第19話
一階層の中央に広がる湖には、探索者を引き摺り込まんと待ち構えるありとあらゆる罠が施されている。しかし、湖の中央にある小島は貴重な魔鉱石の採掘場所になっている。
水底には数多もの探索者の死体があり、それはセイレーンの歌声に騙された者だったり、藻に足をとられた者だったりするのだ。
初めて訪れた時には、まるで地平線の先まで広がっているかのように思えたが、二度目三度目になると目が慣れてくる。それほどまでに大きいわけではない。
水中呼吸ができる種族ーーウンディーネやらシルキーなどの独壇場だ。
もうすでに、シルキーの男が海豹の皮を被ってそこに飛び込んでいた。海水ではなくてもうまく泳げるのだろうかと他人事ではあるが、心配になった。
「ここが遺体のある場所ですか」
中央の小島から30メートルほど離れた岩の間にあるらしい。おそらく向こう側に行こうとして、魔術が切れたか足を取られたかして溺れてしまったのだろう。
おおよその場所がわかっているだけましではあるが、ややこしい場所で死んだ場合、死体も面倒なことになっていることが多い。溺死体というのは水の分重量が増えるし、見た目も気持ち悪いのであまり見たいものではなかった。
ローゼリカは浮遊や水上歩行の魔術をかけてもらおうと魔術師に群がるように形成された列の後ろに並ぼうとしたが、やめた。
「あぁ、ダメだ。遠すぎる」
水面を走って取りに行くには遠い距離だった。行きはいいかもしれないが、遺体を拾って戻ってくるまでの間に効果が切れてしまうだろう。
「ここはもうしまいだな」
「え、行かないんですか?」
お預けされた子供のようにアランが声をあげた。
「死体にも興味が?」
「研究者ですから」
今にも飛び込んで泳ぎ出しそうだった。
「いや、無理だろ。だってあんなに離れているんだ。アランまで死なれちゃこっちとしては打つ手なしだ」
「その点はご安心を。言ったでしょう? 俺は混ざり物だって。ローレライの血も混ざってるんです。だからこれくらい平気ですって」
そう言って彼は水面の上を走って行ってしまった。
「行動力は評価できるが……」
風のように消えて行ったので、この言葉も聞こえていないだろう。
「湖に落としてください! って言われるよかマシだな」
なにもすることがないので陸地に座り込んで帰りを待っていた。
「セイレーンだ! セイレーンが出た!」
誰かが叫んだ。セイレーンの歌声を聞くと、惑わされ、自ら水の底に落ちてしまう。
セイレーンの姿はここからはっきり見ることができた。美しい女性の姿をしているが、ただの魔力の塊であり、生物というよりは精霊に近い存在だ。どのようにして繁殖しているのかはわからない。殺しても殺しても生えてくる。まるで雑草のような存在だ。
二人は耳を塞いだ。
対岸まで聞こえているのだろうか。すでにアランの姿は小粒ほどに遠くなってしまい、気づいているのかわからない。
「アラン! セイレーンだ!」
精一杯の大声で叫んでみたが、届いているのだろうか。
わずかにではあるが、セイレーンの美しい歌声が耳の中に入り込んでくる。
ごまかそうとここにいる探索者は全員、叫んだり意味のない言葉を言ったりしてごまかしていた。
湖一帯に木霊するその声は、無差別に人を誘惑する。
耳栓を取り出す暇がなかった。いつ使うかわからず、奥にしまっておいたからだ。塞いでいた手を離せば、歌を耳に入れてしまうことになる。
しばらくして、歌はやんだ。
歌い終わったセイレーンが消える前に、誰かが矢を放った。一際甲高い声をあげ、それは沈んで行った。
どうやら一匹しかいなかったようで、他のセイレーンが反撃にくる気配はなかった。
ローゼリカは魔術師の中に割り込んで叫んだ。
「急ぎで頼む! 仲間が向こうに行ったんだ……」
魔術を施され、少し恐ろしい気持ちはあったが、水面に足を踏み入れると、沈む様子はなく、ゆらゆらと揺れる水面を走ることができた。
水面はゆらゆらと揺れていて、足場としては不安定だが、鍛えられた体幹はこの程度で揺らぐわけがない。
全力で走って岩場まで駆け寄ると、アランは胸元まで水に使った状態で倒れていた。
湖の底から何かがそれを引っ張ろうとしていたので、ナイフで切断した。
かろうじて息はしていた。気絶しただけのようで、ローゼリカは安堵した。
頭を打ったのだろうか。下手に動かしてはまずい。
慎重に、上半身だけを起こした。
唇の端から水が溢れていた。
長い髪が濡れて、海藻のように顔に張り付いていた。
抱き抱えて持ち上げると、思いの外軽かったので驚いた。
手がほっそりとしていて小さく、外套の中身も痩せているのだろう。
魔術が切れる前に戻ろうと足を水につけると、着地せずに浸ってしまった。
思わず心臓が高鳴った。
魔術の効果が切れたのだ。
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