番外編

青き夢 導くは光 01

「ローゼリカ、今日は一人か? 他のやつは?」

「……まぁ、見ての通りだけど」


 昼前、ローゼリカが迷宮に入ろうとすると、馴染みの衛兵に声をかけられた。

 他の探索者がゾロゾロと迷宮に入っていく中、ローゼリカだけは足を止めて、邪魔にならないように端に立ち止まる。


「今日は傭兵。他のはみんな別の仕事」

 

 目の前を、若い探索者の集団が通り過ぎた。明らかに田舎の出と思わしき、初々しい集団だ。リーダーと思わしき男が、緊張で顔を硬らせていた。

 懐かしいな、と思う。昔は何をするにも不安の連続だった。今はどうなのか、と言われれば違うとはいえないのだが、初心者特有の甘ったるい空気を感じていると、自分が枯れた木のように見えてくる。

 

「はー、そうか、俺はてっきり崩壊したのかと」

「縁起でもないことを言うな! 趣味が悪い」

「そうか? ずっとここで探索者たちの面を見てたらわかるんだけどよ、結構その……色恋沙汰で崩壊するってのは珍しくないんだぜ」

「それは、そうだが」


 また色恋の話か。アホらしい。

 そう考えつつも。他の二人のことを思い浮かべる。

 個人としては、背中を預け合う仲間に恋慕するなど、全く考えたことがなかった。己は人間との会話が不得手である自覚があるので、必要以上に相手を意識することもない。

 誰が誰と付き合っているだとか、そういう話は、学校や、それこそ酒場での話のネタになることはあったが、特に関心を抱くことはなかった。

 そもそも、命がけで闘い、金を稼ぐために必死で、余計なことを考えている暇はない。他はどうだか知らないが。ゆえに、そのような高等思考遊戯には、一切触れずにいたのである。というか、挨拶すら満足に返せない自分に、そんなものを理解することはできないのだ。


 ヤルキンは家族ーー兄貴のようなものだし、アランは一般人的な価値観が通用せず、意思疎通も難しい。

 そもそも恋愛対象としてみる以前に、会話を成り立たせることも極めて繊細な作業である。そんな相手を性的にまなざすことは不可能だ。


「ま、お前たちはその、特殊だからな」


 衛兵は諦めたように苦笑いを浮かべる。

 ローゼリカとしては、なぜこのような話題に触れられたのかすらわからなかったので、訝しげな表情を作った。

 下世話な話題を聞くと辟易とする。


「そういえば、あんた夜勤はやめたのか? この時間にいるなんて」

「あー、体を壊しそうになったんでな。ま、お前も最近は朝帰りすることもないし、話すにはこれがいいだろ?」

 

 衛兵はおちゃらけた口調でそう言った。

 

「職務に集中しろ」

「お前ほんっっとうに馬鹿真面目だな」


 二人がぺちゃくちゃと戯れている間に、他の探索者の集団が、ぞろぞろと中に入っていく。

 仕事をしろ、と突き刺さるような視線を感じ、衛兵はあっ、と声をあげた。


「そうだ、お前もそろそろ行かなくていいのかよ!」

「フン、早く来すぎたからしゃべって調整してたんだよ。いい暇つぶしになった」


 そう言いながら、袋を背負い、門をくぐっていく。

 

「今日も死ぬなよー!」

「勿論!」

 背中に声を受けながら、振り返らずに歩き出した。

 


 階段を勢いよく駆け下りる。

 1階層を走り抜けていくと、途中ですれ違う人の数のなんと多いことか!

 2階層では、あまりの人の少なさに驚いた。新規で入ってきた探索者のうち、下層へ進むことのできる人間は半分に限られてくるそうだ。

 真面目な話、質素に暮らす分には無理をして二階に降りる必要はないのだ。

 安定を求めるならそれでいいだろう。

 むしろ、命を脅かされてまで下へと進む集団が異常であるとも言える。実際、この迷宮都市の燃料源である魔鉱石は、一階だけで十分賄われている。迷宮の主産物はそれである。探索者の持ち帰る何某の魔導書やら、遺物やらは、9割5部がなんの役にも立たないゴミであるとすら言える。

 

 ならばなぜ、人は奥まで進むのか。

 その理由は人によって異なるが、ローゼリカの場合は金だった。採掘師になるには集団行動や協調性、技術が求められる。ローゼリカに協調性は皆無である。

 ならば一人でできる探索者はと志願した。

 浪漫やら冒険を求める人間、栄光を求める人間、はたまた暴力に飢えた人間と自分は根本的に違うのだと思っている。

 学徒の時分、元探索者であるという碧眼の教師に言われた。お前はもう、この街でしか生きていけない人間なのだと。

 納得した。生まれも育ちも地位も何もかもが空白の自分は、この街で、体と己を目を頼りに生きていくのだと、幼い頃から悟っていたのだ。

 流れ者を受け入れない、他の場所では成年する前に死んでいただろうとすら思う。血がそうさせたのか、星がそうさせたのか。

 

 

 待ち合わせの十三通路までに、多くの探索者とすれ違った。巡回している魔物と戦わないで済むように、わざと遠回りの道を選んだりしつつ、2、30分程度で十三通路の待ち合わせ場所に到着した。


「あ、あなたがローゼリカさんですか?」


 法衣に身を包んだ女性が真っ先に出迎えてくれる。

 奥には仲間と思わしき数人の若い男女がいて、動向を伺うようにジロジロと眺められた。


「どうも、ローゼリカです」


 神妙な面持ちで握手をした。手は意外とゴツゴツとしていた。玄人の手だ、とローゼリカは思った。


 法衣の女は、北大陸に多くいる森林精霊種だろうか。近年、激化する民族間の対立により、西大陸に流れる者も多いと聞く。杖には使い込んだような年季が感じられた。

 奥には、東大陸出身者らしき刀使いや、矢筒を背負った猫精霊種らしき男、顔を覆う鎧をつけているせいで、種族は判別し難いがーー女性が控えている。

 ごく普通の、ありふれた若者の集団に見えた。特筆すべき点は、見当たらない。


「私はラテリウヌ、このパーティーの隊長です。実は、ここにいる弓使いのディメオラと私以外、全員今日が初顔合わせなのです! だから緊張しないでくださいね」


 ラテリウヌ含め他のメンバーに囲まれるようにされたので、頭ひとつ小さいローゼリカは追い詰められたような姿勢になった。


「ローゼリカさんは、斥候の資格を持っているのです! だから、地図を埋める作業も前より正確に、早く行えますよ。それに、偵察までできちゃうんです!」


 周りのメンバーが興味ありげにこちらを見つめた。

 ラテリウヌに、ですよね? と同意を求められ、素直にうなずいた。


「ラテリウヌ、あんたが面接したんだってなら俺ァ誰でもいいぜ。とにかく……字が読めて口がきけるやつならそれで充分ってんだ。でもなぁ、斥候は本当にここで必要なのか? 人相手じゃねぇんだし」

 

 弓を背負った男がそう言った。しっぽが不満げにゆらゆらと揺れている。

 

「斥候がいるといないのとでは、パーティーの生存率に大きく関わる、という結果が出ていて」

「それはそうだがな……前もって下調べをしてある上に、地図までもってる。傭兵雇ってまでやることじゃあねぇよ」

「……今更契約破棄されても、金は戻らない」

 

 ローゼリカがぼやくと、男は呆れたような表情で、捲し立てるのをやめた。

 

「金払った分は、働いてもらわないとな」

「当たり前だ」


 抜け目のないやつだ、とローゼリカは思った。ジロジロと、見せ物でも見るように見下ろす目に、ただならぬ気迫を感じる。値踏みされることには慣れているが、この空気には流石に不快感を覚えた。

 

「そーだ、名無しってのもアレだし、うちらの自己紹介でもしましょーか」

 

 甲冑に身を包んだ女が、大きな声を上げる。ラテリウヌは、ほっと肩を撫で下ろしたのが見え。

 

「言い出しっぺだし、私からかなー。レスフェル・マキシオって言いまーす。レスって呼んでね! 女の子同士、仲良くしよーねぇ」

 

 素顔が見えない代わりに、声は大きく、甲高かった。白百合の紋様が施された鎧は、どこかで見たような気がした。どこかの騎士団から流れたのだろうか。しかしそれは、いま探るべき情報ではない。

 レスフェルと名乗った女の次に、刀を差した男が静々と前にやってきた。

 

「自分はヒエンです。以後、よろしくどうも」

 

 さっぱりとした長髪の男は、見た目に反して軽い挨拶をした。西大陸風の衣服に身を包んでいるが、見慣れない形状の長物から、出身をある程度予想することができた。東の剣士は、一撃必殺の剣術の使い手であるらしい。名手であることを期待しながら、先ほどローゼリカに突っかかってきた男の方に目をやる。

 

「俺か? ディメオラだ。ラテリウヌとは、昔っからの付き合いとだけ

 」

 ディメオラと名乗った男は、純粋な弓使いというよりは、野伏や森の警邏に近いような雰囲気がある。鼻から右の頬にかけて、鋭利な傷跡があった。


「さて、自己紹介も終わったことだし、今日は湖の北側を探索していこうと思います。ローゼリカさんは、行ったことはありますか?」

「通るだけなら」


 湖の北側、というと十三通路から歩いて四十分。風属性の魔術を使えば十分ほどでたどり着いてしまえる場所だ。具体的には、二階層へと続く二つ目の階段と、巨大な蟻の巣がある。普通の蟻の数十倍の大きさになった魔物蟻は、探索者たちの狩りの相手としてうってつけ。巣の中には蓄えた探索者の死体や、蟻の子供に与える栄養たっぷりの蜜がある。蜜は高値で売れるので、ここを狩場とする探索者は多い。


「蟻の巣には行くのか?」

「私たちの練度が如何程のものか分からないので、入り口だけつついて、行けそうだったら蜜狩りも行きましょうかね」


 北側に向かいながら、ローゼリカは手渡された地図の空白部分を書き込んでいく。前方と後方の警戒は他のメンバーに任せ、道を刻み、罠に警戒するだけだ。

 距離自体はそう遠いものではない。

 ただ、道を曲がる時、敵がいないかを確認し、いた場合には手早く状況を伝える必要があった。


「三時の方向に三体! 毒蜘蛛2体と風精霊もどきだ!」


 小さな洞窟が近道になると知っていたので、ラテリウヌ一行はその道を選んだ。前方から三体の魔物が、こちらに気づいて攻撃を開始する。

 二体の蜘蛛は、天井に張り巡らされた巣を使って素早く移動できる。ディメオラは壁に降りてくるように矢を放ち、誘導した。


 レスフェルがそこへと向かって一体を真っ二つに切断した。


 五人もいればいっぱいになるほど洞窟は狭い。

 隊列を組んでいたときは気づかなかったが、いざ戦闘に持ち込むと、これは結構な弱点になる。


 ローゼリカは風精霊もどきの引付け役をレスフェルと交代した。

 精霊もどきは真核を傷つけないと死なないので、ラテリウヌの魔術に任せた方が早いのだ。

 ラテリウヌは詠唱を続けている。

 相変わらず何を言っているのか分からない古語を聞き流しながら、どうにか頑張ってくれよ、と念を送った。


 混戦になるのを避けるため、ローゼリカは遮蔽物がないところに、蜘蛛のうちの一体を誘導する。

 蜘蛛が放つネバついた糸に絡めとられると、そのまま動けなくなるし、万が一顔にかかれば窒息死してしまう。

 腕の一本を切り落としたが、蜘蛛は怯まずに糸を吐き続けた。その直後に巣からもう一匹が這い出てきた。


「もう一体出た!」

「火よ!」


 叫んだ瞬間、矢のような火が一直線に飛び、巣を燃やす。

 蜘蛛は炎に包まれ、バタバタと暴れた。


「馬鹿っ!」


 ローゼリカは思わず怒鳴った。

 風精霊もどきが風を呼ぶ。炎の勢いは増し、火傷しそうなほど熱くなった。


「撤退! 撤退!」


 洞窟の中は炎に包まれた。出口へと向かって走る。風が運んでくる大気を吸わないようにしながら、竜に追われた時以来に必死で走った。


「狭い場所で、炎を使うな!」


 火傷ならまだいい方で、最悪の場合は空気を吸い込んで窒息死してしまう。

 いきなり怒鳴ったので、メンバーの何人かは驚いたような顔をしていた。


「ご、ごめんなさい!」


 今回は、密室ではなかったからまだよかったものを、もっと狭い空間でこれを使ってしまったら、メンバー全員が死んでいただろう。

 ラテリウヌは平身低頭謝罪している。

 なので、あまり叱る気にはなれなかった。


「……まぁ、以後気をつければいい」


 ラテリウヌはそういわれても尚、気まずそうにしていた。


(あー、面倒っていうかそういうタイプか……クソ真面目っていうか、まぁ、悪い人じゃないんだろうけどさ)


「もう一度行こう。ラテリウヌ、炎系以外の魔術は使えますか?」

「風系なら……」

「わかった。それからヒエン、次からはもっと前線に出て欲しい」


 ローゼリカが欠点を指摘しても、誰も文句を言わなかった。それどころか、不自然なほど素直に全員うなずく。


(や、やりやすい……!)

 

 かつて、初めて迷宮に挑んだ時は、指揮の決定権で大いに揉めたのだった。プライドが高く、そのくせ技量が追いつかない人間の多いこと! ローゼリカ自身も経験を積んだおかげで、きちんと俯瞰して周りを見ることができるようになったこともあるが、協調性のある仲間というのが、ここまでありがたい物だとは!

 

 

「疾風よ!」


 目の前の蜂が、真っ二つに割れて地に落ちた。


「うえ~中身キモくない?」


 レスフェルはそう言って蜂の死体に近づこうとはせず、代わりにラテリウヌが手袋ごしに血塗れの「核」を摘んだ。


「そんなこと言って、これから先どうするんだ」

「でも虫はダメだって、キモいよ。この虫、地上の五倍はでかいもん」

「これから先、これから十倍はでかいのが出てくるんじゃないか」

「い、いやだな……後ろにいるね」


 ラテリウヌがそれを布に包み、丁寧に懐へと仕舞い込んだ。

 彼らのそばには、いくつかの魔物の死体が落ちていた。激しい戦闘の後、汗をぬぐい、周囲を警戒しながらも休憩を挟む。


「ローゼリカ、あとどのくらいで女王の元まで行けますか?」

「今まで歩いた距離的に、そう遠くないはず。まだ地図でこの地点だが、ここには隠し通路があるから、短縮できる」

「なるほど」

「いやー中身えぐいって。鳥肌立つもん」

「俺の故郷ではもっと気持ち悪い虫がいてな、脚が百本あってーー」

「無理無理無理! そんな話しないでよ!」

「ですが、それだと罠が仕掛けてあるかもしれないですね。複数の道を検討しましょう」

「レスフェル、水筒あるか?」

「内視鏡でも持っていればいいのですけれどーー」

「あー、後ろの鞄に入れてあるから適当に飲んでいいぞ」

「わーい! ありがとね」

「内視鏡なんてなくても、壁を叩けば反響で何があるかはわかる」

「おい馬鹿お前飲みすぎだろ! もう半分しかねェよ!」

「えへー」

「なるほど……さすがはスプリガン族だ。貴方たちの聴力は驚くべきところがあるな」



 周りが何かと騒がしい中、たった一人で核をみがく。

 黒曜石のように黒光しているが、表面にはゴワゴワとした毛のようなものが生えている。魔術師の扱う基本的な杖には、核と呼ばれる石のようなものがついている。それは石であって、生物である。魔力的事象を操る手伝いをする、一種の単細胞生物が「核」と呼ばれるものの正体である。仔細は省略。


(これで、ちゃんとできたかな……)

 

 ラテリウヌの目線の先には、ローゼリカがいた。最初こそ、自分はまとめ役があっているだろうと思っていたのだが、やはり経験が浅いとどうにもならないことがある。

 閉所で炎を使うのがダメだということを失念していて、叱られたのは己の責任だ。

 他のメンバーが指摘しないところをズバズバ言う彼女は、変な意味で嫌われ役かもしれない。

 まぁ、最初こそ少し反感を覚えたが。


(これだと私、お飾りだけの隊長だなぁ)

 

 いくら知識を溜め込んでも、咄嗟に行動を取れなくては意味がない。今まで、このメンバーが支えてくれたからこそ自分は隊長と名乗れていたのだと、改めて実感する。

 

「鉄にこいつらの酸が当たると痛むらしいから、きちんと布で拭き取っておけよ」


 使い込まれ、黒いシミが目立つ手巾を配りながら、ローゼリカは言う。血液や体液が付着したまま刃を納めると、目も当てられないことになってしまうからだ。

 その様子を眺めながら、手元にある己の杖をじっくりと、再び眺めた。

 

 ラテリウヌの所持している白樺の木から切り出した杖は、そんなものは無縁である。しかし、整備はいつ行っても良い物である。

 適当な魔術を起こして点検することにした。


「水よーー風よーー流れるままにーー形を作りてーー」

 

 囁く。それは古代語の、精霊への祝詞だった。十二の母音と三十六の子音を持つ複雑な言語であり、小さな声で、歌うように流れる。魔力が乗ると、まるで樹林の中に木霊する静寂のように壮厳な響きが生まれる。

 精霊信仰が根付く西大陸においては、初歩の初歩である基本の呪い。だが、その流れるような美しい言葉の響きを初めて聞いた時、ラテリウヌは雷に打たれたように動揺したのだ。そして、それを修めようと船に乗り、遥か南西の迷宮街を目指したーーのが数ヶ月前。

 

 

 杖の先から、ふよふよと泡が飛んでいく。

 指で触れると、すぐに割れてしまった。通常、思考能力の低い魔物への目眩しに使うもので、直接的な攻撃性はない。

 オドが空気に溶けていくのがわかる。マナに混じって、大きな流れへと返っていくのだ。


「綺麗だな」


 何も考えずに突っ立っていると、いつの間にか横にローゼリカが立っていた。


「ローゼリカさんって、魔術に心得はあるんですか?」

「いや、別に。昔の仲間に呪い使いがいただけ」

 

 聞いてはいけないことだったかもしれない。口を結ぶと、ローゼリカは困ったような顔をした。

 

「そいつは、し、死んでない……最近の、ことだし。故郷に帰っただけで……」

「あっ、そうだったんですね。私ったら早とちりを……」

「私も、よくある。勘違いで、人に迷惑をかけたりなんていつものことだ」

「そうなんですね、なんか意外だなぁ」

「ああ。でも、仲間に助けてもらって、今の自分がある──」

「私もなんですっ! 本当にみんな、いい人で! いっぱい頑張って、支えてくれて。特に、ディメオラとは国からずっと一緒だったので……」

 

 熱弁するラテリウヌを見て、初めてローゼリカは笑った。こんなに大声を出したのは久しぶりだったと、ラテリウヌは思った。

 

「あぁ、そんな付き合いだったのか。なるほど」

「そうですよ。私とディメオラはすっごく仲良しなんです」

「そんな人がいて、よかったな」

「ローゼリカさんにはいないんですかね? 相棒って呼べる人は」


 彼女は考え込むように黙った。


「……相棒。というより、私の保護者は沢山いる」

「おい、そろそろ出るぞ」


 岩影の向こうから、ディメオラの呼ぶ声がした。

 

「そろそろ、いきましょうか」

「ああ」


 二人は立ち上がり、仲間の元へと合流する。

 

「ねー、ねー、さっきガールズトーク、何してたのん?」

「内緒です!」

「わーっ! いいなぁ! 次は私もそっちに行こーっと!」




 一行は、女王が守る塚へと向かった。


 一階層の北東に位置する蜂塚の中、一番奥。侵入者から身を隠すような狭い穴を抜けた先に「育児室」はある。女王蜂が産んだ子供たちを育てる部屋で、ここには良質な餌がある。ここまで到達するまでに様々な罠や障害、敵襲があったが、どうにかしてたどり着くことができた。


「殺せ、されど虐殺するな」


 これは子孫が育って新しい「餌」になるために必要なことだ。だから、ある程度は殺さず、数を残しておく必要がある。

 なので、一行は侵入者を排除せんと襲いかかってくる兵隊役の蟻以外は殺さず、生かしてここまで進行してきた。


 布陣は変わらない。全員が緊張した面持ちで前方を見据えていた。


 ここまで築き上げた蟻の尸の匂いを染み付け、女王の怒りは頂点まで達していることだろう。


 まさかここまで進めてしまうとは、とローゼリカは驚きを隠しきれないでいたが、やるしかないと己を奮い立たせた。


「ラテリウヌが使う魔法が切れたらすぐ撤退。誰かが倒れる前に撤退する。とにかく……逃げ道だけは頭に入れてあるな」


 大事なのは、いかに倒すかという技能ではなく引き際である。

 引き際を見極める冷静な思考こそが、迷宮に挑むにあたって最も肝要な事だった。


 ローゼリカは、引き際の見極めに関しては自分は全く役に立たないと思い込んでいた。

 実力に見合わない敵に殺されるおおよその原因は、冷静さを欠いた事だ。

 このメンバーで倒せるのか、向こうの攻撃性は未知数であり、情報は無に等しい。


 手で「待て」と合図して、一人で塚の中に足を踏み入れた。中は明るく、壁一面に規則的に穴が開いていた。中には綿のようなものが詰まっていて、おそらく幼虫を守っているのだろう。


 全長3メートルはあるであろう。黒光りする体にゾワゾワと鳥肌が立つのがわかった。生理的嫌悪感というやつだろうか。もしくは、単純な恐怖か。

 ゆらゆらと小刻みに揺れて、


「こい」と手招きすると、残りのメンバーが恐る恐るといった様子で入ってくる。


 おそらく向こうはこちらに気付いている。

 こちらが飛び込んできたところを薙ぎ払う気だ。

 奇襲を仕掛けることは難しいだろう。一歩も動けない緊張感の中、ラテリウヌだけが無言で詠唱の準備をしていた。

 女王から仕掛けてくることは、ない。

 幼虫を守るための防衛行為しかしてこないのだ。


 事前の打ち合わせでは、こうだ。

 まず、ラテリウヌがサラマンダーを呼び出し、火で女王蟻の注意を逸らす。幼虫を燃やさないように、極めて微量の魔力を込めて呪文を発動したら、あとは切り掛かって殺す。それだけの単純な戦法。


「焔よ!」


 呪文の詠唱を終え、杖の先から一本の矢のような火柱が噴射された。

 

「かかれっ!」


 女王は前足を大きく振りかぶった。ローゼリカはそれを体を捻って回避すると、素早く後ろへさがる。

 炎が女王の目を掠めたので、それは明確な攻撃というよりは、痛みに悶えたための行動だろう。


 変わって前に飛び出してきたのは、ヒエンだった。

 刃渡り50センチの刀「白波時宗」を抜いた瞬間、女王の前脚は切断されていた。


「はあ!?」


 しかし、切断された脚の断面から、すぐさま新しいものが生えてきたのだ。


「蜥蜴の尻尾かよ」


 レスフェルが小さく呟き、攻撃を盾で受け止めながら、後ろに向かって叫んだ。


「ねぇ! これどうする!?」

「脚か!?」

「私もう頭一個受け止めるだけでいっぱいだよ!」


 脚以外にも、牙を使って食いちぎらんばかりに激しく動いていた。

 ヒエンはそれを必死になって避け、隙を伺っている。


「もう一回切って! 私が断面を焼くから!」

「俺が毒を打ち込む!」


 ディメオラが矢筒からとっておきのそれを抜き、狙いを定める間に、ラテリウヌは再び呪文を詠唱し始めた。

 ローゼリカは詠唱の声に耳を傾けながら、女王の挙動を観察する。


(ーーあ!)


「左脚の付け根!」

「応!」


 ディメオラの放った矢が、ズプリと突き刺さった。

 女王が怯んだすきに、ヒエンが脚を真っ二つに切断する。


「ラテリウヌ!」

「……」


 彼女が小声で何かを囁くと、じうという音がして、脚の断面が焼けただれた。


「でかした!」


 焼いた先から新しく脚が生えてくる、ということはなかった。

 しかし、脚が再生しないと理解したのか、女王はいきなり上半身を大きく振りかぶった。動きに対応できず、ヒエンは弾き飛ばされた。刀が手から滑って、他の脚に弾かれ、遠くへと飛んだ。


「は……」


 それは空中を滑り、女王の真後ろに突き刺さった。


「ぐ……うぅ……」


 腹を抑え、呻いてみるも痛みが引くことはない。肋骨か、胸骨をやられたのだろうか、と痛みの中でも冷静に対処を試みるが、どうにも脳が働かない。

 脂汗が額に滲み、ヒエンは周りがどうなっているのか、誰が何を喋っているのか全く聞き取ることができない。


「ヒエン!」


 レスフェルがヒエンを庇うように攻撃を受け止めるが、激しくなっていくそれにいつまで耐え切れるかはわからない。槍をで女王の攻撃をいなしているが、大して効果があるとは思えなかった。

 何本矢が突き刺さろうと、効果はない。呪文を唱えようとラテリウヌは再び意識を集中させるが、どうにも焦ってうまくいかなかった。


(嘘、ヒエンさんってすごく強かった……だって東の武士だって聞いたから……あの人の剣が一番効果があったーー私の魔術はどう? でも、もうあと二回使えたらいい方だしーー女王、どうしよう……置いて逃げれない……ローゼリカさん……あの人も大した攻撃はできない……ディメオラの矢は気休めだし……私が、頑張らないと……)


 焦りが強くなるほど、呪文の威力は落ちる。

 ふと、ラテリウヌはローゼリカの方を見た。


 ナイフ程度では、硬い女王の体を傷つけることはできない。

 女王の攻撃を後ろで必死で交わしている。その顔は焦りが見えていた。


「なぁラテリウヌ、癒術って使えたか……」


 隣で狙いを定めているディメオラが、そう尋ねた。矢筒の中身は少なくなっている。


「癒しの術は……」

「医術か!?」


 ほんの小さい声で呟いたのにも関わらず、ローゼリカはそれを聞き取り、叫んだ。


「ラテリウヌ! 使えるならとっと使って!」


 レスフェルがヤケクソに叫び、全員の視線がラテリウヌに刺さった。


(癒術ーーあぁーー)


 ラテリウヌはヒエンの顔をみた。青白い顔で、今にも気絶しそうなのを必死で耐えている。


(やればここから、逆転できるーー?)


 ラテリウヌは深呼吸して、杖を掲げた。


「ディメオラーー皆さん、手伝ってください!」


 医術と癒術という二つの術の仕組みは似ている。体内に流れる魔力を操作し、体の怪我や病気を治療する。そんな魔術だ。

 ただ、便利な技術には対価が必要である。

 この魔術というのは、使用すれば使用するほど受ける側の免疫や自己治癒力が落ちていく。つまり、使えば使うほど、治りにくくなる上に病気にかかりやすくなるのだ。それがなぜかはわかっていないが、一説によると、他人の魔力を流されると、体内のそれと反発し合うからだとか。


 それでも人はそれに頼る。迷宮を冒険する探索者や、兵士にとって、医術とはなくてはならないものである。瀕死の人間でも即座に回復するこの魔術は、国によっては禁止されることもある程ではあるが、何分便利であるので、需要は星の数ほどあるのだ。


「……大丈夫、できるよ」


 己に聞こえるようにだけ小さく呟いた。


「大丈夫だ、お前ならやれるーーこいつらならいける」

「うん……」

 

(いつの間にか、ディメオラは頼れるようになってしまった……)


 他のメンバーは全員、女王の視線をヒエンから引き離そうと必死で動き回っている。

 

 意識をヒエンの魔力に乗せるため、再び意識を魔力波に集中させた。



 

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