abrf年h月ak日
私の日記は自由研究の手抜きとして行われたもので、先生の検閲を逃れる必要があった。そのため、私の書いた日記にははじめに「わたしの思ったこととか場所をとてもこまかく書く」「わたしいがいの思ったことも書いてみる」と苦し紛れに叙述されており、しかしながらその宣言通り、我ながら小学生にしてはかなり濃密な文になっていたと思う。
炎天下、砂浜にいるくらいなら海へ活魚のごとく飛び込んだ方が幾分まし、そんな夏、私たちは親の監視下で海遊びに来た。待ちに待っていた海開きである。私はこの時を日記に認めようとあらかじめ計画していた。つまり、これで夏休みの宿題はすべて終わるのだ。
私が水着に着替え腰に浮き輪をつけ、砂浜に出たときにはすでに君は砂浜で脚と水着と浮き輪を汚していた。黙々と砂をかき集めている。
「何してるの?」
活魚の心持ちだった私は不思議に思い、質問した。
「さらさら!」
君は小さな手で砂を掬っては向かい合った小指の穴から砂時計のように砂を落とした。帰り道で知ったが君はこれが初めての海だった。私も内心は渋く梅干しのようだったが波打ち際に行って、土を掬った。
「こっちはどろどろ!」
私が見せつけると君は興味津々にこっちに来て私の手から落ちる泥が堆く積み上げられていくのを見ていた。私がすごいだろと言わんばかりに笑みをもらすと、君も大げさな程に口角を上げて更に泥をかき集めだしたので私も手伝った。丸い泥の面を掌でたたくと平らになる。それだけで充分楽しかった。叩いたときに飛び散った泥が私たちにかかる。局所的に目や口にかかり、ぎゃっと苦しんだときには互いにうわははと罵るように笑っていた。しかしそれが慰めでもあった。
しばらくそうしていたが、正直、次第に少し飽きてきた。私の活魚魂が戻ってきていた。
「海行こうよ」
この上なく何の気なしに誘った。しかし
「まだ泥高く積めるよ」
と突然君は眉をひそめたので
「でも海で遊ぶ時間無くなるよ」
と私も咄嗟に負けじと眉をひそめてしまった。謎の負けず嫌いである。そうだねと眉が戻ったのを見て、私は完全無防備の典型の姿で海に飛び込んだ。しかし顔を水面から出すと君はまだ波打ち際でこちらに手を振っている。
「はいんないのー?」
私たちはそれぞれ気分が違っていて、君は泥遊びが続行したかったから留まっているのだと勝手に推測したが、君は満面の笑みで
「今行く!」
と海に入ろうとしていた。しかしどこか素っ気なく、それは長縄跳びで苦手な人が入ってくるときの挙動そのものである。漠然と何かを察した私は海辺に戻り、潮でベトベトの手で君の泥だらけのベトベトの手を引っ張り、海に飛び込もうとした。刹那、君の身体が鉄のように堅かったのを覚えている。そして私の手の引き具合に比例するように君の手から全身が柔らかくなっていった。呪縛が解けるかのようだった。勢いよく海に突入した私たちは浮き輪の力を若干感じ、足の着く所で遊んだ。(これは親からそうするようこっぴどく言われていた。)水掛けや、水中じゃんけんをしたが、君が水中で目を開けられていなかったので、勝敗は私が確認し、都度伝えることにした。今思えば嘘をつけばいくらでも勝つことができたと思う。でも私はかなり負けた。
「今日はじゃんけんが強い日だ」
君は豪語していた。私も負けまいと挑み続けたが、負け越した。
そうこうしているうちにすぐに夕方になってお母さんたちが帰宅を促してきたので、最後に水中じゃんけんをして、帰った。結果は引き分けで私たちの息が持たなくなるほど長くつづいた。思いがけない意気投合に海面から顔を出した私たちは息が上がっていたが、肺から直通で出たカスカスの声で笑っていた。
帰り道、夕焼け空が映える道で完全透明で純粋な感謝を伝えた。
「海に入ってくれてありがとう、苦手そうだったのに」
「そんなことない」
君は驚いた様子で顔を赤らめながら曖昧な返事をする。私はありがとうといったことへの謙遜なのか、苦手だということの否定なのか、はたまたその両方なのかは分からなかった。そこからはなぜかなんとも微妙な雰囲気で、会話を切り出しづらく、失言してしまったと落ち込んでいた。自分の何気なく言った一言で相手の返事が無くなってしまったとき、私は地雷を踏んだとやや自意識過剰に思ってしまうのだ。その人の感情を考えることすら難しくなり、自己嫌悪と後悔による永遠の迷宮に迷い込んでしまいそうになる。私はカチカチのコンクリートしか見られなかった。
そうこうしているうちに私の家に着いてしまった。「また一緒にお茶でもしましょう」と君の母が締めの言葉を言い、かろうじて君と保っていた肩と肩の間の距離が離れようとしていた。夕焼けがひどく残酷な濃い赤色に見えた。
「また行こうね」
私は反射的に顔を上げた。
確かに君の声だった。しかし君の顔は逆光でよく見えなかった。
陽の周りに雲が少量かかり、翳る。
私は大きく頷いた。
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