第13話
組合から救児院までの道には、宿屋や商店が軒を連ねている。途中の菓子屋で手土産に焼き菓子の詰み合わせを購入し、かわいい紐や遊び道具も少し買っていった。
「今日は豪勢だな」
「たまにはこういうのも持って帰ってやらないと」
最初の頃は、迷宮の中の石や魔物の羽を持って帰ってやっていたのだが、クーゼリアが感染症や菌の心配をするのでやめてしまった。
「ただいまー」
「お邪魔します」
ちょうど昼食の準備をしていたので、厨房の方が騒がしい。
「空き部屋に外套掛けがあるから使ってくれ」
「ああ、助かる」
(やっぱり、ここが一番だな……)
使われていない個室に入り、服を脱ぐ。
どの部屋もきちんと清掃が行き届いているので、埃臭い匂いや黴はなかった。
今は貸し部屋に下宿しているが、小さい時に過ごしていた救児院には時々帰りたくなる。 壁や寝台をよく見ると、子供が引っ掻いた傷や鉛筆の跡が残っていて、どこか微笑ましい気持ちになった。草緑色の壁紙は、新しく張り替えられていたのか、ヤルキンがいた時とは違った色味をしている。
壁をなぞると、ざらざらとした触感が伝わってくる。壁の柱には、子供たちの背の高さのところで傷が付けられていた。
(あ……この名前)
無数の傷の中に、見知った名前があった。
昔、一緒の部屋で寝た仲間だ。
彼もまた、鎧を作る職人になり、ここを出ていってしまった。
(元気にしてたらいいな……ちゃんと、勤め上げろよ)
連絡を取ることは不可能ではないが、向こうも向こうで忙しいだろうと遠慮していた。
たまには手紙のやり取りをしたり、休日に遊びに行ったりしてみたい。
(ま、これも俺が探索者として落ち着いてきたら、だな)
階下に降りると、厨房へと向かう。
「お、戻ったな」
前掛けをつけたローゼリカと、クーゼリア、そして子供たちが芋の皮を剥き、火を焚き、生地をこねたり野菜を洗ったりと忙しそうに動いていた。
「ヤルキンさん、お久しぶりですね!」
「あぁ、相変わらず元気そうで嬉しいよ」
「悪いが、手伝って欲しい。ちびたちが刃物を使ってるから、怪我をしないように見張っていて欲しいんだ」
「あぁ、もちろん……いや、なんだか懐かしいな」
ヤルキンは昔を思い出し、少し嬉しくなった。
まともに料理をするのは久しぶりだった。今まで、賄いか食堂の料理しか食べてこなかった。
クーゼリアも、ローゼリカも、二人とも保護者らしく成長している。泣き虫だったクーゼリアが、こんな大人になって、ローゼリカもまだまだ子供らしいところはあるが、子供の扱いが手慣れていた。
手を引き、夜中に便所に連れて行ったこともあった。
ローゼリカとは救児院での付き合いは薄かったが、それでも何度か世話をしてやったこともあった。
夜尿の処理をしてやったり、散歩にいったこともあった。懐かしい。今では全てが懐かしい。
「あ! お兄ちゃんだ!」
「迷宮から帰ってきたの?」
「おっ、みんな久しぶりだな! ちょうど今帰ってきたところだ。さて、兄ちゃんは何をすればいい?」
「えっとね、漬けておいたこれの味見と、あとは皮むきもやって欲しいかなって」
「わかった。みんなも怪我をしないようになー」
久しぶりに包丁を握ったのだが、皮がスルスルと剥けると気持ちがいい。剥いては水につけ、同時に子供たちが危なっかしい持ち方をしていないか、喧嘩をしそうではないかと気を配る。
「今日はなんだか多くないか?」
「学校組がいるからね」
「そうか、休みか」
(俺がいた時よりも子供が大人しいな)
そもそも、救児院にいる子供の数が、昔に比べて減っているような気がする。
気がする、というか確実に少ない。昔はこれの二倍はいただろう。
救児院の施設も空き部屋が増え、持て余しているような気がした。
(これがいいのか悪いのか、どうなんだろうな)
余計なことは考える必要はないだろう、と作業を続けた。
年長者がいるからか、目立った諍いもなく、無事に昼食が完成した。
「はい、みんな手を洗って!」
水道に向かって全員が駆け出す。長机の上には温かい、作り立ての昼食が並べられている。
「……ヤルキンがいてくれたから、早く作れたよ」
前掛けを外し、ローゼリカは笑った。
「いや、礼はいいよ。……しかし、いつもこの人数を一人でやってたんだな」
「でもうちらの代はさ、もっと多かったから院長先生はもっと大変だったろうね」
「そうだな」
ローゼリカはヤルキンに目配せした。
「言っていいのか?」
「私から伝えるより、いいと思う」
「そうか」
「なに? どうしたの?」
「院長先生だが、迷宮で死亡しているのが見つかった」
クーゼリアの手が小刻みに震えている。
「あ、嘘……そんな……」
俯き、額に手を当ててわなわなと震え出す。その後、落ち着こうと必死に深呼吸を繰り返した。
ローゼリカは水を差し出した。クーゼリアはそれをグイッと飲み干すと、真っ赤になった顔のまま、声なき声を上げる。
「クーリャ、大丈夫だ。新しい仲間が、蘇生術の使い手だから、金の心配はいらない」
「いや……それだけじゃないでしょう! 先生は、どこで見つけたの!?」
「二階層の野営地だけど」
「二階層まで行ったの!?」
予想はしていたが、クーゼリアの慌て方はかなり激しかった。
昔から、心配症で慎重な彼女のことだから、こうなることはおおよそわかっていたが、少し面食らってしまう。
「死因はわからない。けれど、とにかくちゃんと見つけたから……」
「そう……そうなの……えぇ、なるほど……で、ちゃんと生き返るのよね? ちゃんと」
「多分」
「多分!? 十割って言いなさいよ! 確実じゃないって、本当に……気が触れそう!」
こうして話していると、子供たちが水場から帰ってきた。足音が聞こえると、さっきの混乱が嘘だったように、クーゼリアは普段の落ち着いた雰囲気に戻った。
「……待って、後でゆっくり話をしましょう」
「わかった」
「すまない、急に話をして」
「……いいえ、いいの」
クーゼリアが姿勢を正し、席に座る。
「はーい、みんな静かに!」
子供たちは喋るのをやめ、小突きあっていた子供や、体を揺らしていた子供も動きを止めた。
素早く子供達の数を数え終えると、ベルを鳴らして、再び叫んだ。
「全員いるね? じゃあ、食べていいよ!」
クーゼリアがそう言うと、子供たちは一気に食事にありつく。途端に、雷雨のような喧しさに包まれる。
驚き。それと同時に、少し切なくなった。ノスタルジア、とでも呼べばいいのだろうか。ここを出てから、飯時はずっと一人だった。こんなに大勢と食卓を囲むのは、久しぶりのことだ。家庭の温もりに飢えていたのは、この院を出てすぐのことだった。
「お兄ちゃん! 迷宮の話してよ!」
「ロゼ姉ちゃんとクーリャ姉ちゃん、どっちと結婚するの?」
「食べ終わったら、剣の稽古つけてよ!」
先ほどの子供たちに、また絡まれた。
パンをちぎり、一口大にして口の中に放り込む。
子供たちに語ってやれるような冒険譚など、持っていない。
それに、アランの話をするのは刺激が強すぎるだろう。
ヤルキンは、人に話して聞かせる、というような行為が苦手だった。
同時に、想像して話すのも得意ではない。
だから、昔に聞いた探索者の話を、それなりに噛み砕いて語るしかなかった。
「……」
クーゼリアは、口からスープをこぼした子供の口元を、布で拭ってやった。
隣の妹分を見ると、呑気な顔で不揃いな形の芋を突っついている。
「昔っからこうね、ロゼは考え込んでるとご飯ちゃんと食べないから」
ローゼリカは黙ったままだった。
果実水を飲み干し、新しく杯に水を注ぐ。
皿の上の料理はチマチマと減っているようだが。
「ねぇ、ちゃんとご飯食べてる?」
「ん……まぁ」
「嘘ばっかり。携帯食の袋、塵箱から出てきたんだからね」
ローゼリカは、ボソボソと何か呟いた。
「え、なんて?」
「……ん」
よくよく口元を見てみると、「ごめん」という形に動いていた。
「ごめん? あぁ、大丈夫。怒ってないよ。ただ、心配なだけ」
「クーリャ、忙しいのに、あんまり帰って来れなくて、ごめん」
耳と眉が下がって、見るからに落ち込んでいる。
「もう、そんなのどうだっていいの! それよりも、ほら、ちゃんと食べて」
そう言うと、素直にソースがけの肉を口いっぱいに頬張る。
「うまい……」
思わず笑ってしまうような食べ方だが、向こうが泣きそうな顔をしていたので、何も言わなかった。
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