「姉さん!」
抱えていた銃を放り捨て、メアリは走る。外に出れば、自分も狙われる。そんな当たり前のことも、もう頭になかった。
地面に浮いた白い砂に、姉の血が広がる。
「姉さん! 姉さん!」
頭の中には、何もなかった。姉が死んでしまうとか、返事をしてほしいとか。そんなことさえも。
ただ、ただ。伏した姉を前に、そうとしか身体が動かなかった。
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