薄荷、薄氷、薄ら紅

そうしろ

第1話 はじめまして

死神は私と出会うとき、いつもミントの香を携えていた。どうもその爽やかな香のせいか、私は彼/彼女のことを、あまり毛嫌いできずにいた。


始めに会ったのは、母方の祖父の墓前だった。

あれは確か母と些細なことで喧嘩して――そう、確か、学校から配布されたプリントをうっかり見せないままでいて叱られたとか、そんなほんとうに些細なことで喧嘩になったのだ――それで一月前に白血病で亡くなった、大好きだった祖父の墓所へやって来たのだった。

昔はそういうことがあれば、よく母方の実家に家出をしていたものだ。両親が共働きで、風邪を引いたりする度に預けられていたこともあって、幼少の頃は実家と祖父母の家で滞在する時間にあまり大きな差はなかったように思う。

しかし数年前に祖母が火災で亡くなってからは祖父にも急に老いが見え始め、入退院を繰り返すようになってしまったためにそういうことはなくなっていた。

あの時どうして祖父の墓前を訪れたのか、それはあまりに曖昧とした理由だった。小学生が歩いて行けるくらいの距離だったこともあるし、なんとなく母への不満を言いつけてやろうと子ども心らしく思ったのもあるだろう。そして何より、祖父は私に誰もよりも甘かったからだ。


「おや。君は、こんな所でどうしたのかな」


――若い女性だ。どことなく、母に似ているようにも思えた。黒い、どこまでも黒い喪服のようなパンツ・スーツのダブルの内側には、やはり真黒の薄手のシャツが見える。

……思えばあれは初夏の頃、いやに暑い六月の日だったのに。そんな格好で汗一つかいた様子もなかったのはつまり、そういうことなのだろう。


「あぁ、そうか。君は彼の孫娘か」


黒い長髪をそのまま滝のように美しく腰まで流したその姿が、田舎の海が見える墓地とはあまりに不釣合で、まるで太陽を見つめすぎた時の残光がずっと視界に白抜きで残るようだった。


「ふぅん。さて、どうしたものかな」

「彼と同じく、私達と波長が合っているらしいが」


ふわ りと6月の潮風が夏の匂いを運んできた。新緑と花の根の匂い、潮の生き物が打ち上げられて腐った匂い。

そして、シャツの隙間から露になった彼女の、青白い首筋が纏うミントの香。


「それならゆきがけの駄賃に、いただいてしまうのもいいな」


――死の匂い。


当時の私は彼女の言葉の意味も分からなかった。まるで祖父の死が、その葬儀が、何がなんだか分からないまま進んだように――死は、幼子にとってはあまりに唐突で、場違いで、理不尽以前に意味不明なものとしてそこに立っていた。


「おや。しかし、そうか……君、いいものを持っているね」

「それを私ににくれないかな」

「そうすれば、それを再会の約束に代えよう」


私がそのとき持っていたのは、ポケットにたまたま入っていたその辺りの綺麗な石ころと、よくあるありふれたドロップの缶だけだった――好きな甘味のものを食べ尽くして、薄荷味のドロップだけになった缶。

私はそれを、言われるがままに彼女に差し出した。


「勿体無い。君も大人になれば分かると思うがね、実はこの白いのが一番美味しいんだ」


彼女はまるでドロップの缶をウィスキーのスキットルのようにあおり、なかに四、五粒はあったであろう薄荷味のドロップを全て一口に収めてガリガリ、バキバキと音を立てて噛み砕いた。

子ども心に私は、その食べ方の方がなんだか勿体無く思ったのを覚えている。


「ありがとう。美味しかったよ」


そう言うと死神はにこりと微笑み、気がつけばいなくなっていた。ミントの香だけが彼女のいた証であったが、それももしかしたら、熱中症で錯乱した幼児がドロップの缶の残り香を強烈に感じただけかもしれない。

しかし気づけば私の手には空っぽになったドロップの缶ではなくて、中身がなみなみと入った未開封のミネラル・ウォーターのペットボトルが握られていた。

私はそこでようやく自分が汗もかかないほどに喉が渇いていたのを思い出して、がぶりがぶりとむせかえるようにその不自然なほどよく冷えたペットボトルを空にして、日が落ちるのを待ってから家に帰り、やっぱり母に叱られたのだった。


そうして私は、すんでの所で脱水症状で死ぬことなく――彼女の「ゆきがけの駄賃」にならずにすんだのだった。


しかしそれ以来彼女は、死神は、性別も年齢も衣服のように替えて、度々私の前に現れるようになったのだった。


やはり、ミントの香を纏って。










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薄荷、薄氷、薄ら紅 そうしろ @romangazer

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