幼女来訪、少女襲来
「ふーん。カウンターが得意なんだね。なら、私から仕掛けた方が貴方には好都合ってわけね」
「だったらなんだってんだよ?」
エストから齎された大男の情報を聞き、なかなか手を出して来ない大男にも苛立ちを感じ始めていた莉子は、自分が先に手を出す事に決めた。
「いや、別に。先だろうが後だろうが結果は変わらないしね。たださ、格下の冒険者相手に本気を出すのって、恥ずかしくないの?」
「ムカつく奴を全力で叩き潰す。どんな奴でもな。理由なんてそれだけで十分だろうが」
「うん。それは私も共感できるな。ポイント高いよ。だから、貴方に対して別に腹が立ってない私は手加減するから」
そう言った莉子は、その瞬間、ローブだけを残して姿を消した。
「……はぁっ??」
パサリと地面に落ちて丸くなるローブを見て変な声を上げる大男。冒険者たちもまた、その異様な光景に一瞬にして静まりかえった。
『やっほー、見えてる?』
「ど、何処に行きやがったっ!?」
静かになったギルド内に何処からか莉子の声が響いた。大男は周囲を見渡すが、莉子の姿を見つける事はできない。前後左右にがむしゃらに拳を付きだすが、その全てが無駄に終わる。
『まず、お腹を蹴って仰向けに倒すからねー』
「ふっざけんじゃねぇ!! どこまでも馬鹿にしやがって!! ゼッテェ殺してやるッ!!」
莉子の攻撃場所の宣言は、完全に舐めきった、大男のプライドを逆なでする行為。莉子にそのつもりは無かったが、大男は逆上し莉子へと怒りの叫びを上げた。
「あのー、無理だと思うけど、一応言われた通りに前方を警戒した方がいいっすよ」
「テメェもだクソガキッ!! お前もぶっころグッハァァァァッッ!!?」
「遅かったか……」
このままだとオッサンがノーガードで莉子の宣言通りに腹を蹴られてしまうなと、里矢からすれば大男の身を案じた善意の助言だったのだが、これも大男は怒りのままに里矢へと殺意を向け叫んだ。が、その途中で凄まじい衝撃音と共に大男は血を吐きながら、その場で木床を破壊しながら天井ぎりぎりまで飛び跳ね、そのまま仰向けになり意識を失った。
『え、あれ? もう終わり? テンプレの冒険者ってもう少ししぶといもんじゃないの?』
「一撃で終わるのもあるぞ。っていうか、莉子の相手をして一撃じゃない奴は、テンプレの域を超えた猛者だからな?」
『えぇー、私まだ剣を抜いてないよー!?』
「一撃を耐えて尚且つ剣を抜く相手だとしたら、それはきっとラスボス級だよ。どうすんだよこれ、床がバッキバキじゃねえか。弁償とか言われても俺は出さないから」
静まり返るギルドに響く、里矢と莉子の呑気なやり取り。莉子の実力を甘く見ていた殆どの冒険者は、予想外すぎる結末に声を出せず、そうでない莉子の実力から勝つと分かっていた冒険者も、想像以上の実力に息を呑んでいた。
莉子の実力を測ろうとしていたエストの目論見もまた、ある意味で成功し、ある意味では失敗に終わった。
(底が知れない。分かったのはそれだけだ。何もかも分からなかった。姿は見えないし、気配も感じない。魔力の残滓すらない。そもそも魔力を使ったのか?)
一定以上の実力差があれば、認識の外で相手を制圧出来るかと言えば可能である。エストも無色や緑色の駆け出し冒険者や一般人を相手にし、何をされたか分からないままに意識を刈り取る事は出来る。
ただしそれはその場限りの事で、意識を取り戻した彼らが戦いを真剣に振り返れば、どのような手段を持ってして負かされたか理解するだろう。相手の魔力の流れ、周囲の空気の動き、相手の呼吸や気配。周囲で見ている者がいれば、理解は更に早くなる。完全には掴めなくとも、ほんの少し触れる事は容易いのだ。
しかしこれはなんだと、エストは戦慄した。第三者として見ていた自分が認識したのは、大男が腹を殴られて気絶したという、ただそれだけだ。
(人の知覚を超えている。人に出来るような芸当だとは、到底思えない。……人智を超えた化け物? それはもう『超災害』の領域じゃないか……!)
超災害。それはおおよそ人の理解を超えた隔絶した力を持ち、人類に災厄を与える危険性を持つ者に与えられる称号である。超災害に認定された者は殆どが国に管理されているが、超災害の中には犯罪者も数人いる。ただ、超災害に認定された犯罪者を捕まえる事は基本的に重罪とされている。
刺激する方が、放置するよりも余程危険だからだ。そのため犯罪者である超災害を見かけても手を出せないのだ。
その矛がこちらに向かないように、祈るしかないのだ。文字通りに歩く災害から。
(いや、馬鹿らしい。そもそも莉子なんて名の超災害は聞いた事が無い)
エストは頭を振る。恐ろしく強い事は認めざるを得ないが、いくらなんでも超災害は無いだろうと。そうして、今だに姿を現さない莉子と会話をしている里矢に話しかけた。
「なぁ里矢。そろそろ莉子の姿を見せてくれないか。勝者を称えさせてくれよ」
「あ、そうだな。莉子、そろそろ戻ってこい」
『分かった。ローブは着た方がいいのかな?』
「素性を隠せとは言われてないし、ここまで注目されといて今更じゃない?」
『それもそっか』
あまりに莉子と自然に会話する里矢に、もしやと思いエストは尋ねた。
「里矢にはあの子が見えてるのか?」
「ははっ、無理無理、見えるわけないじゃんか。俺ってめっちゃ弱いよ?」
よかった、里矢はやっぱりまともなのか。里矢も莉子と同程度の実力があるのではと、自分の目に少し自身を失っていたエストは、一笑する里矢を見て胸を撫で下ろした。
「ただいま。なんか拍子抜けだよねー」
莉子は足元のローブを拾い上げて、里矢の隣へとやってきた。音もなく、最初からそこにいたのではと思うくらい自然に、気が付けばそこにいた。
莉子は肩口で切り揃えた黒髪に指に巻きつけ、不満そうに口を尖らしていた。それを受けた里矢は大きな溜息を吐いた。
「夢だった冒険者ギルドでのテンプレが出来たんだから少しくらい喜びなって」
「なんか思ってたのと違うんだよね」
「おいおい……。このオッサン、まさか殺ってないよな?」
「死なない程度には手加減した、はずだと思うよ」
「恐ろしく不安な回答だな……」
歯切れの悪い莉子に冷や汗をかきながら、里矢は白目を剥いて気絶している大男の側まで近づき、爪先で突いて反応を確かめ始めた。
「あー、やっぱローブ汚れちゃってるよ」
莉子は大男の血のかかったローブを見て肩を落としつつ、エストの元へ向かう。
「こんにちは、エストさん。私は更科莉子。里矢と同じように接してくれると嬉しいな」
「それは難しいですよ……」
笑顔で目の前に手を出され、握手を求められたエストだが、莉子の姿に、正確には身にしているその服装を見て、その手を握るのを躊躇ってしまう。
黄色を基調とした、動きやすさを重視したその服装と帯剣しているレイピアから分かる通り、戦闘を想定いることが想像に容易い。しかし、肩や腕に気味よく装飾されている宝石と、膝丈までのスカートが一種の気品さを感じさせている事から、ただこの服装は戦闘だけではなく礼服としての機能も求められているのが理解できるというもの。そして極め付けに胸に付けられている、王城と盾の意匠が彫られたバッジは、ある職業の者だけが付ける事を許されたものだった。
「あー、やっぱ分かっちゃう感じ?」
「その紋章を知らない者は、スノリアス王国には一人も居ませんよ、騎士様……。エスト=リンデルと申します」
バツが悪そうに頬をかく莉子に、エストは椅子から降りて片膝をつき、両腕を胸の前で交差させて頭を下げた。エストのこの姿勢は、貴族に対して平民が挨拶をする時に行う作法であった。
この国の、————スノリアス王国の騎士になる為には、王族の誰かの推薦があって始めて就任を許されている。また、騎士となった者には等しく爵位が与えられていた。
騎士団員であり、その身分と爵位を保証するものが、莉子の右胸にあるバッジ、騎士紋章だった。
「おい、マジかよ。あの嬢ちゃん騎士様だってよ」
「俺たちもエストのように頭を下げるべきじゃねぇのか?」
「いや、やべぇぞ。さっき思い切り笑っちまったじゃねぇか。不敬罪だったりしないよな?」
「とりあえず平伏しておくか」
「そうだな。その方がなんかそれっぽいしな」
突然の騎士様の出現に、騒ぎ立て始める冒険者達。貴族が冒険者ギルドに対して依頼を出す事は良くある事だが、一般的に粗野で乱暴だと思われている冒険者が、依頼者である貴族と対峙する事はまず無い。配下を通してやり取りをしたり、貴族本人への報告義務があるような場合には、ギルド職員が邸宅に赴くからだ。
つまり貴族本人が冒険者ギルドにやってくるなど前代未聞で、貴族と接する事がない冒険者達は作法など覚える必要がなかったので、降って湧いたこの状況にどのような態度を取るべきかが分からないのだった。
その結果、冒険者達はそれっぽい態度という理由で、莉子に向かい平伏し始めた。
「え、いやなにこれ。流石に予想外なんですけど……」
そんな冒険者達の対貴族事情を知るはずもない莉子は、自分が貴族だと知られたら少しくらいは敬われるかなー。くらいの認識で、自分に対して両膝をつき額を地面に擦り付け始めた冒険者達に若干引いていた。
「なんか、ちりめん問屋の御隠居が印籠を掲げた時を思い出したわ」
大男の生存確認を終えた里矢が、莉子の隣に並び冒険者達の姿を見て、よく爺ちゃんが観ていたなぁと、夕方にテレビで放送していた世直し道中記を思い出した。
「里矢、どうすればいいと思う?」
「そこで気絶してるオッサンの命の保証。後はここの飯は美味いから後腐れなく纏まって、今後も気楽に出入り出来るようになればパーフェクトだな」
「分かってるよ、その方法はあるのかなって話をしてるの」
「オッサンの事はともかくとして、後者は絶望的だろうな。まぁ別に俺は貴族じゃないし、莉子みたいに強くないから、ここにまた飯を食いに来る事に気後れはないけどな。莉子のせいで多少なり注目はされるだろうけど」
「んなっ!? ちょっとそれ酷くない!? 里矢がローブ着なくていいって言ったのが悪いんじゃんか! って言うかあんたもローブを脱げ!! 私だけ不公平だよ!!」
「おい、やめろ引っ張るな! お前がもっとスマートにオッサンを倒してりゃあ、ここまで騒ぎは大きくならなかったんだよ!!」
「それを言うなら、里矢が金貨を出さなきゃ絡まれる事は無かったでしょ!!」
「テンプレ主人公願望があったくせに、よく言えたもんだな!?」
互いの肩を掴み合い始まった二人の喧嘩を、冒険者達は恐る恐るといった様子で顔を上げ、正座をしながら眺め始めた。そうして皆が同じ事を思った。自分は一体、何を見せられているんだろうかと。二人は恋仲ではないが、側から見れば痴話喧嘩のようにしか見えなかった。
ふとエストを見れば、いつの間にか椅子に座っており、なんとも言えない微妙な表情を浮かべて二人を見ていた。エストは真面目に対応するのが馬鹿らしくなったのかと、冒険者達は察した。
冒険者達は示し合わせたように立ち上がり、各々がいた元の場所へと無言で戻り、エストと同じ表情を浮かべて二人の喧嘩を眺める。なんか言われたらもう一度平伏すりゃいいか、みたいな感じだった。
冒険者ギルドに響く二人の罵声を、他の冒険者が無言で見つめる。近くで気絶している大男がなんとも言えない哀愁を醸し出していた。ハッキリ言ってカオスである。
運命とは残酷である。神が振った賽子はこの場を収めるどころか、カオスをさらに加速させていく!
「まずだぁー! 何処ですがぁー!?」
冒険者ギルド内に、二人の罵声とは別の声が突如として響いた。喧嘩をしていた里矢と莉子も、酒でも飲もうかと考え始めていたエストも、冒険者達も皆が皆、件の声の主がいる入り口へと視線を向けた。
くりっとした小動物を思わせる翡翠の瞳に、透き通った白い肌。腰まで伸びたさらさらな金髪をもつ幼女がギルドの入り口で泣いていた。
幼女はギルド内を不安げな顔で見渡していたが、ある人物を見つけると途端に輝く笑顔を浮かべて、小さな紺色のコートを床に引きずりながら、とててー、とその人物に走り寄って行った。
「まずだぁーー!!?」
「ね、ネル!?」
自分に向かって突進してくる、ネルと呼んだ幼女を受け止めるべく里矢はその場で屈む。ネルはそのままの勢いで里矢の胸へと飛び込んで、頭をぐりぐりと押し付ける。
「ますたー。まーすたぁーー」
「あー、やっべぇ。ネルの事すっかり忘れてたわ……」
里矢は猫のように丸くなるネルを抱え上げ、その頭を優しく撫でる。
「結構時間が経ってたんだね。ごめん、私も気づくべきだった」
「いや、莉子は悪くないよ。絡んできたオッサンが諸悪の根源だ。そう落ち込むなってば、お前がそんな態度だと、俺まで調子狂うだろ?」
「ふふ、何それ。でもそうだね、ありがと。元気出た」
お前らのさっきまでの喧嘩はなんだったんだよ! と、冒険者達は声を上げて問い詰めたかったが、魔物との戦いで空気を読む重要性をよく知る彼らは流石である。争いが落ち着いたのだからと、ここでもしっかり空気を読んだ。
「えーっと。すまないがその子は……?」
「ん? ネルだぞ。可愛いだろー?」
「いや、そうじゃなくてだね。君達二人の関係性をだね……」
和やかな雰囲気に包まれている二人に、エストが冒険者ギルドへとやってきた珍客について問いかけた。他の冒険者も里矢とネルの関係性は一体どのようなものなのかと耳をすませる。
里矢は一体どう説明するべきかと頭を悩ませた。里矢とネルの関係を正直に説明するというのは、ひいてはネルの正体を明かす事である。スノリアス王国に止められている訳ではないが、里矢はあまり大っぴらにしたくは無かった。
ネルのマスター呼びは聞かれているから、知り合いの子供という設定は難しい。奴隷というにも、そんな事を言えば自分が幼女を奴隷とする変態の烙印を押されてしまうし、ネルを嘘とは言え奴隷とは言いたくないし、そもそもスノリアス王国において奴隷所持は重罪であるからして不可能だし。
「別に正直に言っちゃえばいいじゃん。私みたいになっちゃいなよ」
上手い誤魔化し方は無いものかと、目を閉じて頭を捻る里矢へ、莉子は横から口を出す。
「莉子と俺とじゃまた話が変わってくるだろ。俺には王国の後ろ盾は無いってーの」
「いやいや、いるじゃん。ある意味で一番ヤバイ盾が後ろにさ?」
「国家戦力と個人戦力を比べるなって。信用していない訳じゃないけどさ」
「ほほー、嬉しい事を言ってくれるねぇ!」
「いや、当たり前じゃないですか。そりゃあ、ちょっと面倒くさい所はありますけど、でも困ったら助けてくれますし、魔導の授業は分かりやすいし。こっちの世界ではネルの次に大事な人ですけど」
「聞いた!? 聞いたよね莉子ちゃん!? やっと里矢くんがデレてくれたよ!!」
「いや、デレてないっすけど……。————ぅん?」
里矢は話の内容に違和感を感じた里矢は目を開けると、そこにはしてやったりと笑みを浮かべている莉子がいた。そうして里矢の後ろを指差してくる。
よく考えれば、莉子の声は最初だけだった。よくよく考えれば、それ以外はここに居るはずのない、聞き覚えのある声だった。さらによくよくよく考えれば、自分は恐ろしい事を口走っていなかっただろうか。
里矢は抱えていたネルを下ろし、滝のような冷や汗を流しながらゆっくりと後ろを振り返った。
ネルより少しだけ大きい少女が、踊り子のような露出の激しい衣装を身に纏い、赤らめた顔に両手を添えて、桃色のツインテールを揺らしながら身体をくねらせていた。
もう一人の新キャラかよ!? 冒険者達の心は不毛な形で一つとなった。
「ゲェッ!? し、師匠ぅぅぅーーッ!?」
「はい! 里矢くんの師匠で大事な人認定されたリリムでーっす! という訳で私も里矢くんの胸へとアイラブユー!!」
「うわぁ!! くっそ、離れろこの野郎っ!!」
リリムに飛び掛かられた里矢は、何とかその拘束から離れようとするも、がっしりとホールドされてしまっており逃れる事が出来ない。
「一体何処から湧いてきやがった!? 空間転移とか高度な魔導をこんな下らない事に使いやがって!!」
「普通にギルドの入り口から入って来たね」
「マジで!?」
てっきり空間転移してきたと思っていた里矢は、エストからの衝撃の事実に思わず周囲の冒険者を見やる。冒険者達は揃って首を縦に振っていた。
「何してんだよ師匠!! 仕事はどうしたんだよ?」
「スンスン。いやぁ、やっぱり生の里矢くんは最高だよ!」
「話を聞いてねぇし!」
「里矢くんの下着とか歯ブラシとか、お風呂の残り湯から里矢くんの成分を抜き取って、サプリにして飲んでるんだけど、やっぱり摂取効率が落ちるんだぁー」
「ひぃぃぃ!! だ、誰か助けてくれー!! 見てくれよこの鳥肌をっ! 変態が、普通の変態なんか目じゃないド変態に襲われてるんだっ!?」
「ネルもますたーにくっ付きまーす!」
「おぉ、ネルならいつでも、いくらでもくっ付いていいぞ!!」
「あれは、助けてあげた方がいいのかい?」
「大丈夫だよ。いっつもあんな感じだし。さっきネルちゃんを下ろしたでしょ? あれってリリムさんが胸に飛び込んで来るって分かっての事だから」
「あれが日常とは、末恐ろしさを感じるよ。それに慣れてる莉子も十分、奇人と呼べるだろう」
「なんか酷い事言われたっ!?」
「いや、真面目な話さ、君の周囲には君を含めて奇人と変人しかいないのかと」
「エストさんって、さらっと毒吐きますよね……」
疲れを乗せたため息をエストは吐く。畏まった態度でないエストに、莉子は嬉しそうにしていた。エストの態度は普通の貴族ならば大問題なのだが、莉子に対して貴族の扱いをしようとは思わなくなっていた。
莉子へ返した答えも馬鹿にした発言だが、莉子はそれすらも嬉しそうにしているので、これで良かったのだろう。
リリムに纏わり付かれて泣き叫ぶ里矢と、里矢に纏わり付いて恍惚の表情を浮かべるリリム。ネルもまた里矢の背中をよじ登り楽しそうにしている。そして、それを尻目に雑談に花を咲かせる莉子とエスト。
彼らは、もう一人の登場人物である引き立て役の存在を忘れていた。
「マーテス、ちょっとおかしくありませんか?」
最初に異変に気がついたのは、気絶している大男、マーテスの近くにいた女性冒険者のエステルだった。
エステルの言葉を受けて、仲間のレッドがマーテスの様子を伺うが、特に変わった様子は見受けられない。
「気持ちよさそうに伸びてるが?」
「違うんです。外見じゃなくて、なんかマーテスの魔力が……」
「本当だ。エステルの言う通り、マーテスの魔力が澱んでる。純粋な内包魔力とは別に、何か別の物が魔力の中で固まっているような……」
もう一人の仲間であるアリエッタもマーテスの異変に気付き、エステルの言葉に補足を入れる。
「なんか、ヤバイのか?」
魔力云々を言われると、剣士であるレッドにはお手上げだった。身体強化に魔力を使いはするが、その手の専門知識はからっきしであった。その点、エステルは治癒術師、アリエッタは魔法使いなので、魔力を感知する能力には長けていた。特に魔法使いのアリエッタにとって、魔力は専門分野である。
アリエッタの深刻な表情から、レッドは何か良くない事が起きていると察した。念のため、いつでも剣を抜けるよう警戒はするべきかと立ち上がる。
「チッ、この馬鹿、正気じゃないわね!! エステル、最大出力で出来るだけ広範囲に魔力障壁を展開して!! 皆も魔力障壁を出せる奴は今すぐ出しなさい!! 忠告はしたわよ、自分と仲間の身の安全は自分で守りなさいよ!!」
「え、う、うん。分かりました!?」
「おい、何だってんだ。説明されないと分からねえよ?」
だが、警戒に留めたレッドとは違い、アリエッタはエステルに魔力障壁を展開するように指示し、アリエッタも同様に魔力障壁を展開する。
突然のアリエッタの大声に冒険者達は怪訝そうにするが、すぐにマーテスの異変に気がついた魔力探知に優れている者。特に魔法使いや魔導師達が、この異常事態を認識して、魔力障壁を展開していった。
「マーテスの内包魔力の中にもう一つの、核として魔力があるのよ!! この意味くらいは分かるわよね!?」
「…………おいおいマジかよ。そりゃ流石に洒落にならねぇぞっ!?」
「ちょっと何してくれてるんですかこの筋肉バカは!?」
事ここに至り、レッドとエステルも事態の深刻さを察した。魔力の核、それは通称魔石と呼ばれるものだからだ。
魔石を持つ生物を魔物と呼ぶ。そして、魔石を持ってしまった人間のことを————
「もうマーテスは人間じゃないわ!! 魔人になったのよっっ!!」
「ギャハハハハハハッッ!!」
アリエッタが叫んだその瞬間。マーテスが高笑いを上げ、まるで人の身の殻を破るように、赤色の瘴気を纏った魔力の暴風が解き放たれた。
自身へと向かう魔力の暴風を見て、エステルとアリエッタは自分達の魔力障壁ではこの魔力の暴風を止められない事を理解してしまった。
魔力の暴風は、冒険者達が展開した魔力障壁を軽々と打ち破り、その身を吹き飛ばし、魔力障壁を張っていなかった冒険者達の身体を爆散させ、冒険者ギルドとその周辺の建物を悉く破壊し—————その結末を覚悟し目を瞑った二人だったが、一向に魔力障壁へと衝撃が伝わって来ない。
どういう事か、まさか魔力障壁は破られ、既に死んでしまったのだろうかと、恐る恐る目を開ける二人。
そこには未だに魔力を注いでいる魔力障壁が健在していた。
「どういう事?」
「私にも分かりませんよ……」」
「……マーテスを見てみろ。それで分かるから」
疑問の声を上げる二人に、レッドがマーテスへと指をさした。その顔は目をひん剥かせて、まさに驚愕といった様相である。
二人は言われるままに、魔力障壁越しにマーテスへ視線を向け、レッドと同じような顔になった。
「ギィアアアァァァッッ!」
マーテスは水晶のように透明な短剣に、その四股を空中に打ち付けられ、その胸を、少し煤けた白いローブを来た少年——里矢によって、黄金の刀身をもつ剣で貫かれていた。
それならば、魔人化したマーテスを実力者が倒しただけだと、別段と驚くような事ではない。
瘴気を帯びた魔力がゆっくりとマーテスもとへと戻り、その瘴気を吸収するにつれて、魔人化したマーテスが元の筋肉質の人間の姿に戻っている。
魔石の研究は長年行われている。当然、魔石を持ったことで魔物化した動物や、魔人化した人間を元に戻す方法も行われている。しかし成果は全く挙げられておらず、魔石に手を加えたせいで更に狂暴になってしまう、なんて事例もしばしば起きていた。
魔物や魔人は手遅れで、元に戻す方法など皆無。それが常識であり、苦痛の声を上げながら人の姿へ戻るマーテスに三人は————冒険者達は驚愕した。
「まさか、オッサンが魔人化するとは思わなかったから少し焦ったわ」
やがて全ての瘴気がマーテスへと吸収され、人間に戻った事を確認し、胸を貫いている剣を引き抜く。マーテスがあまりの激痛から悲鳴を上げるが、その胸に傷はなく、刀身にすら血が付着している様子はない。
里矢はフードを取り、短剣に身体を縫い付けられているマーテスの首筋に剣を当てる。
「なぁ、オッサン。ネルが怪我したらどうすんだよ?」
黒髪の、整ってはいるがどことなく特徴の無い顔付き。そんな評価をクラスメートから受けている里矢。そんな里矢は能面のような表情で、マーテスへ感情の篭っていない平坦な口調で問いかけた。
転移にはやはりそれなりの理由が必要だろうか? いとより、鯛 @guge
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