桃色の色鉛筆

ガリガリと何かを描く音が庭に響く。

それは熱心に、少し雑さを含んではいるが

ひたすらに響き渡っていた。


「…ここにいたのか。

キミはここで何を描いているんだ」


少年がカツカツとワルツを踊るように軽い足取りで、ガゼボの中へと入る。

声をかけられた女性は、少年の顔を見ると

嬉しそうに言った。


「あら、お仕事は宜しいの?可愛い可愛い魔法使いさん」


可愛いと呼ばれた少年は、少し不服そうに頬を膨らませて女性を睨む。


「その言葉は辞めないか。僕はこう見えてキミよりも長い月日を生きているよ。

…依頼主が来なくて暇を持て余していたんだ」


「あら、そうなの?それなら…」


そうして女性が言葉を続けようと目線を少年から逸らした時。

何処からか、飴玉のようなコロコロとした少女の声が聞こえてきた。


「ここ、ここにおりますわ。

この方がワタクシを間違えてご自分が落とされた色鉛筆だと拾ってしまわれたのですわ。ワタクシ、それで何も出来ず出向けなかったのです」


少年と女性がそちらを見ると、

可愛らしいピンク色の色鉛筆がはねていた。

随分と使われていたようで、先はよく尖り

長さもあと少しでなくなるまでに減っていた。


色鉛筆はおしゃべりなようで、

まだ聞かれてもいない事をさらさらと言って

1人で満足げにしている。


「そうか…という事は、キミが今回の依頼主…という事でいいかい?」


少年はゆっくり屈んで、色鉛筆へ目線を合わせ、端正な顔を近付ける。

そしてふぅ、と一息吹きかけると、色とりどりの蝶が色鉛筆から舞い上がり

1人の可愛らしい服を着た少女が、さくらんぼのようにからんとした笑顔で立っていた。


「えぇ、そうですわ!

こちら、座っても宜しいかしら?

それとも、やはりあちらの礼拝堂へ?

私はどちらであっても従いますわ」


にこっと音が出そうな程の笑顔で笑い、少年が言う言葉を待っている少女。

いつもの静寂さに慣れている少年は、賑やかな少女の様子にたじろぎ、溜め息をひとつ付いて言った。


「一々戻るのも、だな

うん、…ここで聞かせてもらおう。

それに…キミは話す事が好きなようだ。

僕一人よりももう1人くらいいる方が、

キミも話がいがあるだろう?」


少年は女性の方を見て、そのままそこに居るように目で指示すると、

すっと指先を何かのマークを描くように動かして、

ガゼボによく映えるテーブルを3人が座れるように大きくする。

同時に、一つだけだった椅子も2つ、3つと増えた。

その様子を少女はキラキラと目を輝かせて見ている。


「凄い、凄いのね貴方!

そんなに凄いことが出来ちゃうなら、ワタクシが御依頼した事もすぐに解決できますわね!」


少年がその少女の言葉に一瞬苦しそうにした女性の表情をちらりと目をやっていると、

慣れない足取りでガタガタと少年の元へ来て、興味深げに手を思いっきり握ってくる少女。

少年は、女性が助けてくれない事を感じ取ると、一歩後ずさりをして距離を保ちながら手を優しく振り払い、

少女に1番近い場所にあった椅子をそっと音が鳴らないように静かに引いた。


「動き慣れていない身体で、そんなに飛び回っては魔法が解けてしまうよ。

さぁこちらへどうぞ、レディ。


キミの話を、ゆっくり聞かせてくれ」


少年は優しく、誰もが幼少期に想像する白馬に乗った王子様のように甘く、

少女へと語りかけた。

少女は、「王子様ね」とうっとりとしながら、

大人しく席へ座った。


「…さて、本題へ入ろう。


君が紡に来た物語を、


僕達に聞かせておくれ」


「えぇ。

ワタクシが話に来たのは、

ワタクシのご主人のお話ですの。


それはもう、とても可愛らしく着飾ることが大好きなご主人でしたわ…」

.

.

.

ワタクシの買われて行った場所は、大きいけれど可愛らしいお家でしたわ。

そこでワタクシは、ご主人と出会いましたの。


ご主人は、それはもう沢山ワタクシを使ってくださいましたわ!

オシャレなフリルをふんだんに使ったドレスを、ワタクシの色で染め上げたり

ヒールの高い美しい形状の靴に付いた、

小さなハートの飾りをワタクシで少し雑でしたけれど、綺麗に塗っていました。


ワタクシは、それがとても嬉しくて嬉しくて、ついご主人の手元から転がって喜んでしまう事が多々ありましたわ、今思えば、ご主人にはとてもご迷惑でしたわね…。


けれど、やがてご主人の声色も背丈も伸びて

ワタクシをあまり使って下さらなくなりましたの。

いつもワタクシを真っ先に選んで下さったのに、

ワタクシに向きかけた手先は、取り繕うようにいけ好かない青のご婦人や黒の殿方へと伸びていくのです。


ワタクシはとても悲しくて堪らなくって、

ある日ころんと転がって逃げました。

こんなにも使われない屈辱に耐えられるわけがありませんって、伝わらない言葉を叫びながらね。


すると、ご主人は慌てた様子で寝具の下へ転がったワタクシを取り言いましたの。


「こんなダサい色、使ってたとかマジ昔のアタシセンスないわーウケる」


あの時、ワタクシはとても悲しかったけれども逃げませんでした。

だって、ご主人は顔と声が一致しておりませんでしたから…。

あんなにも辛そうな顔で言われても、ワタクシの目は誤魔化せませんわ。


だからワタクシは、されるがままになってみました。

ご主人は、そんなワタクシを笑いながら外へ放り投げて、


「あースッキリした」


と言っていました。

けれどワタクシには、それが本心で無いのが

あの顔を思い出せばすぐに分かるので

ワタクシは投げ出されたその場でひたすら、

ご主人が先程のように取りに来てくれるのを待ちました。


一向に、来なかったけれど…。


やがて、ワタクシもそろそろ壊れてしまいそうになるまで月日が経ったある変な夕暮れでした。


ケラケラと品のない笑い声が聞こえて来て、何事かと転がってそちらを見てみたのです。


すると、ご主人は


殴られ、蹴られ、笑われ、美しく輝く金髪を掴まれ、回され、また笑われ…。


酷い有様でした。

一点にやられ続けては、紫色が付いてしまうし

あんなに綺麗な服には茶色に灰色、黒も付いてしまって…


到底、ワタクシが似合う場所はありませんでしたの。


その時ワタクシ、あの時の言葉と表情の本当の事を知りました。


あれは勿論、本心ではありません。

けれど、同時に本当の本当に本心なのです。


うぅん、上手く言葉に出来ませんわ…

でも、とにかく、


ご主人は、本当はワタクシを使いたかった。

けれど、あの取り巻く下品な方々の言葉が

ご主人の頭の中いっぺんを占めていたのですわ。


本当は、とてもお似合いですのに。


それが悔しいのか、寂しいのか

似合う者を見下して、自身を正当化し

似合わない事を慰める者達に


汚い色を塗りたくられていましたの。


ワタクシは、そんな可哀想な人達につるまれているご主人は

余程魅力の高い方なのだと思いましたわ。

だからこそ、ワタクシのような色がとてもお似合いで、美しさが際立つのだと。


ワタクシは、そんなご主人に気付いて欲しかった。


転がって、ご主人の元に行きましたの。

ワタクシをもう1度、お使いになって。

この美しい色で、貴方を美しく染め上げて。


そう思いながら。


ご主人は、手元に当たったワタクシを見て

大層驚いていらっしゃいました。

けれど、笑いながら去る可哀想な人達の方をじっと見た後に、ゆっくりワタクシを拾い上げて、柔らかく泣きそうな目を細く微笑ませて仰いましたわ。


「…あの時アタシが捨てたのに、まだここにあったんだ…。


よし。

…アタシは、何がなんでも

この色でオシャレを作ってみせる」


ワタクシはその言葉がどのような事よりも嬉しかった。

転がってはまたご主人から離れてしまうと思って転がりませんでしたけれど、本当は転がりたいほどに嬉しく思っておりましたわ。


そうして、ご主人はまたワタクシをよく使うようになりました。

前よりもかっちりと形の具体的になったドレスや、昔は描けないからとよく泣きながら消していたベルトもとても立体的にお描きになって…

ワタクシの色で染めてくださいました。


幼い頃の物語に出るような服も素敵でしたけれど、

今のご主人がお描きになる服の絵は、

まるで花嫁が今この時1番美しい笑顔を咲かせている風景が見える程にふんわりとワタクシの色がよく映えた、ウェディングドレスの絵でした。


ワタクシは、その絵がワタクシで塗られていくのを見ながら

この絵がやがて、美しい布となり、美しい方の新たな門出を祝う事を想像しておりましたわ。


…やがて完成した絵は、郵便ポストへご主人の震える手で入れられ、

あとは結果を待つだけ…としきりにご主人は呟いていました。


そして、何やらドタバタと忙しない音とともにご主人が持ってきた手紙には…


「採用」


と書かれてありました。


ご主人は、水色の涙がぽろぽろと溢れ出て

頬はワタクシと赤色を混ぜたような可愛らしい色に染めて、

とっても、とっても喜んでおりましたわ。


やったぁ、よかったぁとしきりに呟いて、

拭えど溢れる涙をずっと拭って。


ご主人は幼い頃からずっと、

ブライダルファッションデザイナーという職に就きたい。

そう願っておりました。


そしてそれが、その日ようやく叶ったのです。

ワタクシも、自分の事のように嬉しかったのを覚えていますわ。


ご主人は、その採用を機に本格的にその道へ進みましたの。

デザインをより多く知るために留学もしていましたわね。


そうやって、ご主人は学びを深めながら

花嫁の方が1番に輝く瞬間がデザインの時から浮かぶ程美しいドレスを

何着も何着も描いていました。


勿論、ワタクシもふんだんに使って頂きましたわ。


そんなとても順風満帆だと思える日々を送っていたある日。そう、ワタクシとご主人が再び出会った夕暮れと同じ色の日でしたわ。


ご主人が、

消えてしまったのです。


行方不明というものになってしまったのです。

ご主人のお家の方々が、大慌てでご主人の居場所を賢明に突き止めようとしていらっしゃいました。


けれど、何も無いのです。

今まであったものが何も。

ご主人は、帰って来ませんでしたわ。


そうしている内に、

ワタクシはご主人のお家の方々によって

役目のお暇を頂きましたの。


けれど、あんなにも熱心だったご主人が

いきなりいなくなる訳がございませんわ。

ですから、ワタクシは

ワタクシがご主人を探すと決めましたの。


喩えどんな結末であろうとも。

.

.

.

「そうして、このお店を見つけて来た…という訳ですのよ」


少女は語る前よりも大人びた微笑みで少年へ首を傾げる。

少年は、そんな少女に美しさを覚えつつも

無表情で言った。


「…なるほど。

持ち主が死んでいないという場面は、普通難しく危険があったりするけれど…

今回は運がいい。

すぐにでも力になれそうだ」


少女は、少年のその言葉を聞いて勢いよく椅子から立ち上がった。

がたっ!と大きく弾かれた椅子は、その勢いを受け止めきれずに後ろへ大きな音を立てて倒れる。


「本当ですの!

えぇ、あぁ、とても嬉しいわ…

ご主人には、どうすれば会えるのですか?」


ふわふわと慌ててみたり惚けてみたりと忙しなく表情を変えながら、少女は少年へ指示を仰ぐ。

早く早くと急かすように輝く眼差しを向けられた少年は、ふと話を黙って聞いていた女性へ声をかけた。


「…カオリ。

キミの本当の姿を、彼女へ見せてもよろしいかな?」


「…ふふ。

まさかここでアタシの持ち物が来るなんてね…

えぇ、特に困ったことは無いし、良いわ」


2人のやり取りを見ていた少女が、段々と元の姿に戻っていく女性の姿を見て「あ!」と大きく口を開けてその口元に手を当て、驚いている。


黒く艶やかなストレートヘアは、次第に金色のゆるっとウェーブを描く美しい金髪になり、

藍色で全てを静かに見渡していた眼差しは、

カラーコンタクトでも叶わぬほどの綺麗な青色へと変わった。


「貴女!貴女が、カオリ…ワタクシのご主人じゃありませんこと!?」


少女は、カオリと呼ばれたその女性を眺めてもう口を塞ぐことを忘れてぽっかりと開いた口をそのままにして叫ぶ。


女性は、ふんわりと微笑み少女を抱きしめてそっと髪を撫でる。


「えぇ、そうよ。

アタシはアナタのご主人で、カオリ。


実は、帰らなくなったあの日、昔のアナタが言う“可哀想な人達”に会ったの。


そこで口論になっちゃって、


やられちゃってね」


やらかしたとでも言うような軽い苦笑いの表情を浮かべて、ポリポリと頭を掻きながら説明する女性に、

少女は少し怒りながら言った。


「そんな、そんな!

どうして貴女がそんな目に遭わなければなりませんの!

貴女は何もしていないのに!」


「…嬉しい事を言ってくれるのね、桃色さん。

けれどね、アタシはアタシが完全に悪くないとは思わない。


あの時だって、アタシがあぁ言わなければこうはならなかった…って事もあるし、

向こうもそういう何かがあると思う。


それを、どちらかが悪いだなんて決めつけるようになったら、


それこそ、可哀想な人になってしまうからね」


女性は優しく母のように微笑み、少女の膨れた頬を撫で付ける。

そんな2人をしばらく見つめていた少年が、

ようやく口を開いた。


「…キミたちのような不思議で面白い依頼は、初めてだったからどうなるかと思ったけれど…

上手くいって良かった。


美しい再会に、祝福のブーケを」


そう言って少年が指先でくるりと2回円を描くと、女性と少女の手元に

ピンク色のポピーと白いデイジーが美しく輝くブーケが舞い降りた。


女性も少女も、唐突に現れたブーケに驚きつつも嬉しそうに目を細めて笑い合う。


「あら、素敵なブーケ…

そうだ、ねぇ桃色さん。またアナタを使って描かせてくれない?

アナタの色じゃないとダメなのよ」


「えぇ、勿論よ!ワタクシの大好きなご主人!たっくさん使ってちょうだい!」


そう言った女性へ勢いよく目を向けた少女は最後にこれ以上と無い程嬉しそうに笑い、サラサラと美しい桃色の景色を見せながら元の色鉛筆へと戻っていった。


女性は、戻った色鉛筆にそっとブーケのデイジーを一輪巻き付けて綺麗に結ぶと、

少年へ向かって微笑みかけた。


「ありがとう、さっきは可愛い魔法使いさんだなんてごめんね?


アナタ、とってもかっこいい魔法使いね。

目覚める前に、こんなに素敵な思い出を作らせてくれたんだもの」


少年は、女性の目覚める前にという言葉に少し驚いたが、見開いた目をふんわりと微笑みへ変え、指を動かした。


「キミ達が素敵な話を紡がせてくれたお礼だから、気にしないで。


…では、このキミ達を綴った美しい桃色のドレスに着替えて…」


いつの間に綴られたのか綺麗な字で2人の話が綴られた紙が、布のように柔らかくなり

美しい桃色へと変化すると、

女性を包み込むようにドレスへと形を変えた。

傘の柄の部分には、女性の色鉛筆がそっとしまわれて行く。


「まぁ、ここまで素敵な格好はきっとこれが最初で最後よ!


でもそうね、アタシがデザインすれば

また着れるかしら」


女性はとても嬉しそうに少年の方をくるりと向いて話す。

少年は、そんな女性を見て細く微笑むと

もう一度指を動かして淡い桃色の雲で出来た階段を天へ向かって出した。


「そうだね、きっとキミ達がデザインしたなら、この物語ももっと美しいドレスになれる。


…名残惜しいが、そろそろキミ達は輝くべき場所へ戻る時間だ。


新しい命が顔を出す春に、

ポピーの花が色とりどり美しく一面に咲くように、

キミ達の物語が、多くの人々の春を咲かせられる事を祈っているよ!


さぁ、傘よ、儚くも可愛らしく咲く桃の色よ、持ち主を咲くべき場所へ案内を」


少年が唱えると、色鉛筆が仕舞われている傘がふわりと綿毛のように優しく浮き、

女性をゆっくりと世界の扉へ案内する。

女性が落ちないように、優しく静かに。

女性は、子供の頃に戻ったかのように楽しそうに手を振って少年を見た。


「ありがとう、ありがとう!


いつか、アタシのドレスを、アタシ自身が着る時は、


アナタも是非来てね!」


まるでどんな花嫁よりも綺麗な笑顔を残して、女性は扉の向こうに消えていった。

.

.

.

心音が鳴り響く静かな病室に、

意識を失った状態で金髪を力なく横たわらせている女性。


「…う」


女性は、いつか見た夕暮れと同じように空が桃色を含み日が沈みかけたその時、

奇跡的に目を覚ました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

棺に今日も華を添えましょう ネモ🍣 @soosakusushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ