第9話

 ――――ひとまず、最悪の事態は回避した。なんとか。

 本当に協調性のない二人だ。感情的で、勢いだけの二人。学者は理論派が多いと思っていたが、やはり何事も合理的にことを運べるわけではないのだろう、研究するだけの機械なのではなく、彼もまた人間なのだから。

 こういう無鉄砲な感情論者は若い探索者に多い――――というか、若者が集まってグループを作って、そこで命を預け合うであるとか、金儲けをするとなるともめ事が起こらない方が不自然だ。

 争いを好まないタイプの温厚な人間は、そもそも迷宮に入ろうとすら考えないだろうし。

(……俺がどうにか間を取り持たないと、崩壊するな)

 目先のことに意識を逸らし、騙し騙しでやっていくしかない。

 どこのグループだってそうだ。ここが特段荒れているわけではない。

 悪い二人ではないのだ。それは、よくわかっている。

(ローゼリカはまだまだ子供だし、アランは底が見えない。俺って、もしかして変人二人にぶち当たった……? 貧乏くじってやつか?)

 二人とも技術がある分、コンビネーションに期待できないことが残念でならない。前はこんな風じゃなかったのに……、と嘆きたくなるが、出会って日が浅いくせにすぐ揉めたのだから、思い出も何もないのだった。

 もっと人数を増やせば討伐隊として、迷宮探索の最前線に潜ることも難しくないかもしれない。少なくとも、贔屓目を抜きにしても、この二人はそれができるだけの資質があると思える。

 しかし、それも夢のまた夢であり、現実的とは言い難い。

 それにそもそも、別に二人はそのためにここにいるわけではない。名声よりも、明日の飯のため。仕事としてここにいるわけなのだから。

(い、いかん……! 現実逃避が……!)

 夜寝る前の空想ではないのだから、今現実でおこっていることを考えなくてはならない。考えるにしても、目先のことが一番重要。それができていなかったから、一度しくじって死んでしまったのだということを、ヤルキンははっと思い出した。

 …………もう二度と窒息死はご免だ。自分が死ぬときの感覚、アレを知ってしまったせいで気が狂った人間を何人も知っている。

(あー、おっかねえな、この場所は!)

 ……それでも、自分で選んだ道なのだから腹を決めて、気張っていくしかない。

「アラン! 後衛はもっと後ろについていてくれ!」

 最前を歩くローゼリカが呼ぶ。三人は、まっすぐな道を一列で、一定の間隔を空けながら歩いていた。最後尾を担っているのはアランである。後ろからの不意打ちに一番早く対処できそうだから、という理由で選ばれたのだが、実際にそんな状況が来ない方がいいとは思う。けれど、転ばぬ先の杖――可能性はできるだけ多く見積もっておいた方がいい。

「……了解」

 背後を振り返っても、キャンプが見えなくなった。

 出立してからしばらく歩き、火蜥蜴数匹を相手にした後、一行は三本に別れた通路に差し掛かった。

 先の戦闘では、連携が乱れて大怪我を負うであるとか、お互いのやり方にケチをつけて場の空気が死ぬだとか、いろいろと妄想しては肝を冷やしたが――とりあえずは問題なく、今のところ順調に探索は進んでいる。

「真ん中……と見せかけて左とか?」

 ローゼリカが通路を一本づつ調べている間、二人は暇を持て余していた。

 聴覚と石を投げた時の感触――などで大体がわかるらしいが、斥候の訓練を受けていない身からすべれば、何がなんだか理解することは難しい。とにかく邪魔をしてはいけないので、耳に顔を近づけてヒソヒソと会話するくらいしかやることがなかった。

 地図を片手に行く先を偵察する姿を見て、やはり昔のままではないことを痛感する。

 いっぱしの探索者としてプロの仕事をしている姿に、昔の小さな子供だった頃の姿を重ねて、どうしても感動してしまう。一々感動していてはキリがないので、とりあえず横にいるアランに会話を振ることにした。

「警戒って言ってもなんにもねえよなあ……」

「そうですね。この辺り、生き物の気配が全くしませんし」

「慎重に慎重を重ねるのは、まああいつらしいっちゃらしいけど、ちょっとは息抜きしないとしんどいよな」

「まぁ…………、二人だけでやってきたのですから、気持ちはわからなくはないですよ」

 大人数には大人数の、少数には少数の悩みというものがあるものだ。

(そういえば、アランも学術院のところから抜けて一人でいたんだっけな……)

 断片的なことだけしか聞いていないので、推察でしかないのだが、恐らく何かしらのトラブルが原因で出て行ったのだというニュアンスの話を……していた気がする。

 学者なんて気難しい連中の集まりだろうから、彼が人間関係で難儀しそうなのは…………、正直納得できてしまった。

「俺は右だと思う。なんとなく、だけど」

「俺は左に百賭けますよ」

「…………」

「え、そんなに驚きます?」

「いや、賭け事とかそういうのって嫌いなのかなーとか、勝手に」

「たまには探索者らしく、ね。酒場と違ってイカサマができる相手でもないですし」

「乗った。ギャンブルはたまの息抜きにちょうどいいからな」

「こっちだってびっくりしてますよ。断れられるかと思いました」

「この剣は、博打で手に入れたものなんだ。そうじゃなかったら、俺がこんな良いもの持っているわけがないだろ?」

 それは子供の頃、歳を偽って入場した賭博場で探索者から巻き上げたものだった。

 骨を断っても堅い岩に打ち付けても傷一つつかない頑丈な刃――それに、拵えも上等で数百年前の古物なのではないかと睨んでいる。

「鑑定書がないから製作者はわからないんだけど、珍しい乱れ刃なんだ。元の持ち主はサフェニアって呼んでたんだけど、これの名前じゃなくて、きっとそいつの恋人か何かの名前だな。あいつ、そういう顔してた」

「へぇ、サフェニア……精霊と最初に交わったとされる女性の名前ですね」

「そうなのか? じゃあ、あの探索者は精霊教の信奉者だったとか……?」

 詳しくは知らないが、西大陸全土に信徒が存在する教会が崇め奉っている女の名前が確か、それだった気がする。

 自分の獲物に信仰対象の名前をつけることは、別におかしなことでもないだろう。

「今では女性の名前として比較的ありふれたものですからねぇ。恋人の名前という説もあり得なくはないと思いますけど」

 恋人、というワードがこの男から出てくると、なぜかドキっとしてしまう。恋とかそういう意味ではなく、こいつも社会常識とか一般的な恋愛という価値観を話題に出すのか、という失礼な思い込みの痛いところを突かれたというか――そっち方面で。

(こいつもそういう相手、いるのか? ……………………いないだろうなぁ)

 改めて、アランの顔を見てみる。確かに、院長先生に似ている。目元の辺りなんかは、特にそっくりだ。

 顔だけは、顔だけは本当に綺麗な造りをしている。種族や文化ごとに美しいとされる基準が異なっているのはわかるが、こいつの顔は美しさの最大公約数的というか、誰にでもそれと伝わるような、美術品のような姿をしている。

 あの親にしてこの子あり、といったところだろう。本人にとっては嫌なことかもしれないが、絵のモデルにもなっていた女性と瓜二つの外見なのだということは、正直に言ってうらやましい。どうしても、自分の無骨な顔立ちと比べてしまう……。子供に怖いとか言われるし、黙っていたら怒っているのではないかと勘違いされたこともあるし……。

「俺の顔、何かついていますか?」

 アランが近寄ってくる。背も――母親に似て――すらりと高い。そして、近くから見下ろされると変な威圧感があった。

だ。

 院長先生にそっくりなのに、見比べるまでそれと気づかなかったことが不思議で仕方ない。

「いや、なんでもない……」

「まぁ、気になるのはわかりますよ。いきなりあんなこと言って、驚かせてしまったでしょう。混乱するのは、普通のことです」

「……あぁ、ローゼリカは特に院長先生のことが好きだから。それに、まだ子供だし……先ほどのことはあまり気にしないでくれると助かる」

「別に、いいですよ」

 淡々とした言い方だった。

 怒っているのか気にしていないのか、どちらとも取れる口調だった。

 こちらの肝は冷えっぱなしだ。

 ……こんな優秀な探索者、他にはいない。逃したくない。だからといって、気を使いすぎるとかえって逆効果になるのではないか、とか。

 不相応な相手の気まぐれで付き合ってもらっていることだ。できれば期限は損ねたくないし、媚びを売る……という言い方は好きではないが、とにかくこちらに好印象を持っていてほしい。ほかに渡したくない。

 それでもやはり、背中を預ける相手として聞いておきたいことはたくさんある。ローゼリカのいない間に、多少は聞き出せるのではないだろうか……。そんな淡い期待を抱き、なるべく緊張を表に出さないように精一杯の笑顔を作って肩に手を回す。――ラッキーなことに、抵抗する様子はない。

「……これはどうでもいい、ただの戯言だと思って聞いて欲しいんだが、もし、あの死体を生き返らせたらどうする?」

「……質問の意図がわかりません」

 今まで聞いたことのないような、冷ややかな口調だった。

 ――ヤバい、怒らせたかもしれない。

 おそるおそる顔色を窺うが、いつものような微笑を湛えたままだった。

「基本的には、何も。ですが、どうして俺をあんなところに置いていったのか理解に苦しむので、それについては聞くかもしれませんね……。まさか、俺があの人に何かしようと思っていたなんて考えたんじゃありませんか? そうだとしたら、すごく愚かな勘違いだ」

「あ、はは……そうか。悪いな、俺も親がいないから、もし会えたとしたら色々と聞くかな、と思ってな」

「そうですか、ぜひ質問攻めにしたらいいと思いますよ。きっと答えてくれるでしょうからね」

 …………矢張り思う所が多いのだろう。深掘りしたら、思わぬところから刺されそうな感じがする。

 これ以上続けてもあまりいい会話はできなさそうだ……。かといって沈黙しているのもあまりいい選択肢ではないかもしれない……。などと悩んでいたところ――。

「おい、右から行くぞ。どの通路も先は竜の巣だが、右が一番安全だと思う」

 ローゼリカが頬を煤で汚して戻ってきた。

 ――助かった!

 この空気の中で二人きりというのは、実は三人でいるよりも気まずかったんだよ! と叫んでやりたい気分だった。…………露骨にテンションが変わったと向こうに思われたくないので態度は普通にしておかないといけない。

「了解です。右ですね……。侵入した後の手順は?」

「三時の方向に遺体が一つあった。きちんと確認した訳じゃないが……、恐らく目当てのブツだ。そいつを拾ってずらかる。それだけだ。遺体は私が担ぐから、二人は援護を頼む。竜が仕掛けてくるとしたら後ろからだから、私が先頭で先導しながら突っ切る」

「俺が障害を壊すから、アランは流れ弾を弾くのに集中してくれ」

 護衛に関しては、防御障壁などが作れる魔術師にやってもらった方が安全だろう。

 アランが黙ってうなずくと、三人はお互い目を合わせた。これが、最初に行う本格的な仕事で――、ここで上手くいかなければここまでに準備した全てが水の泡になる。

 緊張を胸に抱きながら右の通路に入ると、火傷しそうなほどの熱気が立ち込めていた。

 二階層自体が火山地帯そのものであるので、ある程度の暑さは覚悟の上だったが、防御服や本格的な加護抜きで突っ込むとここまで酷いことになるのか――!

「なんだこれ! あっつ!」

「我慢しろ! 護符の無駄遣いをしたら帰りが持たない」

 アラン以外の二人は、特殊な呪文が刻まれた木製の札――護符を事前に購入して携帯していた。火傷を防ぎ、熱気を減少させる効果があるとの触れ込みを信じて購入したのだが、実際に使ってみたところ――作り手が手を抜いたとしか思えない。

 魔術が使えない、あるいはこういった加護を授ける魔術が使えない場合はこういった護符などお守りに頼る必要がある。

 今回買ったものは使い捨てで一枚五百ガレオン。途中で壊れることも想定して、予備も含めて四枚購入して二千ガレオン。

 ……決して安い買い物ではない。

 効いているのかいないのか。これがなければ今すぐにでも燃え尽きているかもしれないと考えれば妥当な値段かもしれないが――、正直、カモられたとしか思えない。どちらかといえば、そうだろう。期待外れというか、値段不相応というか――。

「…………」

 ローゼリカも同じことを思っているのだろう。口に出したら虚しくなるだけなので、今は悪し様に言わないだけで、後でたっぷり酒場など人通りの多いところで悪評をばらまくつもりの顔をしている……多分。

「いやぁ~蒸し風呂みたいで気持ちいいなぁ」

 火の精霊の加護を受けたサラマンダーだけが涼しい顔をしている。煽りでもあるし、事実としてそうなのだろう。

 立っているだけで気絶しそうな暑さの真っ只中にいることが快適だと感じる種族なのだ。

「ちゃちゃっと行って、パパッと帰るぞ……」

 ローゼリカの吐き捨てるような言葉に、今は同調して頷くことしかできない。

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