第8話

「はい、それではここからどうしましょうか」

 預かった荷物を受け取り、三人はキャンプの中央に集まった。

 ローゼリカが目に見えて不機嫌なのとは対照的に、アランは何事もなかったかのように平然とした表情を浮かべ、柱に寄りかかっていた。

 ――よくない状況だ。ヤルキンはそれぞれの表情を窺った。

 よそよそしい雰囲気を破ろうと、口を開く。

「あの死体はどうなるんだ? あれって、どう処理されるんだ? ずっとここに置いとくわけにもいかないだろうし……」

 ローゼリカの顔に青筋が浮き出た。

 眉がグッと釣り上がり、鬼のような表情でヤルキンを睨みつけた。

「院長先生が、こんなところで死ぬわけないだろう。お前の見間違いだ」

 話題の選択を誤った!

 何故自分でもこんなことを口走ったのか、理解できなかった。そして、彼女は頑なに院長生存説を信じ込んでいる。地雷を二つ踏んで、綺麗に爆発した。……まさかここまで思い込んでいたなんて、思いもしなかった。

「あれは他人の空似だ。お前には関係ないただの名無しの死体だ」

「人間は、死にますよ」

 アランは柱から体を離し、姿勢を正してゆっくりとローゼリカに歩み寄ってきた。

「どんな歴戦の冒険者でも、死ぬ時は死にます。ここは、そういう場所なんですよ。忘れたんですか?」

「……でも、こんな低階層であの人が死ぬなんて、何かおかしいと思わないか」

 不満を露わにするローゼリカを見て、アランは何かを言いかけたが口を閉ざした。あれはどこからどう見ても、そうだった。それだけは確信を持っていうことができる。

 悲しい現実だが、我々に現実逃避をする余裕は存在しない。

「今は理由を探るより、あの遺体をどうにかしないといけないですよね。資格がないから今は無理ですが、蘇生術で蘇らせてあげてもいいですよ。幸い、死体は一ヶ月の間ならタダで安置しておけるらしいので」

「……死因によっては、降ろせないかもしれないぞ」

「魂を、ですか?」

 アランは訝しげに眉を顰める。蘇生術にも、解決できるものとできないものがあるのだ。迷宮にきてから日が浅い人間であれば、知らなくても不思議ではない。説明しなければならないだろう、とヤルキンは口を開いた。

「ああ。呪術の類であれば、下手をすると市井の人間に菌を撒き散らしかねないからな」

「なるほど。やっかいな魔術が掛けられていても、見分けがつかないですからね。それはどう見分ければいいのでしょうか」

「その筋の……専門家に、みせる」

 ただ、それだけ。たったそれだけのことだが、なぜか口にするのを躊躇った。一瞬。なにを不安に思っているのだろう。当たり前のこと、常識的なことなのに。リーダーとして、不安を悟られないようにしなければ。

「なに簡単なことだ。地上の安置所に行って書類を書いてもらうだけだからな」

「……わかりました。ひとまずはそちらの方針に従います」

 アランがとりあえず頷いたのを見て、ひとまず安心した。ローゼリカにおいてはもう、これ以上話しかけてしまえばどう爆発するかわからないので、目線だけで語りかける。渋々、といった様子で彼女も頷いた。一応、この場にいるすべての人間から、了承をもらえたということになる。

「とりあえず、死体をどうするかに関しては置いておこう。今は考えるべきじゃない……で、これは個人的な質問だが、いいか?」

「……俺にですか? まあ、いいでしょう。答えますよ」

 今までよりも一番白々しい態度で、アランはそう言った。上目遣いでこちらを見ながら、探るような瞳で見つめられると、弓矢で射られたような気持ちになる。

「本当に、あの人の──息子なのか?」

「そうですよ。俺は正真正銘、彼女の息子です。血縁上の、ね」

「何か深い事情がありそうだな」

「捨てられたんですよ」

「……まさか」

「それはこっちが言いたいことだ。まさか、子供を無責任に放り出しておいて、孤児院の運営だなんて、呆れて物も言えませんよ……二十五年前、産んだ子供を故郷の親戚に預けて、あの女は探索者になった。そして何の因果か、孤児を預かる責任者になっているなんて、想像できるわけがないじゃないですか」

「……疑ってるわけじゃないが、いくら見目が似ているからといって、ちゃんとした確証がないじゃないか。その、どうしてわかったんだ、あれが、自分の親だって──客観的に見ても、あの一瞬だけでそうだとわかるようなものでもないだろう」

 それを聞いたアランは、黙って首に巻き付けていた布を取り払い、隠れていた首筋を晒した。

「……それは」

「これで、納得していただけましたか」

 かつて、それと同じものを見たことがあった。先生の頸に彫られた紋様、それとそっくり同じものが、アランの首にも彫られている。

 白い肌に黒く絡みつく枝葉……? 茨のようにも見える複雑でシンメトリーな意匠がそれなりの面積にまたがって描かれていた。

「これは、西大陸のさる部族が、成人の儀式の際に身に刻み込む刺青です。学術院の詰め所にでも行って、図書でも漁ってみてくださいよ。詳しいことはうちでも研究しているので」

「……わかった。わかったから、大丈夫だ」

「……私は納得していないが」

 それまでずっと口を閉ざしていたローゼリカが、やっと口を開いた。3人の間に、緊張が走る。

「……俺が嘘をつくとでも」

「そういう話じゃない。納得してないんだ、ただ。ずっと独身だと思って、尊敬していた恩師が、実の息子を放り出して他人のガキの面倒見てたんですって言われても、はい、そうですかなんて言えるわけないだろ」

「混乱する気持ちはわかります。ですが、事実なんですよ。俺だって困ってるんですよ? 書類上では赤の他人であろうとも、実の親が死んだとなれば何かしなくてはいけないじゃないですか。もうとっくに縁の切れた相手がいきなり現れて、迷惑なんですよ、正直」

「迷惑だって?」

「ええ、そうですよ。研究の邪魔、今になって、もう忘れたかったのに、俺の邪魔をして! あの、あの女のせいで、俺の人生はめちゃくちゃなんだ……」

「じゃあ、どうしてここに来たんだ? 母親がここにいるのは知っていたんだろう」

 アランは大きくため息をついた。人当たりの良い青年だった彼が、ここまで露骨に不機嫌を表明したことはない。

「子供が親のことを知りたいと思うのは、普通でしょう。それに、遺跡の調査は俺の本業でもありますし」

「渡りに船、か」

「もうこの際だから、なんでも聞いて貰っていいですよ。そうでないと、信用も得られないようですし」

 アランの冷ややかな視線は、ローゼリカに向けられていた。二人とも、お互いの触れられたくない領域に踏み込んでいるせいで、一触即発状態になってしまっている。

 ――――気まずい。

 ローゼリカが子供っぽいのはそうなのだが、それにしても普段は温厚なアランがここまで腹を立ててしまっているのが一番大変だった。

 自分にとって譲れないものというものを、お互いに傷つけあっている。

 こうなるともう大変で、どちらにしろ傷つけ合うことは必須になってしまう。

 ならば、その傷を最小限にとどめられるようにするのが己の役目なのではないだろうか。

 ……とりあえず、何かが起こるまでは静観を決めておくことにしようと決めた。

「……なんで親子なのに今まで会わなかった」

「さぁね。どうして一緒に住めなかったのかなんて、昔からずっと考えていた……。なんでベルベネットが、あの人が俺を西大陸のクソ辺境の村に置き去りにしたのかなんて、俺が聞きたいくらいです」

 クソ辺境の村、という言葉に彼の怨嗟の深さを感じることができた。今時、成人した村人に入れ墨を彫るようなコミュニティなのだ。それなりに――何かがあるのだろう。閉じているとか、あまりよくない意味で。

「……先生が、子供を置き去りにするわけがない……あの人が、先生が……」

「えぇ、言いたいことはわかります。信じたくはありませんよね。けれど、これは事実です。人が変わったのでしょうかね。実の子を置いて迷宮に籠るような人間が、孤児院を経営するなんて、ねぇ――」

 それはこちらとしてもずっと考えていたことだった。子供が面倒で捨てたのだとしたら、わざわざ孤児院など経営するはずがない。

 あるいは、罪滅ぼしだろうか――。やむを得ず捨ててしまった我が子に謝罪もせずに? そんな人でなしだとは考えたくもないが、アランの言い方から察するに、成人した後は村を出て、そこで行方もたどれずに音信不通になってしまったから、何もできなかったのかもしれない。しかし、それ以前の自分たちと過ごしてきた時間の間でも、いくらでも「村にいた」アランと連絡なり何かを伝えることはできたのではないだろうか。…………そこが、電報すら届かない未開の地であるなら、また事情は変わってくるが。

「……わかった。あんたが先生の息子だということは、ひとまず信じよう。話が進まないからな。もう一つ聞きたいが、父親はわかっているのか?」

「全くわかりません。俺は混ざり物なので、きっと同族以外の、行きずりの相手でしょう。同じ探索者かもしれません。村にいた時から、あの人は決まった相手もいないで遊んでいたそうですから、探ってもわからないでしょうね」

「……もういい」

「もうよろしいですか? じゃあ今から竜の巣に向かいましょう。感動の再会はおいておいて、ひとまずは金を稼がないと」

 アランはもっていた杖で地面を数度つついた。その足はすでに奥に向かいかけている。

「あ、あぁ……アランは先に行っといてくれ。すぐ行くから」

 これ以上は何も聞きたくない。そんな様子でローゼリカがうつむいたのを見て、そっと彼女のそばに近寄った。

「……嫌なものを踏んだと思って、とりあえず頑張ってくれないか。今日の仕事はあいつなしだと厳しいぞ」

「先生に息子がいるわけないだろ、ちゃんと考えろ…………。あいつは出任せ言ってるだけだ」

 ――問題は根深いらしい。まだそれ言ってんのかよ、と言いたくなるがぐっとこらえる。今ここで説教をしたところで、何もならない。証拠だってあるのだから、いつか落ち着いたら受け入れるだろう……という希望をもっておく。

「今ここで嘘をついたところでアランに何があるんだよ。俺たちに嘘ついて、貧乏すぎて詐欺れるものも何もないだろ。仲を引き裂いたところで、やつになんのメリットもない。だから、あいつの言ってることは意地悪をしたいとか、そういうのじゃないんだ。あいつだって……、いきなりでちょっとビビってんだよ。多分な。ロゼ、ちゃんと頭冷やせ。ここでトチったら終わりだ。わかるだろう?」

「でも、あいつの態度が気に食わない……。悪口ばっかだし!」

「本当に家族に置き去りにされて、しかもそいつが自分以外の子供を可愛がっていた、なんてわかったら、誰だって嫌な気持ちになるはずだ。それに、今先生の蘇生代が俺たちに払えるか? 払えないだろ。今はそんなにかっかせずに、様子を伺おう。先生が生き返ったら、全部わかることだし、な?」

「生き返るかも、五分五分だけどね」

「大丈夫だ、一番腕のいいやつに頼むから」

 そんな金なんてどこにもないけれど、とりあえず前向きなことを言って落ち着かせるしかない。

「…………」

 ローゼリカもこちらが必死な様子を見て落ち着きを取り戻したのか、大きなため息をついてこちらに謝ってきた。小さな声で、「ごめん」と。

「まあまあ、いいから。大丈夫だから、な。なんとかなるって」

「…………ありがと」

 昔――、それこそ本当に子供の時分だったらまだ泣いて怒っていただろうな、と思う。

 人間は成長するという当たり前の原則を、身をもって体感してしまった。

(って、俺はこいつの親じゃあるまいし……)

 正直に思ったことを言えば、ジジイっぽいだの老けただの散々な言われ方をさせるのは目に見えていた……ので黙っておくことにする。

「…………じゃ、行こ」

「お、おう……。そうだな」

 出口のところで三人は合流した。

 アランとローゼリカは一瞬の目線を合わせたが、お互いにすぐそらしてしまった。とりあえずは一時休戦……といったところだろうか。

 また二人が顔を合わせたら先ほどのようなギスギスとした空気になるかと一瞬危惧したが――、今のところはちょっとした緊張感しか感じない。一触即発の状態からは脱した……というくらいだろうか。

「先ほどは取り乱してしまってすまなかった。今日の遺体は、大物を狙いたいから、アランの協力が必要だ。頼んだぞ」

「いえ、俺こそ怒りに任せてひどいことを言ってしまいましたね。心より謝罪します。腹でも切りましょうか……? 東大陸で、刀使いはそうやってけじめをつけるそうですよ」

「ここで大道芸人のようなことをしたら、追い出すから」

「すみませんね、癖で」

「癖で死ぬような奴があるか」

 軽口を交わす程度なら、まだ、許容範囲だ。軽いじゃれ合いの程度を脱していない。

「お前がくたばったら……、全員ここで終わりだ。わかるだろ」

「軽いジョークですよ。そっちこそ、生き残れるように頑張ってくださいね」

「…………言われなくてもな」

「…………………………」

 ヤバい、やっぱ無理かも。

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