第5話:生き延びる手段
「そこ! そこから逃げられるのかい!」
扉の傍で聞き耳をしていた女が、声を高くした。それを皆が一斉に「シッ」と窘める。
「いえ、ここは地下室の入り口です。外には出られません」
「何さ……じゃあ、あんたはそこに隠れてたのかい?」
「そうです、すみません。ちょうど神父さまのお手伝いに来ていたもので」
姉は外部から助けに来てくれた。誰もがそう期待しただろう。メアリもそうだ。
思いが外れて、落胆の声を老婆が上げた。マリアが責められているようで、悲しく、申しわけない気持ちになる。
だが姉は、臆した様子を欠片も見せずに声を返した。
「男の人たちは、酒場に集められているようです。敵は五十人前後。全員が銃を持っています」
「姉さん、そんなことまで分かるの?」
「出入り口がもう一つあってね。ここもだけど、上で話しているのが全部聞こえるのよ」
町に酒場は、一つしかない。教会から数えれば、五軒先にある。
考えてみれば、百人前後を入れられる建物など他になかった。強いて言えば馬屋があるが、壁がなくて監禁には向くまい。
「酒場に居るんだね。自警団もそこに?」
銃を持つ者。弓を使える者。他に何かしら、腕に覚えのある若い者。保安官も居ないこの町では、自警団が組織されている。
人数は流動的だが、三十人ほどあるはずだ。火事の消火なども含め、率先して街の防衛に努める。
メアリが知るだけでも、盗賊団や荒くれ者を撃退したのは両手両足の指で足りない。
「――いえ」
問うたのはステラの母だ。それに姉は、首を横に振って答えた。メアリと同じバター色の髪も、重く沈んで見える。
「そんな。みんな殺されたって言うのかい?」
「おそらく、ですけど」
集まるうちの何割かが、声を詰まらせた。自警団の男たちにも、母や娘。恋人が居る。
ステラの兄も、その一人だ。幼いころメアリはよくからかわれたが、嫌いではない。これを今からは、嫌いではなかったと言うことになる。
見知った者、親しい人間が死ぬのは仕方のないことだ。誰もいつかは、そうなるのだから。
けれどもこれほど一度に。前触れもなく死んでいくなど、予想だにしていなかった。悲しみに依らない嗚咽が、メアリの喉を焦げ付かせる。
「大丈夫?」
「――ん、平気」
悟られないよう。こみ上げたものを静かに飲み込んだ。しかしマリアは察して、何がとは言わず気遣ってくれる。
決して怒らず、いつも底なしに優しい姉。
メアリは父親に似て細面だが、姉は母に近く丸顔だ。しかし他は、姉妹でよく似ている。すらりと背が高く、瞳が空色なところも。
「敵は私と妹、それに母の三人を探しています。見つかれば、他は全て殺すと言っていました」
「酷い話だねえ」
先んじて答えたのはステラの母だが、他も同じように言葉を重ねた。
――本当に酷いわ。悪いのは私たちで、みんなは関係ないってことだもの。
想像するには、彼らは父に恨みでもあるのだろう。それを家族に言われても詮ないが、町の人々にはなおさらだ。
しかも名乗り出ても解決しない。むしろ状況を悪化させる。明確に何も出来ない事実が、メアリの良心を圧し潰していく。
「それで何か、案でもあるの?」
母が問う。
隠れてやり過ごした姉は、単にこちらを案じて出てきたと思っていた。地下室の存在を知らせても、出口がなければ意味はない。
だが。メアリの頼る人物が一人、マリアは頷いた。小さくだが、たしかな力強さで。
「どうするの? 私、何でもやる」
姉が言うのなら間違いはない。盲目的と言われようが、それはメアリの真実だ。マリアの保証したものが、そうならなかった記憶はないのだ。
「戦うの」
「戦う?」
「この下に、銃が保管してあるの。それを使えば、私たちでも戦える」
戦う。銃を使って、人間を撃つ。
相手はもう、そうしている。ならばこちらも、同じく撃つしかない。この上なく単純な話だ。
けれどもそれは、もう一つ。未経験の行動を示唆している。
――人を殺すの?
何でもやる、と。メアリは言った。そこに人殺しは入っていたか。答えは、否だ。
だが分かる、姉の言う通りだ。戦って、相手を倒すしか道はない。
「全員が持つ数はありません。へっぴり腰で撃てば、危険な物です。私たちを殺そうとする敵を、返り討ちにする。その覚悟が持てた人から、降りてきてください」
姉は感情に乏しい人間ではない。メアリよりもよほど、表情がくるくる変わる。ただ、今は堅く。歯を食いしばりながら、訥々と話した。
自分はもう覚悟を決めた。それが痛いほど伝わってくる。
「あたしは戦う」
手を上げたのは、ステラ。性格を表すように、まっすぐ伸びた腕が耳に付く。
それでもマリアの呼びかけから、三十ほどを数えた。その次に「私も」と、誰かが言うにはさらに十を数える。
「八、九、十――十一人ですか。少ないですが、仕方ないですね」
マリアが数え終わっても、メアリは「私も戦う」と言えなかった。姉も重ねて「メアリは?」と聞いてこない。
迷っているのには、気付いたはずだ。しかし妹の嫌がることを、姉は強制しない。それも昔から変わらない事実。
「待って、誰か来る」
戦うと言った一人。聞き耳をする女が、地下へ降りようとしたステラに静止を発した。
「一旦、閉じます。知らないふりを」
打ち合わせていたように、女たちは概ね元居た位置へと戻る。マリアは手際良く床板を閉じ、またかんぬきか何か差し込む音をさせた。
「あの、入ってもいいですか」
扉越しに、遠慮の過ぎて聞き取りにくい声がした。男の声だ。
こちらは互いに顔を見合わせ、「どうぞ」と母が答える。
「ではお邪魔します」
おとなしい声とは裏腹に、勢いよく扉が開く。入ってきたのは当然に軍服を着ているが、メアリには見覚えがあった。
デニスだ。
「こんなところへ押し込めてしまって、すみません。息苦しいでしょう? あ、いや。こんなところなんて言ったら、怒られちゃいますね」
この部屋が礼拝室と思い出して、彼は非礼を神に詫びた。壁の聖印に、短く祈りを捧げて向き直る。
「少ないんですけど、食べる物を持ってきました。まだお腹は減ってないかもしれませんが、見つかると叱られるので、すぐに食べちゃってください」
女たちのほとんどは、何をしに来たと敵意の目を向けていた。しかし何やら、調子を狂わされている。
デニスは「ええ?」と戸惑う彼女らにも気付かず、背負っていた袋を床に下ろした。
「良くないと思ったんですが、こんな時なので。お店からパンを持ってきました。あとは配給の保存食です」
この町にある、パンや焼き菓子を扱う店。そこから失敬してきたと、デニスは正直に言った。言われなくとも、見慣れた形で一目瞭然ではあったが。
パンを半分にして、一食ずつに分けられた糧食も二つに分けて。ようやく一人ずつの手に、何かしらが渡る。
メアリが受け取ったのは、割れたクラッカーとチーズが一かけ。
空腹は感じない。だが畑仕事のあと、昼食も食べずにいる。見つかってはまずいと言われたのもあって、クラッカーを齧る。
――塩からいわ。
強い塩味が、舌を痺れさせるほどに感じた。パサパサに乾いた生地も、気にならぬくらい。
軍の糧食とはこんな物なのか、驚きながらもう一口。今度はそうでもない。自分で作るものと変わらなかった。
すると今度は、急に乾きが気になってくる。チーズを食べれば少しはましかと思ったが、全て食べきっても改善はされない。
「水筒もあります。一つしかないので、回し飲みになってすみません」
木製の真ん丸な容れ物は、デニスが自分で使っている物に違いない。つまりは百人からで飲むには、ひと口もあるかどうか。
案の定。入り口近くに居たメアリは、逆さにして水滴を得るまでに瞬きを五度も必要とした。
だがそれだけでも、生き返った心地だ。少しなりと腹に物を入れ、水分を補給した。すると自分が疲れていると分かる。
たった今まで、そんなことも意識の外に置き忘れていたのだ。
「あ、あ、ありがとう。ごめんなさい、なくなってしまったわ」
空にしたことを謝った。デニスはなぜか照れ笑いで、問題ないと返す。
「いいんです。水くらい、すぐに汲めます」
「うちの店でかい?」
パン店の妻が、からかって言った。いかにも不器用そうな若い兵士が、親切で持ってきてくれたのだ。その気持ちは、ありがたい。
「あっ、お店の人ですか! すみません、あとで良ければお金を払います!」
「いいんだよ、ありがとうね」
非道を働くエナム軍。デニスもその一員には違いない。しかし彼のおかげで女たちは、僅かに笑うことを思い出した。
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