第6話
目標とする竜の巣への中間地点、キャンプへと到達した。キャンプと聞いていたので、中規模程度の野営地のようなものを想像していたが、複数の棟が連なるかなり大規模な建物だった。
例えるなら、ステップ地帯に住む遊牧民の移動式住居――をかなり豪勢にあつらえたような。一つ一つは建物として独立しているが、それが余計に街というか集落らしさを醸し出している。
「なぁ、前までここってテント張っただけだったよな」
「あ、あぁ……そのつもりで来たんだが」
楽園に迷い込んだお伽話の主人公のような気持ちで二人は顔を突き合わせた。
学術院という組織の力は、迷宮の文明レベルをここまで押し上げてしまうのだろうか、と。
「俺が受付を済ませてくるので、先で待っていてください」
勝手知ったる風にアランがそういうので、二人は正面の玄関から中に入り、適当な腰掛けに座った。
中は外の蒸し暑さとは逆に、薄らと冷気がかかった涼しげな空調が効いていた。
冷却器! 一般家庭に取り付けるのにも高価であるのに、迷宮の中で惜しみもなく設置されている。
左手にはロッカーがあり、右奥は受付になっていた。ここは共同居間として使われているのだろうか。飲料水が冷蔵されて売られていたり、小さな売店のようなものもあった。
そこらの宿よりも整った設備で、利用者もどこか垢抜けて洗練されているように見える。
「すげぇ」
「……うん」
二人して、顔には煤が付き、全身が汗まみれで髪は乱れに乱れていた。汗臭く、いかにも頑張ってここまでやってきましたという雰囲気を醸し出していた。
背負い鞄から水筒を取り出すと、渇いた喉を潤すように一気に飲み干した。
「二階層まで来ちゃうなんてなぁ、今までのペースだったら考えられないぞ」
「そうだな……だが、今度はもっと奥に潜らないと」
「院長先生、どこに行ったんだろうな」
「今まで、そんなことなかった。死んでるんじゃないだろうな」
「……まさか、そんなことないだろう。殺しても死ななそうな人だぞ? 迷宮に入ったくらいで死ぬかよ」
二人は、院長先生の顔を思い出した。いつも優しかったが、大雑把で抜けているところがあった。おおよそ保護者らしくない人だが、友達のようで面白い人だった。
「おーい、お二方! 待たせましたね、受付ができましたよ」
「シャワーだ。シャワーを浴びる。私は行くからな」
「おおっ、ロゼは落ち着け」
「シャワーを浴びないと、クーリャに怒られる!」
「着替えはっ! 着替えはあるのか?」
「売店があるからそこで揃えればいいんじゃないですか」
「……なんでもいいから、とにかく入りたい」
「はいはい。あ、ちなみに、迷宮の中で下着姿のままでいたら免許停止ですからね」
「お前じゃあるまいし、そんなことしない」
売店と呼ばれた場所は、他の探索者で溢れかえっていた。
「大きさは適当でいい。一番安いやつでいい」
「ロゼ、大きさはちゃんと見ておけよ。まあ、一番小さいやつでいいと思うんだが……」
立派な店だ。売店と呼ぶような規模ではない。魔導書から剣、包帯など、雑貨品まで売られている。
ヤルキンは値札をめくりたい衝動に駆られたが、抑えた。汚らしい格好で売り物に触れるわけにはいかないからだ。
「ほぉら、これなんかザン・サザ作の斧ですよ。すっごく切れそうですね」
ガラスの中に並べられた斧を指差し、アランは無邪気に笑う。照明の光を浴びて、無骨な鉄がわずかな輝きを放つ。
「今それを見せつけるのをやめてくれ……」
二人が戯れている間、ローゼリカはちょうどいい服を見つけたようで、精算所に並んでいた。
「学術院は、商人組合や鍛冶組合と提携してこんな店を?」
「そうです」
「商魂たくましいな」
「予算はね、こういうところから捻出されているんですよ。いやぁ、学術院も慈善事業で成り立つほど、金持ちってわけじゃないのでね」
「へぇー」
談笑していると、奥にいた一団の中から一人がこちらに向かってきた。揃いの紋様が入った腕巻きを身につけている。学術院の研究者集団だった。
「おやおやおや? アラン・ネイム先生じゃないか!」
「バスキア……君もきていたのか」
バスキアと呼ばれた男は、アランに近寄ると、肩に手をのせる。同僚にしては、やや馴れ馴れしいような気がするが、気のせいだろうか。
「いや、久しぶりに顔を見かけたものですから、驚いて! 名簿に名前があったので、きているのは知っていたんですよ? 探しても学者隊にいないし、聞いたら宿舎も出て行ったというじゃないですか! また何かしたんですか?」
――また何かした。その言葉に含まれる意味を聞けば、それこそ夜が明けてしまいそうだ。やはり、ほかの知り合いからも問題児として認識されてはいるらしい。そしてこの男も、また一癖も二癖もありそうな姿をしている。
「……少し、メンバーと意見の食い違いがあってだな。まあ、今期中に課題はクリアできそうだよ。ところで、そっちの研究の進捗は?」
「すこぶる順調ですよ。迷宮内の生物を、捌いて捌いて、内臓も骨格でもなんでも好き勝手していいらしいじゃないですか! もう最高の極みですよ! ……あ、ところでお隣の方は?」
「ヤルキンさんだよ。俺のパーティーのリーダーみたいな人だ」
「えぇ!? 大丈夫ですか?」
「おい、失礼じゃないか」
「探索者の方じゃないですよ! 先生のことを言ってるんです! この人死体がどうだのうるさいし、すぐ暴れるし、意見は絶対に曲げないし、予算案で上と揉めて、私費で研究しちゃうし……正直、普通の人がずっと一緒にいたら気が狂いますよ! よく一緒にいれますねぇ! 学術院の人間ですら、鬱陶しがって煙たがる人もいるんですよ! 先生は、変人なんですから!」
「……まぁ、確かにそういうところはあるけれど、なんていうか、アレだ。個性ってヤツだろ。別に俺たちは迷惑なんて別に──」
「へええ〜そうですか。奇特な方もいたもんだ。アラン先生、大事にしてくださいよ! 仲間」
「全く、俺は生徒に舐められるなぁ」
「愛されているんですよ、先生」
そこから展開される、最先端の学術的会話についていけず、ヤルキンはバスキアの後ろの棚をずっと見ていた。
クメル・ヤ作電導長剣。
マッカス組合製全自動魔導銃。
ガースキ作片手剣「女王アーカネア」。
煌く美しい刃物たちを見ていると、財布の軽さが悲しくなる。これらの名作の横に、自分の銘の入った武器が並べられるなら──と考えたが、今はただの空想に過ぎない。それに、組合を抜けて自由業になった自分が、今更復帰して槌を振り下ろす様など、全く想像がつかないのだ。
「そういえば、アラン先生向けに朗報ですよ。面白い死体があったんです」
「……死体?」
「えぇ、女性の死体なんですけれどね、竜の巣の近くに落ちていて、まぁ珍しいのでキャンプまで運んできました。それでですね、顔が先生にそっくりなんですよ」
「……俺に?」
「もしかして、先生の双子の片割れですか?」
冗談めかして言った言葉だった。だが、それを聞いたアランの顔色が、一気に青ざめていくのがわかった。彼は血相を変えて、飛び出した。ただならぬ表情で、それに気づいてか気づかずか、バスキアは呑気に声をかける。
「先生ー! 死体は本部の裏にありますから!」
「お、おい! 待てよ! あ、ロゼ! ロゼ行くぞ!」
「……なに? あいつが逃走でも企てたのかs」
「そうだよ! とにかく、様子がおかしいんだ。変なことする前に、行くぞ」
アランの足は思いの外早かった。足が早いというのは探索者の必須条件であるが、彼のほっそりとした、人形のような足からあの馬力が出るとは、考え難かった。
見た目に反して足腰がしっかりしているのだな、とローゼリカは感心した。
(感心だけしてる場合でもないか……!)
彼女のまた、後ろ姿を追うように掛けだした。
キャンプの本営地である天幕の裏は、死体の一時安置所となっている。
今も、仲間の遺体を確認しにきた探索者が数組いた。辛気くさいともいえるような暗い空間の雰囲気を中断するように、男が一人飛び込んでくる。
アランは布をかぶせられた遺体の列を練り歩き、一人の女性の遺体の前に立った。
心臓は跳ねていた。見たくないものを、これから見せられるのかもしれないのだ。
絶対に違っていてほしい。あるいは、そうであってほしいという矛盾した感情。それらが胸の中で渦巻いている。
「……………………」
――意を決して、布を外す。
…………彼は、膝から崩れ落ちた。
「おい、大丈夫か?」
かけ寄ったローゼリカもまた、その遺体を覗き込んだ。
確かに……、その遺体はアランと目鼻立ちが似ている。双子と言われていたのは大袈裟だったけれど、顔の特徴が、バランスが、微妙な違和感を残しつつも、本当にそっくりだ。とても赤の他人のようには見えない。
しかし、よく見ると次第に不安になってくる。。
(どこかで、見たことがある顔だ……)
いやな予感が過り、すぐさまそれを完全に否定したくなった。
精巧な人形のような女の顔、こんなところで寝かせているよりも、窓辺に座らせているのが似合いそうな、そんな姿…………。
でも、これは知っている。ローゼリカは、この顔を知っていた。
「嘘だ……」
駄目だ。
「ロゼ、これって……」
「言うな……! お願いだから!」
ローゼリカは叫んだ。
その様子を目撃して、彼もまた気づいてしまった。絶対に口にしたくない。口にしたら、恐ろしいことになる。
…………本当に、取り返しのつかないことに、なりそうな気がした。
見たくない、聞きたくない、考えたくないと絶望する二人をよそにアランはゆっくりと立ち上がり、遺体の顔をじっと覗き込んだ。
「……久しぶり、母さん」
それがどんな表情で、彼にどんな意思があったのか、誰も知ることはない。
彼は一度で確信したのだろう。誰よりも早く、誰よりも無遠慮に結論を出してしまった。よくあるサスペンスのお約束よりも、早すぎた。
後ろから眺めていた二人には、彼の吐き出した吐息のような声しか聞こえなかったのだから。
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