第2話

 朝一番の、開場する前の迷宮門前は探索者たちで一杯になる。ベテランから新人まで、一番に乗り込もうと早朝から場所取りするのだ。迷宮に出る時間は自由だが、入る時間は決められている。

 無言で、全く何もしていない集団もいるが、多くは作戦や依頼の内容の確認をし合っていた。

 よく観察するまでもなく、並んでいるのは若者ばかりで、中年以上の人間は見当たらない。

 当たり前だが、迷宮は体力仕事であり、怪我や死亡のリスクが付き纏う。そんな場所で、老いても尚現役で働く人間はごくごく稀だ。

 ある調査によると、探索者を引退する平均年齢は、三十二歳であるという。

 種族による寿命の差を差し引いて、その上他の職業と比べてみると、これは非常に低い値であるといえる。

 そして、ほとんど人間がグループ同士で固まっているのが見えるだろう。多くの者は、複数人で「パーティー」と呼ばれる四人以上のグループを形成し、迷宮に入る。が、ごくまれに三人以下、もしくは単独で行動する者もいる。最小単位が四人である理由は、未だはっきりとした根拠が提示されていない。

 ローゼリカと、死んだ男は後者だった。彼らは、迷宮内の死体を地上へ担ぎ出す仕事を主に請け負っている。死体を運搬するために一人で迷宮を潜るのは、危険な行為である。しかし、三名以上だと儲けが少なくなる。だから、ペアで行動するのがちょうどいいのだ。

 死体を冒険者組合運営の安置所に運び込むと、謝礼として死者の持ち物から三割分を受け取ることができる。

 迷宮で採掘した魔鉱石や、金になりそうな貴金属などの商人や職人に売れそうな発掘品、死者自身の武器や装備も持っていけるのだ。だが、効率が悪い。死体のありそうな場所を探し、それを運ぶのに一往復。一日に運べる死体の数は大体三人がいいところだ。それに、死体を鑑定し、成功報酬を受け取るまでにはそれなりに時間がかかる。

 大抵は、行き当たりばったりで死体を探すのではなく、組合に届いた仲間の遺体の回収を主に請け負っていた。

 金になりそうな死体や、依頼を見分けるのには目利きが必要で、死体を担いで魔物の相手をするには腕力が必要。ローゼリカと男は、それぞれの足りないところを補えるいいペアだった。

 開場と同時に、列が動いた。

 先頭、真っ先に降りたのは白銀等級の複数のパーティーが組んだ連隊で、次に続いたのが同じ等級の有名な元傭兵の一団だった。日が昇る頃に並び始めたローゼリカは、赤銅等級。先頭集団とは八十メートルほど離れている。並んだ時は広場にいたが、列が動いたのでそこからは離れていく。じわじわと、列は動いていく。

(いつもいつも、こんなに人ばかりで……朝から迷宮に入ろうなんて馬鹿ばかりだ……)

 一人で迷宮に入るような人間は、全体の一%ほどだろう。「これ」が嫌だったから、夕方の開場から迷宮に入るようにしていた。

 十分ほど待って、ようやく階段前までたどり着いた。

 松明で明るく照らされた階段は、順序よく進入する冒険者たちで上から下まで満員になっていた。

 階段は、結構な段数だ。数えたことはないが、百段はあるだろう。

 人に続いて、しばらく降りていくと地下一階に到着する。ここから各々好きなように探索を始める。どんなに凄腕の探索者でも、一階層を通過せずに下に降りることはできない。前線に赴く集団は、さらに奥の階段を目指し前進していく。

 ローゼリカは、昨日の十三通路へ向かって慎重に進んでいった。

(あった……)

 昨日と同じ場所に、男の死体はあった。掘り返された形跡もない。時折後ろを通過する他の探索者の視線は気にも留めず、黙々と土を掘り返す。

 ただただ、掘る。

「おや? あなたは先日のお方ではありませんか?」

 気がつくと、男が背後に立っていた。声には聞き覚えがある。昨日の青年だった。

 背後を取られても気づかないなど、自分が鈍ったか男が上手であるかのどちらかだ。前者なら気をつけようで済むが、後者の場合いろいろ厄介である。

 ただでさえ、この男は要警戒の不審者であると己の中で位置付けているのだし。

「な、何……?」

 男は一人で、昨日とは違い、小綺麗な格好していた。腰に吊り下げた細身の剣は相変わらずで、それ以外は新品のそれに変わっていた。

 偶然にしては出来過ぎである。もしかして、狙われている? 厄介な軟派野郎、もしくは追走魔である場合、衛士に頼ることも視野に入れねばならない。

 思わず反応してしまったのだが、悪手であるという事に気がついた。

 まずい、やはり睡眠を取らねば。こういう失態を犯してしまう。

「昨日はどうも、すみませんでしたね。俺を助けてくれたのに、そのお礼もなしにあんなことを……」

「はぁ……」

「はっはあ、まぁ結構掘りましたねぇ。もしよろしければ、お連れ様を掘り起こすのを手伝っても?」

「はぁ、どうぞ……お好きに」

 男は腕まくりをして隣に座り、小袋から取り出した熊手のような採掘道具で、土を掻き出した。

 そして、会話を続けようとする。

「この方との付き合いは長いんですか?」

「……三ヶ月ほど、一緒に潜った」

「あぁ、なるほど。きっかけは?」

「組合の学校で、たまたま」

「では、まだ迷宮に入って日が浅いんですね?」

「そう……なるのか」

「俺もここに来たのは半年前なんですよ。でも、一人で潜るようになったのは先々月からですねぇ。いや、前にいたパーティーがお流れになってしまって。地図でいうなら……二階へ続く階段の手前くらいまでは一人で攻略しました」

「一人で?」

「あ、でも、パーティーで組んでいた時は5階まで」

 思わず男の顔を凝視した。

 五階層まで行ったパーティーがどうして解散したのかはわからない。が、どうやら目の前の男は中堅クラスの探索者だ。

 この人が? 本当に?

 真っ当な人間なら詐欺を疑うだろう。

「今の等級は……?」

「隴銀ですよ。そちらは?」

 隴銀。取り出した階級証は間違いなく本物だった。

「赤銅。この人も、そう」

「二人組で、三ヶ月で赤銅クラスだったら早い方ですよ。学校でも優秀だったのでは?」

「……別に。死人の捜索をしていたら、すぐに上がる」

「ほうほう、そうですか。死体の匂いを嗅ぎ分けていたら、出世するのも早いんですね! あ、でも、死体取りが死体になったって、笑えないですねー!」

 嫌味を言おうとしている口調ではなかった。

 それでも存分に腹は立つが、何も本当のことなので言い返せない。

 むしろ、羨ましがっている。新しいおもちゃを見つけた子供のような。そんな口調で男はローゼリカに話しかける。

 なるべく無視を決め込もうと思った。

「んー、じゃあ、なるほど? 俺向きの案件だなぁ、これは」

「……死体になりたがる人は、探索者に向いていないのでは?」

「昨日の俺ですか? あぁ、そうですね。おっしゃる通りだ! しかし、ご安心を、俺は死の研究者ですから、自分が死ぬのと同時に蘇生式を唱えれば、魔力尽きるまで無限に死ねますよ! それに、状況にもよりますが、その場で生き返らせることもできますからね。これはお金をとってもいい技術だったのか! そうか!」 

(何で一人で盛り上がっているんだろう、この人──ん?)

 芝居かかった口調の中に、聞き間違えではないかと思うような言葉がすらっと登場した。

 思わず作業の手を止めて、目の前の男を凝視する。

「いやいや! 素晴らしい! あなたが気づかせてくれた! お礼に彼も蘇生してあげましょうか?」

「はぁ……ちゃんとできるなら、いいですけれど」

 嘘じゃないのか。そんな、高度な技術を持っている人間が、どうしてこんな一人でほっつき歩いているんだ。

 口調こそは淡々としていたが、内心ローゼリカは驚いていた。死者の蘇生というのは、実に高度であり、ここ以外では全く役立たない技能だ。

 死体といっても仮死状態のものしか復活させられないからである。

 迷宮内では、どんなひどい死に方をしても完全に死ぬことはない。仮死状態だから、適切な処理を行えば復活する。

 蘇生技術は、迷宮で死んだ探索者を復活させるくらいにしか使い道がない魔術である。完全に死んだ人間を復活させることはできない。

 太古の記録によれば、そのような技術もあったというが、今はその危険性故封印指定を受け、名前こそあれど受け継ぐものはいない。

 ゆえに、迷宮街で生活しようと考えない限り、学んでも意味のないこと。

 使えるものは限られており、そんな技術があればこの街で食いっぱぐれないだろう。子供でも理解できることだ。

 しかし、この男はそれを知らなかった。

(まさか、この人は死ぬために苦労を重ねて、こんな技術を習得したとか──?)

 めまいがした。死の研究者で探索者、という不気味な身分がますます男の不審さを加速させる。

 となると、本当に半年もここにいたのが嘘に思えてくる。誰かに記憶でも引っこ抜かれたのだろうか。一般常識ともいえる価値観が欠如している上に、どうやら訳ありとみた。

(あり得ない……あり得ない……こんなことって……それこそ詐欺師だって言ってくれた方が真剣味がある!)

 復活の手順に則り、掘り起こした死体を、平たい地面に寝かせる。

 男は死体の検分をするように、顔を近づけた。

 長い髪がハラハラと死体の上に散らばり、ウミや土まみれのところによく──と口を出したくなった。

 見かけだけならば、姫を接吻で起こそうとする王子のようにも見える。ただ、その相手は土まみれの大男である。しかも、死んでいる。

「……あぁ、窒息死か。スライムにでも襲われましたか? 魔法が使えない、火も調達できないようなパーティーだと詰んじゃいますよね」

 男は、目視だけで死因を言い当てた。

「あ、あたり……なんだけど」

(嘘、嘘だろ! でも、あってるんだよなぁ)

「魔法が使えないなら、火打石か洋燈でも持っておくといいですよ……これって学校で教えないんですかね」

 男は、手慣れた手つきで鎧を外し、心臓のあたりに手を当て、何やら呪文のようなものを唱えた。

 魔力を吹き込んでいるのだ。その際、相手の魔力と己の魔力の波を合わせると、人体は傷が治ったり、怪我が癒えたりする。

 精神的にも体力的にもかなり消耗するとは聞いていたが、それを眉一つ動かさずに行っているのを見ると、相当な使い手だろうと察した。

 聴き慣れない呪文、見慣れない魔力波だ。

 クーゼリアも医者の免許を持っているが、彼女のそれとは治療法が異なる。

(あぁ、この人は本物なんだ)

 死体の口がうっすらと開く。青白い顔のまま、死体だった男は、咳き込んだ。

「成功です」

「…………」

 信じられない。

 ローゼリカは目の前で起こった光景に己の目を疑った。

 男は、勢いよく起き上がったので、腰を痛めつけたようだった。

 口に詰まったスライムの残滓を吐き出し、ローゼリカは首元の汗を拭ってやる。

 一通り吐き出し、呼吸が整うと、ようやくあたりを見渡し、ローゼリカの顔を見つけたようだ。

「ローゼリカ……俺は……ここは……はっ! 俺は死んだはずじゃ」

「名前! 名前ちゃんと覚えてる? 自分の名前!」

「ヤルキン・ベージャン……二十七歳。職業は採掘師……じゃない探索者……守護星は──」

「も、もういい……とにかく、スライムを頭にかぶって死んだから、安静に」

「死んだ? じゃあここはどこなんだ、天上か?」

「ば、ばか! 私が死ぬかっ!」

「あなたが生き返るまでに、一日経過していますよ」

 男が真横に立っていたので、ヤルキンは思わず肩を震わせた。

「あぁ、ど、どうも……?」

「いえいえ、いいことを教えてもらったお礼ですから、必要ありません。どうぞ、あなたの懐に納めてください」

 反射的に懐から取り出した魔鉱石を、男は突き返す。

「そうだ。こちら、蘇生してくれた──あ、名前を聞きそびれていた」

「アランです。アラン・ネイムといいます」 

「アランというのか……ヤルキンを助けてくれて、感謝する」

 ローゼリカは深く頭を下げた。

「俺の方も、どうも助かりました」

「いえいえ、困ったときはお互い様が探索者としての規範ですし。また、機会があったらお会いしましょう。青い鳥亭でよく飲んでいますから、来店の折には一杯やりましょう」

 アランは二人から離れ、奥の通路へと消えた。

 後ろ姿が見えなくなるまで、二人はそれをずっと見つめていた。

「……どうして、あんなすごい人と知り合えたんだ? っていうかどうして助けてくれたんだよ」

 まるで英雄のようだと思った。ヤルキンは興奮して顔が上気していた。

「死のうとしてた」

「は?」

 正直に答えると、途端に表情が鳩が豆鉄砲を食らったような顔に変わる。

「冗談か?」

「色々な方法で死にたいらしい。だから、迷宮に籠るし、蘇生術も使えるそうだ」

「……世の中には、変人が多いな」

 黙って入るものの、内心ドン引きしているのだろう。

(あーあ、ちょっとカッコよく盛って、花でも持たせればよかったかな)

「全くだ」

「っていうか、俺が死んでからどれくらい経った?」

「ちょうど半日くらい。死亡届を出す前に蘇生できてよかったなァ」

「もしかして、あの人がいないと俺死んでた?」

「…………」

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