レディ・デスパレード【淑女達の征旅】

須能 雪羽

1st relate:越えられた境界

第1話:田舎町の霹靂

 頑丈に組まれた丸太の壁が、炎に崩れ落ちる。無垢の扉も、ひと抱え以上ある梁も。粛々と、ただ黒い炭へ意義を変えていく。


「どうして?」


 我が家の燃えるさまに、メアリは声をかすれさせた。バター色の長い髪を、草色のワンピースを、火の粉が焦がすのも気付かない。

 夫のロイと。町の人々に手伝ってもらい、建てた家だ。住んだのはまだ三年に過ぎないが、幼いころから夢見ていた。

 兄貴分の彼と、同じ空間に居たい。何も特別でなくていい。すぐ隣で寝起きして、同じ畑を耕して。頼りない彼のことを、可愛い人だと見続けたい。

 そんな場所になるはずだった。

 ――どうしてこんなことになってしまったの!?

 絶叫は声にならない。喉が熱に渇き、乱れる感情で潰れかけている。


「いつまでも、ぼけっとしてんじゃねえ!」


 立ち尽くすメアリの身体が、ぐんと強く引かれた。両手と腰を、縄で繋がれているのだ。さらにその延長は、母に結ばれた。

 反対の先は、初めて見る男の手に。もう一人居たはずだが、今は見えない。メアリには見慣れた、陸軍の制服と似た格好。最初は馬に乗っていたけれども、いつの間にか自分の脚で歩いている。

 まだ若い。二十三歳のメアリより、いくつか上というくらいだ。

 こんな無法をやらかすのは、その年齢ゆえか。男だからか。それとも背負っている銃のせいか。

 長い銃身は一目瞭然。しかし何発も、続けて撃っていたように思う。

 メアリの知る銃。マスケットならば、一発ずつ弾を篭め直す必要があるはずだ。どうも違うようだが、見た目に区別はつかない。

 最新型の武器。強い力が、こんなことをさせるのか。

 すぐ先へ、メアリよりも年少の若者たちが十人。地面に伏し、眠りについている。二度と覚めることのない眠りに。

 男がやってきたのは、ほんの少し前。きっと一時間も経っていないだろう。メアリも若者たちも、そこではまだ日常を手放していなかった。


◆◇◆


 それは、正午を過ぎてしばらくの出来事だ。

 愚直なまでに空を目指す、力強く清々しい緑の只中にメアリは居た。トウモロコシの茎は、手首の太さほども。完熟まであと少しの実をもいで、手籠に並べた。

 豊かな髭が重なり、滝のように。あるいは筆のように垂れ下がった。絵を描くのには、腰が弱すぎるけれど。

 ――おいしいって、トウモロコシのことよね。これ以上もこれ以下もないわ。

 以前はよく、家族と友人たちと、大勢で焚き火を囲んだ。今も好物のそれを前に、ほくそ笑む。行っているのはあくまで、偏ったり傷んだものの摘果なのだが。


「メアリ、そっちは済んだかい?」

「え、あの。その――も、もう少しです」


 石造りの神殿にも似た、林立する緑柱。合間のどこかから聞こえた声は、隣家のグラント。直接の血縁はないが、メアリは昔からグラントおじさんと呼ぶ。

 この畑の半分は、メアリの生まれる前。軍人になった父が、幼なじみの彼に譲ったのだ。

 それでも幼いころからずっと、我が畑のごとく遊び場にしてきた。だから気兼ねはない、はずだ。しかし話すと、緊張してしまう。

 歳の近い友人と走り回って、全身を泥だらけにしたあのころ。あんな姿を晒して、どうして平気だったのか。幼かったのを差し引いても、理解に苦しんだ。

 おじさんも、きっと覚えているだろう。それがまた恥ずかしく、顔を隠したくなる。

 そのころのメアリは男の子と同じに、襟付きシャツと長ズボンだった。今はどうにか、姉のお下がりに着られている。畑仕事で、土に塗れるのは変わらないが。


「でも、懐かしいわ」


 育ち盛りが息の切れるまで走っても、端に着かない畑。その横には濃い緑を低く茂らせた、ジャガイモ畑がまた延々と。脇には錠前もない農具小屋。馬と牛と人間が譲り合う砂利道は、地平の先まで続く。

 沼も川も冒険をする森も、手の届くところにあった。この町で想い出のない景色を探すほうが、メアリには難しい。


「お昼にするわよ!」


 家のほうから轟く、母の声。背は低いが、力強い。五十ポンドほどもジャガイモの入った木箱を、軽々と運ぶ人だ。背が高く線の細い、話す声も抑えめのメアリとは正反対と言えた。

 彼女に叱られた記憶は、ほとんどない。今ももちろん、逆らう理由はなく。摘果を続けながら、家屋のほうへと戻る。


「いい匂いね」


 手籠を置き、エプロンを外すと土埃が舞った。頭に巻いたスカーフを取り、手櫛で髪に風を通す。

 息をつくと、適当に数本ずつ。トウモロコシを両手に、火の傍へ。石を積んだ炉の周りでは、もう出稼ぎの若者たちが肉を焼き始めていた。

 遅れてグラントおじさんも姿を見せる。駆け寄るのはその妻、グラントおばさん。この季節のグラント家は、大所帯だ。


「やだね、この子は。食べるのだけは昔と変わらないんだから」

「そうだなあ。すっかりおとなしくなったけど、そこだけはな」


 火のお守りをする母が笑って、小さなスコップをグリルに当てる。硬質の音が短いメロディーを奏で、ジョークっぽさを増した。

 同意するグラントおじさんには、目も向けられない。きっとお人好しの顔で、笑っているはずだ。


「そんなこと、ないもの」


 顔と服を脂で汚しながら、一心不乱に食べたのを覚えている。それと変わらないなどと、なかなか酷い言いがかりと言えた。

 だが控えめに頬を膨らませながらも、トウモロコシを焼き始めては説得力がない。


「若奥さん、葉を剥かないのですか?」


 若者の一人が問う。今年初めて見る、新顔だ。


「あ、うん。ええと、その。このまま黒焦げにするの」

「黒焦げに?」


 その通り、採ったトウモロコシをそのまま火にかけていた。やはり子どものころ、このやり方を聞いて続けている。


「葉っぱが焦げてもね、中は無事なのよ。そうしたら剥いて、もう一度表面を炙るんだってさ」


 口べたなメアリに代わり、母が答えた。だが会話の全てを奪いはしない。「ね?」と最後にまた、主導権をメアリに返す。


「そう、そうなの」

「それがおいしいんですね。私も真似ていいですか」

「も、もちろんよ」


 メアリは十分に若い。しかし出稼ぎの彼らは、さらに五つほども下だ。貧しい地域に生まれ、遠く離れた場所で働かなければならない。

 貧しさの実際がどんなものか、知らなかった。けれども皆、陽気で礼儀正しい。他では悪評も聞くので、グラント家に来た者がたまたまなのかもしれないが。

 昨年まで来ていたのに、今年は見ない顔もある。それだけに、ここへ居る間だけでも楽しく過ごしてくれれば。と、無力ながらメアリも常々考えた。


「もういいでしょうか?」


 やがて黒くなったトウモロコシを、新顔の彼は手に取った。ちょうど「そろそろよ」と言おうとしたところだ。

 頷くと、幼さの垣間見える笑みがこぼれる。熱がりもせず、ひと息に葉が剥かれた。黄色に白、赤、青。色とりどりの粒が整然と並ぶ。

 それが「こうですね」と、グリルに戻される。彼はメアリの分も、快くやってくれた。


「楽しみです」

「もうすぐよ」


 見合った互いの口角が上がる。若者は、何を思うのか。

 メアリの脳裏には、姉や近所の兄貴分たちと共に遊ぶ記憶が浮かんだ。その面々は、ほとんどこの町に残っている。あの地平に向かう道を歩むこともなく。皆、この町で一生を過ごすのだ。

 豊かな自然に抱かれて、穏やかな風と時間が流れていく。

 いつか老いても。いやそれどころか、千年が経っても。ここはずっと、このままに違いない。などと、埒もない妄想に笑う。

 ――ロイも、こんな風に感じたのかしら。

 最も慕っていた兄貴分。今は遠い首都に居る夫を想い、同時に現在の身を案じた。

 そのとき。

 耳慣れぬ音が、頭上を翔けた。このよく晴れた白昼に、雷か。金属のたらいを、硬い岩へ打ち付けたようでもある。

 白々しい破裂音が、かなりの遠くで鳴った。


「今のは――」


 最初に声を出したのは、グラントおばさん。だが母もおじさんも、出稼ぎの若者たちも気付いた様子だ。


「誰か、銃を使ってる!」

「コヨーテでも出たのかしら」


 この町にも、マスケットを持つ者は居た。軍で使われるものより旧式だが。しかしあれは、集団で撃たなければ意味がないと聞いている。けれど聞こえた銃声は、一発だけだった。

 母の言うように、コヨーテを駆逐しているなら良い。いや危険ではあるが、群れが現れるのはままあることだ。

 そう思ううち、今度は数発が続けて鳴る。正体の知れぬ不安に、メアリは息苦しさを感じた。

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