第22話


 ローゼリカが寝て起きたら、時計はもう午後三時をまわっていた。

 いつものマットで寝たはずなのに、体の節々が痛い。床に投げ捨てられた革鎧に、重たいブーツが散乱している。

 もうすぐ子供たちが帰ってくる時間のはずだ。

 今日はもうやけになってしまったが、ずっとこうしているわけにもいかない。水道から出た冷水で顔を洗い、階下へと戻った。


「ロゼ、ちょっといい……?」


 ちょうど部屋から出てきたクーゼリアが、ドアを開けて手招きする。

 誘われるがままに入ると、中の寝台で寝ていたアランが起き上がっていた。

 寝台の横の椅子にはヤルキンが座っていた。


「はい、アランさんは大丈夫よ」

「ローゼリカさん、ヤルキンさん、この度はありがとうございました」

「まぁ……無事だったのなら別に」

「気にしないでくれよな」

「脳震盪だよ。まぁ、しばらくは安静にね」


 迷宮での格好のまま寝台に寝転がっていたので、シーツが汚れてしまっているだろう。それでも、どうにか意識が回復してくれて助かった。


「……今日は俺が先走りすぎましたね。すみませんでした」

「私も、たまにそういうことあるし……最近やけくそになっちゃってさ」


 いろいろありすぎたのだ。ちょっと疲れて頭がおかしくなっただけだ。


「……俺の母が迷宮病に罹患していたとは、想定外でしたね。迷宮病は外見に症状が出ることが少ないので、専門家じゃないと気づかないでしょう。厄介だなぁ、子供は親のことがわかるってのは本当じゃなかったみたいだ」

「アランさん、もう明後日には蘇生式が行われるらしいです。それに……この救児院も取り潰しになるかもしれなくって」

「そうですか」


 何かを考え込むような表情で、アランは俯く。


「つまり、この救児院が解体されるんですか?」

「支援が打ち切られるんです……支援が打ち切られれば何もできないし、子供たちは精霊協会に引き取られてしまうので、どうしようもないんですよ」

「……新たに代表者を立てれば、どうにかできるのでは?」

「誰も何もできませんよ。無駄ですって」

「金は、どうにかなるかもしれないですよ」

「え?」


 ローゼリカは思わずアランに詰め寄った。


「前の死体ーー報酬が入ったんですよ。見ました?」

「あの、あのやつか? ユウゼンの……」

「ええ、かなりの額が。これだけあればしばらくは持つんじゃないですか」


 寝台の横の雑紙に鉛筆を滑らせ、その額を提示する。


「は、全部、くれるって!?」


 書かれたのは目を見張るような額だった。

 毎日迷宮に入って稼いでも、ここまでの額にはならないだろう。


「どうせ持っても使えやしませんよ。俺はもう、必要最低限でいいんです」

「お、おい……そんな額もらっても私たちは何もできないぞ」


 アランがこれだけもらったということは、ローゼリカにも同じ額が振り込まれているという話だ。


「いいですから、とっておいて」

「アランさん、そんな……」


 どうして。

 どうしてここまでやろうとする。

 自己犠牲にもにた精神だ。

 どうしてここまで他者に分け与える。


「そんな大金、受け取れない……それに、金があってももう駄目だと思う」


 有罪は確実だろう。どのような理由であれ、法を犯せば罪を償わねばならない。


「そもそも、組合が悪いでしょう。迷宮に稼ぎに行かないとろくに孤児院を運営できないだって? はっ、馬鹿らしい」

「それは、言う通りだけど……前は助成金も出なかったんだ。だから、精霊教会が運営しているところに子供を預けるしか無くて……」

「……この救児院、いつ頃からあるものなんですか?」


 クーゼリアに目配せした。


「私にも、わからない……」

「俺も知らないな」

「そんなに不透明なんですか?」


 アランが驚いてそう言ったので、三人は苦虫を潰したような表情を浮かべた。


「前に会った人……ここの卒院生での最高齢は50歳くらいだった。だから、少なくとも3、40年前からは存在しているはずだ」

「大抵、救児院の成り立ちなんて知らずにここを出ていく。ただ、いつ、誰がこれを始めたかは誰も知らない。院長先生の歳から考えて、もっと前には先代の代表がいたはずだけどーークーリャは知っているか?」

 

 先代の院長のこと、この救児院自体の成り立ち、全て誰も知らなかった。


「資料を当たればわかるかもしれないね……組合の予算が出た年代あたりがそうじゃない?」

「卒院生で、誰かここの代表者をやってくれる人はいないか? 探せばいると思うんだが」

 

 アランは、この施設を、この環境を維持しようとすると急に饒舌になるのを見て、他人事であるが故に面白いと思っていた。

 なぜ自分があのように突発的な行動をとってしまったのかは、うまく説明できない。なぜかそうしてしまった、としか言いようがないのだ。

 この人たちは、今まで見てきたどの人よりも面白いかもしれない。

 後遺症で、おかしくなりそうな耳鳴りを聴きながら、そう感じた。

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