第9話:闇からの反撃

「あれ、さっきは居なかっ――」


 訝しむデニスの声が「うっ」とくぐもる。直後何か大きな物の、水に落ちる音がした。


「縛っておきましょう」


 水面で喩えるなら、アナの声は凪いでいる。女たちは素直に従い、付近から拘束できる物を探す。

 ようやく見えた彼は、大きなたらいに尻を落としていた。デニス自身よりも大きく積まれた、衣類の山が脇にある。どうやら洗濯をしていたらしい。

 残念ながら、その任務を続けて良いとは言えない。彼は四肢をつかまれ、井戸から見えない物陰に連れて行かれた。

 そこで誰のものか、まだ濡れていないズボンで身体を縛られる。同じくシャツで、口と脚が。

 よく見れば、腰には拳銃があった。きっと蹴倒したのはアナだが、抜く暇もなかったのか。いくら何でも軍人を圧倒するほどの訓練など、してはいないだろうに。


「ゆっくりお洗濯なんて。油断してるってことかしら?」

「そうかもしれない。でも、こちらは油断しないで行きましょう」


 済んだことはともかく、急がねばならない。ステラの声にマリアが答え、アナが頷いた。そのやりとりを、デニスは暴れもせずに見上げる。蹴られた場所が痛むのか、目を細め渋い表情で。

 女たちは彼をそのまま、教会の敷地を裏に抜け出た。馬車の通る表は、兵士がうろうろしているはずだ。

 だがこちらには居ないと、誰が保証するわけでない。裏のと呼ぶには、柵がなく建つ家もまばら過ぎる。家と家の間、テラス、樽や馬房の陰。人が潜める場所は、無限と言えるほどに存在した。

 昨日。いやさ数時間前まで、安息の場所であった我が町が魔窟に見える。

 実際の住居は数マイル先の、メアリでもそう感じるのだ。ここへ住んでいる者たちは、どれほどの違和感を胸に覚えるのだろう。


「アナ。さっき話した通りに」


 誰がどこから飛び出てくるやら、不安は消えない。その中を一人、マリアは先行した。

 一軒先の柱まで身を低く走り、辺りを見回して合図を送る。残る女たちをアナが先導し、その前へ。すると今度は、アナが一人で先行する。

 これを繰り返し、五軒先の裏手まで進む。最初、女たちは「行っていいのかい?」などと戸惑ったが、一巡すると要領を呑み込んだ。

 たった二人。地下に身を隠せたマリアとアナは、こんなことまで話していたようだ。元は軍人の神父さまと、父が飲みながら話していたのかもしれない。

 しかし感心すべきは知識を実現させたことだけでなく、その胆力だ。怖れ、嘆くばかりで終わらず、どうして元の生活を取り戻すのか。そこへすぐさま目を向けられることに、感心を通り越した驚愕を覚える。


「ここまで来たら、飛び込むだけね」


 息巻く口調に反して、ステラは息を切らしていた。たったこれほどの距離を走って、疲労などあろうはずもない。

 言われた通りすぐ後ろを走るメアリは、気付いていた。半開きで風に揺れる扉や、雑草に小石。ありとあらゆる物に、ステラは慄き目を向ける。

 ――あれでは気持ちが持たないわ。

 思うものの、メアリも似たようなものだ。自分で抱える銃がぶつかり合う音に怯むなど、より酷いかもしれない。

 ただ、それは他の女たちも同じだった。

 誰もが肩で息をし、数分前とは比べられぬ険しい表情をしている。苦しいのみならず、吊り上がった目は油を差したようにぎらつく。


「扉の傍には見張りと、談笑している兵士。合わせて六人です。武器は拳銃だけ」


 酒場は表の通りの対面にあった。またマリアが一人で覗きに行って、見たものを伝える。中の様子は分からないし、少し離れれば他にも居るはずだ。しかし姉は、入り口付近の様子だけを言った。


「表は私が押さえます。一緒に出てくれる人は?」


 銃を胸に抱き、マリアは大きく深呼吸をする。それからの呼びかけに、すぐ手を挙げたのは三人。

 それでは明らかに足りない。少なくとも、同数の六人は必要だ。中へ入るのが遅れれば、それだけ相手に準備の時間を与えてしまう。

 勇んで来たものの、最初に行動するのにはまた別の勇気が必要となる。互いに顔を見合わせ、仕方ないという風でドロレスと他に二人が手を挙げた。

 銃を持つ十五人中、七人が表の六人を倒す。単純な数の比較であれば、一人余る。けれどもそれには、ほぼ全員が狙いを外さない。同じ相手を撃たないという条件が必要となる。


「大丈夫。一列で行って、左端から自分と同じ順番の人を相手しましょう」


 地下で姉に銃を渡して後、視線が合わない。母の傍へ居ろと言われたのに、違えたからなのか。

 ――そんなことで姉さんは、怒ったりしない。

 確信を持ってそう思うが、一抹の不安はあった。これまではそうでも、これからもそうとは何ごとも決まっていないのだ。

 いつもはそんな気持ちも、すぐに話して解消した。改善すべき点も、互いに認め合っていた。


「メアリ。私が先頭で入るから、二番目に来て。扉を押さえててほしい」


 姉さん。と、ひと言。呼びかけるだけでもしておくべきか。逡巡する間に、アナに頼まれた。

 酒場の入り口は、胸を隠す高さの両開きの扉。向こうにも手前にも開くそれを自由にさせては、一列で続けざま入る邪魔になる。

 言われれば納得だが、よく気付くものだ。


「わ、分かったわ」

「じゃあ、行きます」


 メアリの答えを合図にでもしたように、マリアは決行を告げる。「三、二、一」とカウントダウンを初めてしまった。

 ――終わったあと。この無法な人たちを退ければ、いくらでも時間はあるわ。

 大好きな姉と、母と、もちろんロイと。幸福な時間を取り戻す為に、目先の数秒にかまけている暇はない。


「ゴー!」


 ほとんどが吐息の、抑えた声。しかし先発の七人は、誤らず飛び出していく。

 メアリも、のんびり見送ってはいられない。様子を窺うアナの腕が、いつ下ろされるか。見逃すわけにはいかないのだ。

 先頭のマリアが立ち止まり、構える。反撃の破裂音が響くまで、総じて一秒を要しなかった。

 二番手のドロレス以下、マリアをお手本に同じタイミングで一秒半。彼我の距離は、およそ十ヤード。


「お前――!」


 見張りの一人が発したその声が、唯一意味を成していただろう。他は何を言いたかったのか、単に呻きとしか聞こえない。

 左端の男は胸を弾かれ、仰け反って倒れる。その隣は腹を押さえ、ゆっくりと地面に膝を突いた。

 あとは順に、折り重なって伏していく。カードで拵えた塔が、崩れるように。

 ただし右端の一人が、難を逃れた。撃った女が狙いを外したのか、その兵士が先んじて避けたのか定かでないが。

 男は訓練された動作で、よろめきながらも拳銃を抜く。七人を前に、相手を選り好む猶予はなかろう。おそらくは視界の真ん中に居た誰かへ、咄嗟に狙いをつけただけ。


「困らせないで」


 誰か。は、マリアだ。

 兵士の拳銃がようやく銃口を向けたとき、既に姉の指は引き金を引いていた。

 最初の射撃を終えたあと、マリアはすぐに拳銃を抜いていたのだ。撃ち漏らしがあるかもしれない。そうでなくとも、次弾の装填まで時間を稼がねばならない。きっと最初から、そうすると決めた動き。


「レディ、ゴー!」


 入り口付近の掃討は終わった。最後の一人が倒れる寸前に、アナの腕は振り下ろされた。合図として発した声も、よく通るアルトが存分に鼓膜を震わす。


「ゴー! ゴーゴー!」


 銃声に気付いた兵士たちが、きっと離れた場所から駆け寄ってくる。マリアは方々に銃を向け、威嚇を続けた。

 そうしながらも、鼓舞の声を忘れない。

 駆け抜けざま、気になったことが一つ。女たちの持つ銃は、一発ずつしか装填できない。

 一度撃てば、また弾を篭めなければ次を撃てない。だから拳銃を持つマリア以外は、その作業をするはずだ。

 しかし誰一人、動けないでいる。きっと初めて銃を撃ち、間違いなく初めて人を殺した。

 その格好のまま、呪われた彫像のごとく固まっていた。

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