第8話:怖れの向こう側
「敵と戦う段取りですが」
段取り、とアナは言った。
幼いころからそうだ。どんなことがあっても、動じた様子を見せない。いかに手際が悪くとも、最後までやり通す。
同じやり遂げるのでも、最初から何もかもを知っているかのような。器用なマリアとは違う。
「敵は軍人です。まともに戦えば勝ち目はありません。ですので、見つかる前に攻撃します」
「見つかる前にって、どうやって? 囲まれてるんでしょ」
まだ結婚はしてなく、親と暮らすステラ。中央で暮らすアナと、物理的な距離は離れてしまった。
しかしいざ話すのを見ると、やはり遠慮がなく。心の距離は変わらなく思える。
「見張りは、礼拝室の表と裏に居るだけ。裏口には居ないの」
「そりゃあ。こんな抜け道があると知らなきゃ、そうかもね」
聞き耳をしていた女、ドロレスが軽薄に笑う。言う通り、礼拝室からさえ出さねば良いのだ。それ以上の見張りは必要がない。
「一時間ごとに、見張りの交代が来ます。今はちょうど合間なので、心配はないと思いますが。ただし、決まった位置に居ない兵士も居るでしょう」
アナは首もとから、真鍮の懐中時計を取り出した。示された時間は、午後七時半過ぎ。もう少しで、日没の時間だ。
「その兵士はどうするの」
「私とマリアで対処します」
黒くゆったりとした僧服に溶け込んでいて、気付かなかった。アナの腰には、漆黒のガンベルトが巻かれている。
吊るされた拳銃のグリップに触れて、「これで」と。
土を掘るならシャベル、畑にするなら鍬。そんな使い分けを言ったように、何気ない。
棚からマリアも、ガンベルトを取った。金具をいくらか眺めて、迷いなく装着する。
「敵は軍人です」
「それは、さっき聞いたよ」
「指揮官と下士官が居なくなれば、彼らは目的を失います。全員を倒す必要はない、ということです」
混ぜ返すドロレスに屈せず、滔々とアナは目標を明らかにする。
「失わなかったら?」
大きく頷いて、なおステラは問う。親友を疑ってはいない。何もかも、飲み込もうとする姿勢だ。
「失うまで、倒すしかないわ」
「分かった」
新しく畑を作るには、木を倒し切り株を抜く。雑草を抜き、土と混ぜ、生えなくなるまで繰り返す。
強い作物を育てるには、そこで手を抜いてはならない。北部に住む者なら、誰でも知っている。
そんな空気で、二人は頷きあった。
「安心してください、味方は居ます。酒場に居る男たちです。目標のブース少佐は、そこで幹部たちと酒を飲んでいるはず」
「じゃあ皆殺しにしたらまずいんだね?」
軽口を叩くドロレス。無理に笑う頬は引き攣っているが、「そりゃあそうだよ」と他の女たちも似たようなものだ。
聞けば聞くほど強ばっていく自分とは、比べものにならない。ほんの数歩先に居る人たちとの差を、メアリは重く受け止める。
その重さが何に由来するか、分からないまま。
「理解できましたか? 目標は酒場。人数を半分に分けて、一方が酒場前の敵を倒します。もう一方が踏み込み、中の敵を倒します」
「それだけかい? 案外だね」
「それだけです」
総括をするマリア。ドロレスが安く請け負い、アナとステラも首肯する。
女たちの誰もが。一人残らず、汗をかいていた。夏の空の下、一日じゅう畑仕事をする女たちが。
「メアリは何をするの?」
それでは出発。と、皆がそう思っていたはずだ。そこに声を挟んだのは、誰あろうステラ。
また、何かするのが当然と言うのだろうか。英雄の娘として、騒動の元凶として。
「ステラ、妹は」
「怖いの? そうね、私も怖い。だって死ぬかもしれないもの。でも行くわ。何もせずに殺されるより、きっとましだから」
メアリはここで待っている。納得している姉が、執りなそうとしてくれた。
それをステラは、分かっていると二度。頷いた上で、なお言った。
「あなたはどう? そこで見送って、私もアナも、マリアも。二度と会えないかもしれないわ。後悔しないの?」
恐怖と戦い、行くと決めた者たちを案じている。
それは偽りかもしれない。と、メアリは感じた。胸が重苦しく動悸し、腹に鉛を抱えたような心持ち。
これこそ証と思っていたのに、ステラが言って身体が震え始めた。
ずっと震えている。自分自身、錯覚していた。いつの間にか、治まっていたのだ。
そこまで目ざとく、ステラは見ていないはず。しかし長い付き合いだ、見ずともお見通しなのかもしれない。
「ステラ、私は」
怖いのは嘘でない。人を殺す覚悟など、いつ整うものやら。
だがそれを言いわけにすれば、戦う女たちはどうなのか。そうしなければ、ただ死ぬしかない。たった今、ステラが言った通りだ。
――でも、でも。脚が動かないの。腕が震えて、銃を撃つなんて絶対に無理だわ。
「私は――」
「さっきの貸しを、返してもらうわ」
馬鹿にされても、誤って仲間を撃つよりはいい。やはり言いわけと知りながら、断ろうとした。
しかしステラは、メアリの声を断ち切った。大木を刈る、大斧のように。
「何もしなくたっていい、一緒に来て。小さいころ、強いあなたに私は憧れていたの。それが今は、ただの怯える女の子になってしまった」
初めて聞く、ステラの想い。
たった三人ではあったが、たしかにメアリは仲間のリーダーだったろう。
その日、何をするのか。釣りをするなら、何匹上げるのか。メアリが宣言し、ステラとアナは嬉しそうに従ってくれた。
「分かるかしら、私の悔しい気持ち。あなたの真似をして、私はこんな生意気な女になってしまったの。なのにあなたは、何て可愛らしいの。腹立たしいったら、ありゃしない!」
もう何年も、苛々とした表情しか見てこなかった。たった今も、いやむしろ最高潮だ。
けれども冷ややかな、距離を置く声ではなかった。ステラの温度が伝わる、熱い気持ちだった。
「分かったわ、ステラ」
「メアリ?」
覚悟は決まらない。震えもいっそう、増した気がする。
マリアの案じる声に、「大丈夫」と手を上げ。銃を取りに棚へ向かう。
「私も行く」
「……どうする気?」
行くと答えたのに、ステラは戸惑っている。それはそうだ、おかしなことをしているとメアリも思う。
銃弾入りのポーチを、左右三つずつ。残っていた銃を全て持とうと思ったが、重すぎた。それをどうにか、五挺。
「まさかそれを運ぶ気? 一挺でも、十ポンドはあるわよ」
「体力には自信があるの。男の人たちを助けても、きっと武器がないわ」
覚悟のないまま出来ることは、これしか思い付かなかった。沈黙に口を結び、幼なじみの目を真正面に見つめ返す。
やがて、先にため息を吐いたのはステラだった。
「いいわ、私の後ろを着いてきて。撃つのがダメでも、せめてそれで殴るくらいはしなさい」
「そうするわ」
アナの懐中時計が、高い音を鳴らして閉じられる。もう時間がない。急かしているに違いなかった。
「行きましょう。先頭は私が」
降りてきたのとは別の、勾配も少し緩やかな階段。部屋の奥にあるそれを、姉は上っていく。
蓋である天井に耳をすまし、誰も居ないことをたしかめている。ゆっくり三十ほどを数え、親指を立てた。
意外に細いかんぬきを外し、蓋は上に向け二つに開く。マリアの出たあとを、誰もが訓練でもしたように素早く続いた。
「じゃあ、行きます。ここを出たら、死ぬか生きるか。後戻りは出来ません」
最後にメアリが上って、蓋を閉めた。マリアが声を潜め、覚悟を問う。
しかしその手は既に、ノブを捻っていた。ここで否を言っても、もう無理だ。それを証明するように、返事を待たず扉が開けられた。
「チッ!」
二番手のアナが、舌打ちをする。開けていきなり、何かがあったのだ。
だがメアリには見えない。
「み、皆さん?」
驚いた風の、男の声。それはデニスに違いなかった。
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