第5話
「いいですか、俺は自殺を推奨しているわけではないんです。むしろ、逆です。死ぬっていうのは生命が生命たりえる条件なのですから、天命に逆らった死は、非道だ。やむおえない事情があるならまだしも、ただ死にたいから死ぬなんて、残された人間の気持ちをわかっていない、愚かな行為だ。不老不死もそれに近しい卑しい概念だ。わかりますか? 死ねない生き物なんて、生きている意味がない。全員が不老不死になってみてください。この世界は壊滅しますよ。死は、救いなんですよ。救いを求めて他者に犠牲を強いるなんて、愚かだ」
迷宮を練り歩きながら、アランは自らの主張を展開する。淀みない口調で、はっきりとした喋りは、国家元首の演説を連想させる見事なものだ。
「……そうか。なら、延命についてはどう考える? 運命に定められた寿命を引き延ばすのは、愚かな行為に値するのか?」
「そうですね……俺は否定派ですが、その人の家族や友人のことを考えれば、気持ちはある程度理解できるでしょう」
「なるほどなぁ。あ、ちなみに俺もそういうのには反対だ。何も考えられないのに生きていたって、人生の意味がないからな」
「難しい問題ですね、昨今は長命の種族が短命種と交わることで起こる問題も色々と議論されていますし」
地下迷宮の二階層は、一階とは打って変わって薄暗闇に包まれていた。これは、二階層が洞窟のような造りになっているからだ。
二階層の入り口から出口まで、無数に枝分かれした道が存在する。迷宮が発見された最初、ここは道らしき道のない場所だった。しかし、辛抱強い探索者によって、少しづつ道が作られた。それぞれに番号が振られ、進捗を逐一確認しないと一生出ることので着ない程に複雑であり、ここで「遭難」する探索者も珍しくはなかった。
風変わりな学者を味方に引き入れ、一階の奥まで到達した一行は、さらに二階の最深部を目指して進行することになった。
一階層でふるいにかけられた探索者を、さらに突き落とそうと猛威を振るう脅威──が存在するのだが、それを倒すことが目的ではない。三人はそんな、英雄じみた行為には興味を持たない。
しかして、油断はできない。
「迷宮で最も恐ろしいのは、油断と怠慢である」
そんな言葉がふと脳をよぎった。自分の実力を誤算してはいないかと、時折ローゼリカは不安になった。まだ早いのではないか、という自信の無さが、元来の無口に拍車をかけた。
「ロゼ、大丈夫か?」
「前方、小さいけど段差あり。気をつけて」
スプリガンのローゼリカは、斥候役を引き受けていた。
暗闇の中でも目が利く。そして、普通の人間には聞こえない音も聞き取ることができる。そのような特殊な技能を持ち合わせている彼女の種族は、迷宮探索では非常に重宝された。
「スプリガンって、こんなところもはっきり見えるんですね」
「俺たちにはせいぜい前の2メートルがぼんやりわかるってくらいだな」
「……おい、ぺちゃくちゃ喋くってこけたとしても知らないからな」
一行は、ゆっくりではあるが、確実で安全な策をとった。
足下は安定せず、場所によっては這いずって進む必要もあった。そんな状態で、ローゼリカは常に神経を尖らせている必要がある。まるで遠足のようにぺちゃくちゃ喋くって楽しそうな後方二人を見ていると、少しだけ神経に触るものがあった。
(まぁ、いい……どうせ帰りは私の方が楽なんだ)
探索者が死ぬのは、行きよりも帰り。つまり、依頼を片付けて街へと戻ろうとするその瞬間が多い。気の緩み、緊張の途切れ、疲労、その他諸々。時には仲間割れなどが原因で、命を落とすものも一定数存在する。
金目のものをどっさり懐に抱えたまま死ぬ冒険者は、格好の餌だ。
それを狙うがゆえに卑劣と蔑まれることもある。が、迷宮に捨て置かれ、そのまま日の目を見ることなく朽ちていくよりかはマシだろう。
三人は、吸い込まれるように奥へと進んでいく。その先にある物がなんであろうと、進むしかないと、そう念じながら。
「五キロ先に、三本頭の竜の巣がある。近くに死体があるはずだ。今日はそこを目指す。途中、三キロの時点にキャンプがある。そこで準備を整えて、巣の近くで転がったお宝をいただこう」
半刻前。
囂々と風が鳴る。洞窟内は、奇妙な熱風が、焦らすように吹き付けていた。
三人は地下二階へと降り立つと、一旦立ち止まり、改めて今日の目標を確認することにした。
ローゼリカは書き込みの跡が大量に残る地図を広げて、最奥を指差した。そこには、竜の巣と書かれている。
地下二階に住う竜は、火属性の新代竜だ。マグマが凝り固まって出来た岩石の上に巣を構え、探索者の行手を阻む厄介な魔物。竜といっても神話の時代にあるような、神聖などは持ち合わせておらず、実力のある探索者で挑めば勝てるレベルではある。
勇敢、もしくは無謀な探索者は、この竜の首を土産に三階層へと進む。また、別に、これと対峙しなくても、三階層へ進む道も存在する。
ただ、竜を殺すことで得られる信頼は大きい。依頼者から信用を勝ち取ろうと思うならば、倒した方がいい。竜殺しは、今も昔も大きなステータスであり、あるのとないのとでは雲泥の差である。箔をつけたがる探索者はこれに挑み、何人もの尸が地上に上がらないでいる。
竜の繁殖期間は長く、多産である。一頭殺して、しばらくしたらもう一頭現れる。故に、厄介なのだ。
尚、未だにその生態は明かにされていない。
近づくだけでも難しい生物を、定期的に、長時間観察する必要があることなどが主な原因と言われている。
が、しかし最近、学術院が迷宮内にキャンプと呼ばれる露営施設を作った。
迷宮内での生物観察のために作られた施設だが、金さえ払えば普通の探索者でも利用することが可能だ。飲食や、行水もできるし、仮眠も取れる。今まで、迷宮の中に休憩できる拠点が築かれたことはあったが、本格的に生活できるまでのものが完成したのだ。
探索者の間では、組合にいくら払ったのだろうか、という噂は尽きない。
しかし、探索者としてこれを利用しない手はないのである。組合と学術院が散らす火花も、末端の労働者には全く響かない話なのだから。
打ち合わせの折、キャンプという単語が出た瞬間、アランが一瞬だけ口を歪ませたのを、ヤルキンは見逃さなかった。
ローゼリカは勿論そんなことに気づくわけもなく、細い道の先に敵がいないか、頭上を這う危険な生物がいないかと目を光らせ、耳をすませている。
神経を尖らせている彼女に話しかけるわけにもいかず、ただ黙って行進するのも味気ないので、雑談を続行することにした。
「なぁ、今まで竜とやり合ったことは?」
「竜よりももっと恐ろしいのとなら、一度だけ。それよりももっとおっかないのが、数度」
調子がいいのだろう。冗談めかしてアランはそういった。
ヤルキンは、新調したばかりの一振と、昔からの愛刀の柄を撫でた。一方は短い直刀、一方は乱れ刃が特徴の長剣。
アランのそれは──抜いたところをみたことがないので完全に憶測ではあるが──おそらく斬ったり打ち込んだりするためのものではないだろう。
つまり、刺突を主に扱う戦術を展開するのだろうか。
否、彼の細い体にそのような激しい押し合いを耐えうるほどの力はない。決して非力というわけではないが、身軽に動くイメージがないのだ。腕の筋肉や足腰ががっしりしていないと、そのような剣術を使いこなすのは難しい。
ということは、これは魔鉱石を原料にした剣に違いない。
魔鉱石は脆い。だが、魔力を込めるのに適している。
そして、それを主原料とした剣というのは、どちらかというと杖に近い扱いになる。
衝撃には弱く、並の剣を当てただけでも折れてしまう。しかし、魔力を放出し、操る能力は並外れているらしく、魔力を帯びた一太刀をぶち込むことが可能である。また、使い手の技量次第では、衝撃を吸収して逆に魔力に変換することもできるそうだ。
つまり、魔力で強化することを前提にした剣ということ。
そして、普通の剣術士は自分の少ない魔力をそのような用途では使わないので、それなりに魔力量のある人間、つまり魔術師の適性がある人にしか扱うことができない。
一度でいい。一度でいいから、それを抜くところを見てみたい。
いざという時にしか使えないくせに、ひどく高級で、滅多に市場に出回ることはない。優れた使い手ならば、壊すことも暴走させることもないらしい。目の前に、そんなお宝があって、興奮を隠さずにはいられなかった。
使う技は刺突系だとして――、考えてみよう。一撃を繰り出すと、美しい刃から魔力の波紋が広がり、輝きを帯びる。
(最高じゃないか……今斬られてもいい、早く見立てがあっているか確認させろ!)
「な、なぁ、その剣はどこで手に入れたんだ?」
「一度質に入れられたけれど、母親のものだったそうです」
「使ったことはあるのか?」
「抜くまでなら一度だけ。でも、これで誰かを斬ったことはないですよ。もったいないじゃないですか、高級品ですよ。困った時に、売るために持ってるんで」
「う、売り物……なるほど? そうか……あー、使わないと、腐るんじゃないかって、俺的には思うんだが……いや、個人の自由だな、そこは」
「これを抜くのは、本当に危なくなった時だけです。普段は杖で事足ります」
マントの裾から、隠し刀でも取り出すようにするりと杖が出てきた。
「千年樹から切り出した業物ですよ。業物っていっても、俺の知り合いが作ったものなんですけど」
こちらの方が年季が入っているようで、製作者の銘の箇所が削れて読めなくなっているほど使い込まれていた。
「杖は専門外だが、これは結構……価値があるんじゃないか? こんなに素晴らしい職人が知り合いにいるなんて、羨ましい」
「中央に行けばね、いいものはあるんです。けれど面白くはないですよ。いくら名品と言ったって、自分に合わなければ意味はない。俺にはむしろ、こっちの職人の方が面白いですよ。個性的で、実用的だ。自衛のための武器とは違う、本気で殺すための道具ですからねぇ。いや、西の人は東や北を蛮族というが、むしろ俺からしたら西が一等野蛮に思えます。あなたのそれも、殺すための剣ですからね。俺のは、ただの儀式用なので──」
ヤルキンは、なんとなく前方から圧をかけられているような気持ちになった。
迷宮でピリピリしているのはまぁ、正しいことなのだが、その苛立ちの原因が少なからず自分に起因しているだろうと察した。
「前方から敵が接近」
ローゼリカは左折する通路の向こう側を見越して、小声で呟いた。
三人は、それぞれが持っていた武器を構え、ローゼリカの指示をまった。一番目が利くのは、彼女だった。
小さな息遣いも漏らさぬよう、緊張感が走る。
「精霊もどきが一体。属性は炎だ」
精霊もどきとは、迷宮内にのみ存在する亜種精霊の一種である。
姿形は精霊のそれと瓜二つであるが、魔力は本物とは比べ物にならないほど劣っている。
しかし、厄介なのが、ある程度弱ると、魔力の残りカスを撒き散らし、自爆するという習性である。じりじりと追い詰めるという戦法が許されない以上、速攻で決めるか逃げるしかない。だが、ただ無鉄砲に突っ込むと恐ろしいことになる。
どうする。ヤルキンは隣の男に目配せした。
アランの魔術は、なるべく温存したい。だが、出し渋ってはここで痛手を負うかもしれない。
ローゼリカの顔もみた。彼女はまだ、魔物の出方を窺っているようで、真剣な眼差しを送っていた。
精霊もどきがフヨフヨと、風船のように浮いていた。
小さなランプが浮遊しているようで一見可愛らしいが、一手間違えば大惨事になりかねない。学名で「浮遊する爆弾」とつけられているだけある。なるほど、言い得て妙だ。
ローゼリカは指を一本つき立て、唇に押し当てた。静かにしろ、とでもいうかのように。
そして、その指で通路の方を指し、ゆっくりとこちらの地面までの一直線をなぞる。最後に、手刀のような仕草をして見せた。
学校でも習う手信号だ。アランのほうも、それは伝わったようで、無言でうなずいた。
まず、ローゼリカが地面に転がる石を蹴った。精霊もどきは、眼球が存在しない。音のする方に反応するのだ。石は、硬い通路を転がり、精霊もどきの下で止まった。
精霊もどきは、餌が見つかったとばかりにこちらに向かってふわふわと飛んでくる。
じわじわと距離が縮まる。
ついに、精霊もどきの頭部が目前まで迫った。
ヤルキンは、"二本目"の短刀ルグ=マグを静かに抜刀した。
迷宮内部の滝壺から切り出した石が使われ、うっすらと乳白色の映りが見える。
先日受け取ったばかりの新品の試し斬りにはもってこいの相手だ。
押し切るのではなく、切断する。
そんなイメージで、精霊もどきの首に刃を当てた。
ぬるりとした触覚。まるで、膠を切っているような感覚だった。
そのままグッと押し込めると、骨のように硬い何かに当たった。
精霊もどきの「核」だ。
それを破壊すると、相手は死ぬ。
恐ろしい硬さだが、全く手応えがないわけではない。
相手も攻撃されていると理解して、暴れ回った。そこには知性などない。死んではいけないと争う、機械信号のような無機質な抵抗だった。
あまりの気持ち悪さに、思わず呻いてしまうが、勢いで押し込んだ。
ずるずるとした、気味の悪い硬さだった。
ローゼリカも、反対側から同じように短刀を押し込んでいる。二刀が、ゼラチン状のブヨブヨとしたもの越しに押し当てられ、間にある核を破壊しようとしていた。
アランは、万が一自爆されてもいいように、何かの魔術を仕込んでいるようだった。魔力波が動く耳鳴りのような音がした。
この間、たった数秒のことではあるが、体感的には数分のことのように思えた。
「いけっ!」
ゼラチン状のものが破裂する音がした。滑りの良いゼリーを、どちらかの刀が貫いた。次いで、刃と刃が重なり、金属同士が擦れ合う音がした。
力をこめた手はじんじんとわずかに痛んだ。
精霊もどきの核は粉々になり、それを覆っていたぶよぶよとした「クラゲ」の部分が周りに飛び散った。
至近距離で相手をした二人は、飛び散ったものが顔に付着したので、思わず顔をしかめた。後ろで待機していたアランは、思わず吹き出した。
「きったねぇ!」
「なんだこれ。ジェリーか? 気味が悪いな」
「あはは、もっと奥に行けばもっと気持ちが悪い敵が出てきますよ」
乱暴に布で顔面の汚れを拭いとると、ローゼリカはさっさと歩き出した。
「あ、早いですってばぁ」
一人無傷のアランは、はしゃいでそのあとを追いかける。
「待って! 俺、なんか、口に入って……!」
その言葉に、彼女は一寸だけ歩みを止めたが、呆れた表情を顔に浮かべ、再び歩き出した。
「そういえば、アランは焼け死んだことはあるのか?」
ローゼリカから、露骨に不機嫌な視線をおくられたが、ヤルキンはそれを無視した。せっかく同じ志を持つ仲間なのだから、相手の趣味興味に合わせて会話して、親睦を深めることは大事なのだ。とことん接触を嫌うローゼリカには全くわからないだろうが。
アランは人の良さそうな笑みを浮かべ、問いに得々と答え出した。
「俺はサラマンダーなので、それはないですね」
「あ、そうなのか?」
「見えないって、よく言われます」
一般に知られている、燃え盛るような赤い頭髪や瞳といった特徴は、彼にはなく、その髪色は、例えるなら、焦げついたかのように見えた。
痛んだ赤色というか、染色しすぎて色抜けしたようにも見える。
確かに、今は種族間の混血なども活発で、ステレオタイプというものは崩壊して久しいのだ。見た目で種族を判断することは困難になっている。
「でも、いいなぁ。焼身ってのも悪くはない。不死鳥みたいで素敵だ」
燃え盛る火の中で体を焼き、その中から復活する伝説の鳥。なかなかにロマンスのある例えをするものだと、ヤルキンは思った。
相手の満足する答えを引き出せたことに安堵しつつ、さらに個人的なことを掘り下げようと、新たに話題を投げかけてみる。
「そういや、アランは中央から派遣された学者だったよな」
まるでそうは見えないが、とは言わなかった。
「はい。迷宮調査団の第七期ですよ」
「え、まだ第七期だって? 俺が子供の頃には、もう学術院の奴らは迷宮の探索に来ていたような気がするが」
「あぁ、あれはあくまで個人的な調査なんですよ。学者の団体が研究目的に滞在しただけで、学術院が公式に派遣を開始したのは最近です」
「ということはあれか、中央もついに本腰を入れ始めたと?」
「そうですね。今まで遺跡クラスしか調査団を派遣できなかったんですけれど、迷宮から産出される資源や資産も無視できなくなってきていますから」
「じゃあ今まで、遺跡を調査したことはあるのか?」
「ええ、俺は遺跡専門の研究者でしたから」
「そうか、じゃあ今までだと刺激が足りなかったんじゃないか?」
「あはは、俺のことちゃんとわかってきてくれてるんだ」
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