第2話:恐怖に震える
それから数分、大きな音はしなかった。誰かが騒ぎ立てる様子もない。
するとやはり、勘違いだったのかと。日ごろ慣れた現象に、答えを求めたくなるのが人情だ。
「生木を燃したのかもしれないわ」
グラントおばさんの意見に、メアリも賛成したかった。
誰かが鉄板を落としたのかも。銃声だとして、手入れをした試し撃ちかも。可能性を言い出せば、他にも論ずることはできた。
だが誰も、先の方向から目を離そうとはしない。
「それなら平和でいいんだがね」
おじさんは小さく横に首を振った。表情を厳しく、百ヤードほど後ろの自宅を振り返る。
間もなく、続く銃声が鳴り響いた。今度は何発も重なって。
「まただわ」
不安そうに口許を押さえ、おばさんが目を向けたのは畑の向こう、南の方角。トウモロコシに遮られ、何も見えはしないが。
最初に聞こえたのは、概ね南西だった。メアリたちからは、町を出る方向に当たる。
発砲している何者かは、西の入り口から町に侵入し、真ん中を抜けて住宅地に向かっているらしい。
――こっちへは来ないのね。
無意識に、ほっと息を吐く。しかし気付いて、否定に首を振った。
どう考えても友好関係を結びに訪れた、平和の使者ではない。会いたいはずがなく、安堵を否定すれば嘘になる。
だがそれは、既に銃を向けられただろう誰かの災難を喜ぶ考えだ。己の冷淡さをメアリは悔いた。
「中央なら、自警団が居る。大丈夫だよ」
言葉とは裏腹。グラントおじさんから、緊張は消えない。若者たちに口早で指示を与える。いつも呑気そうな人だが、こういうところは経営者然として見えた。
「お前たちは、ここへ残ってくれ。家に篭って、誰も入れるんじゃないよ」
「旦那さまは、どこかへ行かれるのですか?」
「武器を取ってくる」
言って、グラントおじさんは自宅へ走る。おばさんも遅れつつ後を追う。二人が居なくとも、若者たちは指示に従った。
まずはメアリと母を家に。ロイとの新居である丸太小屋に、十数人もは入れない。すると残るは、板壁の母屋だ。
「火の始末と、食事を取ってきます」
新顔の彼が、エスコートをしてくれた。だが彼は扉を閉め、仲間たちのところへ戻る。
火は炉の中なので、放っておいても問題はない。しかし彼らは、律儀に火かき棒で炭をばらしていく。
「もう焦げて食べられないわ。いいから、急いで」
家の中で言っても、聞こえはしない。しかし言わずにはいられなかった。自分だけが安全な場所に居る。そんな罪悪感をも覚えて。
何より、嫌な予感がした。銃声まで聞いて、予感でもなかろうが。
ここも無事ではすまない、と。根拠のない不安が胸に満ちていく。
――ロイ。ロイ!
首都メインは、六百マイルの彼方。この願いもやはり、届くことはない。
「メアリ、馬だわ」
窓から外を見る母が呼んだ。隣に並んだが、姿は見えない。けれども耳をすますと、たしかにそうらしい。
速い馬蹄の音は、
しかも予感は的中しつつあった。聞こえるのは西からだ。町の入り口から、三つ又をこちらに来ている。
「ステラたちが!」
「そうね……」
道沿いには、幼なじみの家がある。足音は明らかに、それより手前から聞こえた。
狼藉者は彼女らの家を素通りしたのか。それとも単に、慌てた町の人間か。
その答えは、すぐに出た。
緩やかに蛇行する道の先に、騎馬の姿が見えたのだ。数は二つ。茂みに見え隠れして、乗っている者の姿は捉えられない。
代わりに、音がした。勘違いのしようもない、敵意を示す音が。
火薬独特の火走り。その直後、ただひたすら大きな破裂音が空気を揺らす。
対象的に。声も上げず、若者たちの一人が倒れる。
何か言おうとはしていた。唇が動いたものの、ふらふらと膝から身体が揺れる。何度かバランスを取る為に、脚を踏み出した。しかしその力も尽きて、倒れた。
「イヤッハァ!」
歓喜を示しながら、若者たちの目の前に騎馬は迫る。やはり二騎。声は男のものだ。
若者たちはまだ、動けない。悲鳴さえも上げていない。また一人が、銃弾に倒れた。今度は拳銃だ。
そこでようやく、うわあっと叫ぶ。どこへ逃げればいいのか、誰も考えての動きでない。
とにかく前へ。騎馬の横をすり抜けようとした二人が、それぞれ撃たれる。もう後は、その繰り返しだった。
「いや……」
メアリは呆然と立ち尽くす。それを母が、突き飛ばす勢いで奥へと押した。扉にかんぬきをかけ、階段に引き摺られる。
「メアリ、音を立ててはダメ。この家には誰も居ないの、いいわね?」
――死んだ? 銃で。あの子たちが。食事も。畑仕事も。まだたくさんあるのに。
若者たちを襲った境遇を、メアリは理解できずにいた。
死とは命の終焉。また動き出すことはない。その定義と、もたらしたのが騎馬の男たちなのは分かる。
だが。ほんの僅か、数分前まで話していた彼らと、死が結びつかない。次に狙われるのが、自分たちであることも。
「早く――!」
声を潜め、母が尻を押す。階下では、扉を殴りつける音がしている。
階段を上りきるのと、扉が破壊されるのは、ほぼ同時だった。
「窓に見えた人は、居ますかねえ?」
からかう呼びかけ。存在を知られている。そう気付いて、ようやく理解した。自分と母と、見つかれば命はない。
どうして早く、身を隠さなかったのか。悔やんでもどうにもならないが、みすみす母を危険に晒してしまった。
自身の小心を恨めしく思う。
「ここに隠れなさい」
「母さんは?」
「私は隣の部屋に隠れるわ」
食器や棚を蹴散らし、引き倒す音が続く。そんな中、母はメアリに白と赤のカバーが付いた、ベッドの下を指し示す。
結婚するまで、自分の部屋だった。いくらか荷物を入れられているが、さほど変わってはいない。
言われた通り、ベッドの下へ身体を押し込む。子どものころはかくれんぼに使ったが、もっと広かったように思う。
うつ伏せのまま、寝返りもできない。母は「もっと奥へ」としつこく言い、限界と知ると物を詰め込む。
手当たり次第、小さな木箱や衣服で目隠しがされた。様子が分からないのは不安だが、これなら見つからない気がする。
「母さんも早く隠れて」
「ええ、もちろんよ」
母の気配が遠退いていく。部屋の戸が、極めて慎重に閉じられた。
隣の部屋は、姉が使っていた。今は母の、裁縫部屋になっている。耳をすましても、母の位置は分からない。無法者が階段を上るのは、うるさいほどだ。
――間に合ったかしら。
母がこの部屋を出て、すぐだった。走れば足音が聞こえてしまうし、ゆっくりでは見つかってしまう。ちょうど見つからない、絶妙のタイミングだったことを祈る。
――お願い、探さないで。この家の人は、裏の窓から逃げてしまったのよ。
「ほら居た!」
喜色に塗れた絶叫に、びくりと背を反らせる。顔も動かせず、視線だけを右往左往。だが誰かの腕が伸びてくる気配はない。
「母さんが!」
ボリュームは抑えても、声に出さずにおれなかった。壁の向こうで、細かな物が大量に落ちる音。大きな物の倒れる音。
母の抵抗が伝わってくる。
「やめて」
――母さんを殺さないで。
手を組むこともできない。妙な格好なのを謝罪しつつ、神に祈った。
するとすぐに、物音は止む。声もしない。母は殺されたのだ。
暗いベッドの下が、沼底へと変わった。人間の目に、水の底は視界が悪い。メアリは嗚咽を堪え、舌を噛まぬように袖を咥える。
「ほら歩け! ったく、痛えったらありゃしねえ」
少し経って、男はそう言った。
生きている。捕まってはしまったが、母は生きている。悲しさに吸うのもままならなかった空気が、急に肺を満たす。それが逆に、息苦しさを感じさせた。
縛り付けてでもいたようだ。足音からして、母は自分の脚で歩いている。男もそれに着いていった。
どうすべきか。判断に迷う。
飛び出す選択肢もある。が、自殺行為でしかない。
では見殺しにするのか。今は生かされても、これが最後かもしれない。やり過ごしたところで、母を救う方法など考えもつかないのに。
何度も、何度も。案を出しては却下した。実のところそれは、この場で母を救うか。あとで救い出すか。二択でしかなかったが。
結局メアリはどちらも選べなかった。
目の当たりにした死が、身体を硬直させる。動こうとしても、手足が震える。今は母の詰めたガラクタさえ、取り除くこともできそうにない。
――ごめんなさい、母さん。勇気がなくて、ごめんなさい。
自責の想いが、涙を涸らしていった。生き長らえても、永遠にこの罪悪感を抱えるのだ。母を見殺しにしたこの無様な光景が、ずっと目の前に残るのだ。
「ロイ。私を助けて」
せめてここから出よう。震える指を叱りつけ、詰め物に触れる。すると待っていたように、部屋の扉が開けられた。
「さあ、もう一人はここかな?」
◇◆◇
両手と腰を縄で繋がれ、延長は母を縛る。反対の端を握る男は、もう一人居た相方を探す。
「あいつ、どこまで行ったんだ。まあいいや、用があるのは女だけだ」
見ているのは、グラント家の方向。用があるのは女だけという言葉。
おじさんも、殺されてしまったのかもしれない。想像しかけて、慌てて打ち消した。
「さて、それじゃあ」
どこへ行くかも言わず、男は歩き出す。と思うとその手が、炉に伸びた。少し屈んで、燃え盛る薪が引き抜かれる。
にや、と。男は不気味な笑みを向けた。直後、薪は母屋へ放り投げられる。
二本。三本。四本目と五本目は、新居に。メアリの生家と新しい生活の場は、同時に炎の餌食となった。
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