第48話:閉ざされた場所
艶を留めない白髪と、同じ色の豊かなあご髭。いかにも老人という風貌に、メアリも心当たりがあった。
昨日、畜産倉庫への帰りがけに見かけた老人だ。
そのときは丸めていた背が伸びて、生気が増している。床に裾の着く、ローブのようなゆったりとした服。袖からは、よく見れば鍛えられた腕が伸びた。
その手が乗せられた腹は少々肥満気味だが、退役軍人などかもしれない。
「待っていたとは、どういう意味でしょうか。エール将軍」
花柄の袋を床に落とし、ロイはライフルを構える。十フィート強の至近で、照準器までも使って。
初めて聞く、夫の冷たい声。
メアリと話すときは、いつも楽しそうだった。初夏の畑を駆け抜ける、涼風のようだ。
それが今は厳冬の山から吹き降ろす、氷混じりの風に感じた。およそ感情などなく、そこにある電信機の声と言われたほうが、まだ頷ける。
「おお、久しい物が出てきたな。儂の贈り物など、とうに捨てられたと思っていたが」
父への昇進祝い。当人以外が知っていても不思議はないが、その物を見てすぐに察するとは。
夫の言う通り、目の前の老人がエール将軍であるらしい。
厳しくも優しかった父を、暗殺した男。
「あなたが――」
そうなのか、と。何もかもを一度に聞こうとして、喉が詰まった。いやどうにか喋っているつもりなのだが、我ながら言葉になっていない。
どうしたことか。不思議に感じるばかりで、理由が分からなかった。
「ええと、ごめんなさい」
この場で最も事情を解せないのは、市長の娘だろう。しかし彼女は、何があったかなどと聞きはしなかった。
ただハンカチを手に、ひと言を断ってメアリの頬を撫でただけだ。
「ああ、そうだ。儂がエール=エドモンズ。君の父を。儂の親友を死なせた、愚かな男に間違いない。座ったままだが、まずはすまないと謝らせてもらおう」
「父をって、私をご存知なんですか」
将軍は静かに頷く。穏やかながらも、心苦しさを額の皺に表した。
「まあ、順に話すとしよう」
葉巻きでも吸うように、髭の間をゆっくりと息が通った。
そんな悠長にしている暇はない。と、言うべきだったろう。しかしどうにも、聞かねばならぬように思う。
ロイも同じなのか、止めはしなかった。けれども撃鉄を全起こしにする。
「奴とは軍学校で知り合った。同期でも儂は歳を食って入った口でな。一人、浮いておったよ。いや特に嫌がらせをされたわけでないが。何年も傍に居て構われないとなれば、つらかったろうと思う。バートのおかげで、悪くない思い出になった」
たしかに順番と聞いたが、それほど遡るとは思わなかった。しかしこんなときでなければ、食事でもしながらじっくりと聞きたい内容でもある。
「奴のおかげか、儂が向いておったのか。ともかく首席をもらったよ。奴は人の世話ばかりして、下からすぐだったが。おかげで儂は参謀部で頭でっかちになり、奴は前線を渡り歩いて英雄と呼ばれるようになった」
バートの娘としての心象を置いても、やはりこんなときにする話でない。
ただ、ひとつだけ聞いてみたくなった。
「父は、どうして英雄とまで呼ばれるようになったんでしょう? 連戦連勝で負けなしというのでもないのに」
「奴は特別なことを、何もしなかった。誰かがやってくれればいいのに、と誰もが思うことをやり続けただけだよ。武器もなく立て篭った住民の説得とか、仲間の遺体の選別とか」
どういうものか、細かな想像はつかない。けれど敬遠したい仕事なのだろう。身体的な危険よりも、精神的な負荷が高そうに思う。
「だからあなたは、父を親友と?」
「ああ、そうだね。燃え盛る火なんてのは、たっぷりと水をかければいつかは消える。じっと動かない岩をどかすには、知恵が必要だ。奴を頼んだ者は多いが、たまたま儂は同期のよしみで友と呼んでもらったのだよ」
強い信頼をエール将軍は抱いていた。それはきっと父も同じだ。冗談ながらに悪口を言うなど、他の誰についても聞いたことがない。
「その娘を。メアリ、君を見かけた。君の夫が捕らえられた、この町で。君ならば、ここに来ると思った。夫だけでなく、街を救う為にだ。そして君は、来た」
やはり昨日の時点で気付いていたのだ。それからの行動を読んだようなことを言って、将軍は咳き込む。
年のせいか、どこか患っているような苦しそうな咳だ。「問題ない」と言うが、乱れた息がなかなか戻らない。
心なしか、顔色も悪くなった気がする。
「これをあげよう。もう儂には、持つ資格のないものだ」
腹に置いたうちの左手だけを使って、将軍は平台にあった封筒を取る。
手渡されたそれは蓋が折られているだけで、糊付けなどはされていない。中には畳まれた薄い紙と、写真が一枚入っていた。
「写真は借りていたものだ。手紙はまあ読めば分かるが、バートに聞かせてやってくれれば助かるのう。あの世で言いわけをする手間が省けるといいんだが」
写っているのは、父と母。それにマリアとメアリ。エイブス一家でたった一度きり、撮った覚えのあるものだ。
同じときに二枚を写して、一枚は母が自室に置いていた。もう一枚は、父が持ち歩いていたと聞いている。
「将軍、どういうことです。あなたはまだ、何も説明していない。僕の聞いたことにもです」
「問題ない。君らが無事に町を出たなら、全て分かることだよ。この戦争は、終わったのだからのう」
「戦争が終わった? そんな宣言を出されたのですか」
喋るのに疲れたと言うように、また大きく息が吸われた。それは袋の底を破いたように漏れ出て、「最後に会うのが、あの阿呆でなくて良かった」と。
エール将軍は安堵の表情を浮かべて、眠ってしまったように見える。
「将軍?」
異変を感じたのは、メアリだけでないらしい。ロイは構えた銃を下ろし、エール将軍の目の前まで歩み寄る。
けれど閉じられたまぶたが動くことはなく、もう一度「エール将軍!」と強く名が呼ばれた。
同時に肩を揺すったので、腹にあった右手が力なく垂れ下がる。すると硬い床に落ちた何かが、冷たい金属質の音を立てた。
「これは――」
ロイの拾い上げたそれは、小さな銃だ。メアリが手をかざすだけで覆い隠せてしまう、おもちゃのような。
夫の厳しい顔付きを見るに、本物なのだろう。手で隠されていた腹からも、赤い色が伝っている。
エナム軍の総指揮官エール将軍は、殺風景な地下室で自らの命を絶った。
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