クジ引きの割り箸



ギシ…と

教会を守る、茨を象った門が重々しい音をたてながら開く。

サクサクと草を踏む音と共に、執事が「おや」と声を上げた。


「もし、貴方様はこちらの方ですかな。

私は割り箸と申します。

いや、相談にはるばる来たはいいが、

なんせ私はこの見てくれですからね、

どうも疲れてしまった。

良ければ、中に運び入れて下さいませんか」


割り箸はひょこひょこと今にも折れそうなほど古い身体を飛ばし、執事へ居場所を示していた。


執事は優しく微笑むと、そっと割り箸を優しく持ち上げて丁寧に抱える。


「えぇ、勿論。大切なお客様ですから。

さぁ、中へどうぞ」


「いやありがとう。助かりました

おや…、もしやあの少年が」


「はい。我が主であり、貴方の依頼を叶える

人になります」


執事の声に反応した淡い赤色の髪をなびかせこちらを向いた少年は、その夕陽よりも紅いリコリスを思い出させるような目で、割り箸と執事をそっと見つめた。


「そこの…割り箸、キミが本日の依頼人かい?」


柔らかな唇から飴玉のように優しく軽快な声が溢れる。

割り箸は「あぁ」と少したじろいだが、1つ息を零した後語った。


「はい。そうです。

ここは物の言葉を文にし、手紙にし

もう会えない持ち主へ届けてくれる。

そう聞きまして」


「いかにも。

さぁ、こちらのテーブルへおいで」


執事が割り箸をそっと少年が座るテーブルに置くと、

キラリと星が割り箸を包み、少年の向かいに

1人の優しげな老人男性が座っていた。

男性は、「これは!」と驚きながら動く両手をしげしげと見つめ、嬉しそうに微笑む。


「ありがとうございます。

この姿はとても懐かしい…私をこうなるまで使って下さっていた、あのご夫婦を思い出しますな」


その様子を見た少年は、少年らしからぬ美しい微笑みでその男性と目線を合わせ、

「ふふ」とひとつ笑いを1つ浮かべた。


「気に入ったのなら良い。

僕は少しばかり魔法が使えるのでね、

来てくれた少しばかりのお礼だ」


「いや、素晴らしいですな

感動致しました…心よりの感謝を」


老人男性は、早速動かせる手足を使い、

大きく少年へ感謝を表した。

少年は少し目を見開き、そっと男性の肩に細い手先を置いて撫でる。


「あぁ構わない、楽にしてくれ。

さ、座って。

お茶を飲みながら聞かせておくれ。


キミの伝えに来た、紡ぐべき語りを」


「えぇ。


私が、伝えに来た言葉をどうか、


忘れないで下さい」


喩え、どんな結末でも。


.

.

.


私が使われました家は、

ここよりも遥かに小さくはありますが、

誠に愛に満ちた家で御座いました。


そこにはお婆様、お爺様が仲睦まじく暮らしており、いつも猫の鳴き声やご飯を作る音で賑わっていました。


その家の…畳の香りが心地よく香る場所の、

茶色の小さな戸棚に私は先端を赤く塗られて筒状の入れ物の中へ入れられ、篭っておりまして、

お爺様がお作りになった私達を使ったクジを、いつもお孫様が帰られた時戸棚から出してこう言っておりましたなぁ。


「当たりを引いたら、おやつを買ってあげようね」


と…。


私を引いたお孫様達は、大層喜んでお爺様と手を繋いで、近くの菓子屋へと行ってお菓子を腕いっぱいに買って帰ってきていました。


今だから言えるのですがね、

私達にハズレなど初めから御座いませんでした。

実は、全て当たり印が入れられていたんですよ。星の印に、二重丸、波線もありましたかな。

いや、あのお爺様は誠にユーモアが豊かでいらっしゃった。


お孫様らにお菓子を買った後は、そのお菓子を片手に紙芝居や工作、手品を披露していたりする時もありました。


それはそれは、お孫様達皆さんもうこれ以上は穴が空くという程に、お爺様のやる事に目を輝かせて見つめておりましたよ。


けれどもまぁ、人間とはあっという間に変わりますからなぁ…。

お孫様達もすっかり大きくなりまして、


悲しい事に、お爺様とよく衝突なさった。

そんな古ぼけた考えだから、お堅い奴と話す言葉なんてない、分かり合えない、

終いには、早くくたばってしまえ…など。


私は物として言葉を発する事は出来ませんでしたが、

あの時のお爺様の表情は、今となっても忘れる事など出来ません。


出て行けとだけ言ったお爺様に、無言で出て行かれたお孫様。

お爺様の表情は、怒りや苦しみも勿論ございましたがやがてみるみるその顔付きは変わり、


凄く、切なく、泣きそうな顔でした。


その今にも崩れ落ちそうな哀愁を抱えた表情で、戸棚の隙間から見えていた私をそっと取ると

今度は愛おしいものを見つめる時のような

慈愛に満ちた表情で、私をそっと撫でたのです。


「昔はなぁ、

あんな奴じゃあ、無かったんだ…

わしも、彼奴もなぁ…」


その瞬間、私の撫でられた箇所に、じわりと何か塩分を含んだ暖かい水が落ちてきたのです。


私はその後すぐにゴトンと鳴り受けた衝撃に驚きながらも、ふとお爺様を見ました。

お爺様はとても悔しそうに、白髪を乱して、

立派な眉毛を歪めて、


泣いておりました。


それはもう、ぼたぼたとぼたん雪のごとく大きな涙を、シワが増えて細くなった眼差しから、

ひとつ、ふたつと、抑えても出てくる悲しそうな声を上げながら。


お孫様に、この声を届けられたなら、どんなに良かったでしょうか。

そう思うほど、私はない心が締め付けられました。


そして、その少し後に

お爺様は静かに、畳へ全身を委ねられました。

私を握りしめたまま。


慌てていた御婆様が、なにやら大きな場所へ運ぶために忙しそうにしておりました。


その時お爺様の額から抜け出た煙が、

お爺様の形をして驚く顔をそのままに私の前に来て言ったのです。


「あぁ、あぁ。

わしは、死んでしまったらしい。

それにしても、死とはこんなにも呆気ないものなのだなぁ。


孫とは仲直りも出来ず、してやりたかった事も、まだ沢山残っていたんだが…」


目を伏せて、悲しげに眉を八の字にして。

私に続けて語るのです。


「のう、もし、

もしも、いつか聞こえたあの世界が本当にあるのなら、お前さんがそこへ行って、


わしの言葉を孫に届けてくれたらいいのになぁ」


出来ますよ。私はそう言いたかった。

けれど、貴方のように魔法が使える訳でもない。ならば、聞こえませんからね。

代わりに、コトリと音を立てて答えました。


するとそれが見えていた様で、お爺様は少し嬉しそうに目を細め、やがて閉じて口を開きました。


「妻には、お前を残していって済まない。

約束は守れただろうか?と。


息子には、お前が守ると決めた家族は、この世に彼ら一つだけ。

最期まで、しっかり面倒を見るんだぞ。と。


そして…孫には…」


お爺様は

段々と歪んでいく目に、涙を零れそうなほど溜めて、震えた愛の詰まった声を絞り出しました。


「あぁ、もっと会いたかったなぁ…。


死んでも、涙は出るんだなぁ…。


なぁ、クジ引きの箸よぉ、

お前が変わってくれたら良かったなぁ。


うぅっ…あぁ、ダメだなぁ


孫、孫には…


孫にはな、


沢山、やりたい事をやって、満足する最後になるようにしなさい。


そう言ってやれ。


…あぁ。


ああぁ…。


お前を分かってやれんで…ごめんなぁ…ユウタ…」


言い終わったと同時に、お爺様は…

シュワシュワといつかお孫様とやっていた

シャボン玉のように、泡のように

登っていかれました…。

.

.

.


話を終えたらしい、男性は「ふぅ」と深呼吸をした。

伏せた目からは涙が零れている。


少年はハンカチを男性へそっと渡すと

組んでいた足をきっちり揃えて、手をそっと膝の上へ乗せ言った。


「それは…そのご老人はさぞ無念だったろう。

キミがここへ来てくれたこの縁へ、僕からも感謝を」


「あ、いや、ありがとうございます。

感情とは便利で不便でございますな」


男性は涙をそっと拭い、顔を上げた。

先程まで無かった赤い線が、彼の額に出ていた。


「クジ引きの赤線か…」


「そうでございます、私は赤い線でした」


「うん、そのようだ。


さて…ではそろそろ、そのご老人の願いを叶え、物語を飾ろう」


少年が指先をトンと叩き、ふわりと白から先にかけてアザレアのように美しい色のグラデーションを纏う羽ペンを手元に寄越すと、

その下にはやけに子供らしい便箋が現れた。


「ふむ…この便箋はキミの持ち主のものだろうね」


「…そうでございますね、

それは確か、私が置いてある横で大切そうにたてかけてありました…お孫様から、お爺様への手紙に使われている便箋と同じです」


可愛らしい飛行機が、便箋の左下から

右上へともこもこしながらも一直線に上る典型的な飛行機雲を引っ張りながら飛んでいる。


剥がれそうなシールはこの空をモチーフにした便箋には合わない、茶色いテディベアが青いリボンをつけているシール。

どこか色あせていても優しげに感じるその雰囲気は、

きっと老人と孫、どちらにとっても大切な便箋だからなのだろう。


「この便箋は、恐らく書きやすい」


少年はそう言うと、口角を緩く上げて目尻を下げ、男性を見つめた。


「では、物語を締め括る幕の飾りを作ろうか。


…キミが伝えたいのは、


キミが届けたいのは、


何で、誰かな?」


男性は、目を開いて驚いた後に、

ふっとしわしわの口元を緩ませ、開いた。


「私は…


奥様へ、息子様へ、そして…

お孫様へ、


お爺様が遺された言葉を、そのままに伝えたいのです。」


それを聞いた少年は、目を閉じて「うん」と笑った。

どんな花よりも美しく笑った少年は、

優しく年相応にも取れる笑顔で続ける。


「承ったよ。


幕を飾るこの手紙は、

飛行機となり空を飛ぶ。

雲となって水辺に映る。

空となって心に染みる。


キミの紡いだ言葉は、たった今物語となった!」


少年のその言葉と共に、ペンはカリカリと軽快な音を立てて言の葉を綴る。

やがて書き終えたらしいペンが、つんと便箋を突く。

突かれた便箋はみるみる形を変えていき、

3つの同じ花となった。


「これは?」


男性が不思議そうに目を輝かせてその花を見つめる。

少年は、花を3方向へ浮かせて言った。


「この花は〝ハハコグサ〟という。


きっとキミの話に素敵な色を付けるだろうと思っていたんだ。


さぁ、ハハコグサ達。


その〝想い〟を、己が伝えたい者の元へと届けなさい」


少年がふぅっと優しく吹きかける息に乗るように、ふわりふわり、ハハコグサとなった便箋は空へと飛んで行った。


男性は、その様子を「おぉ…」と腑抜けた声を出し大きく口を開いて見届けた後に、

少年の方を向いて少年の手を取って喜んだ。


「いや、ありがとう、ありがとう!

貴方様のおかげで、私は伝えたかった事を伝える事が出来ました!


これで、役目を終えて元へ還る事が出来ます。


本当に、本当に…ありがとうございました!」


言い終わると、男性の形がやがてひかりの輪へと形を変えていく。

完全な輪になり空へと消えていくその光の中心には、

綺麗に赤線の引かれた、ボロボロの割り箸がいた。

彼は、心なしか笑って手を振っているように見えた。


「…どうやら、良かったようだ」


少年が言った。


「えぇ、流石は我が主でございます」


執事が言った。

.

.

.


その日の夕方は、

やけに黄色く懐かしい夕方だった。


「ただいま」


思春期特有の、不貞腐れているような表情で家へ入ってきた男の子が机の上を見た。


そこには、

かつて祖父が摘んでくれた

ハハコグサがあった。


驚きながら近付くと、その下に

自分がまだ、素直だった頃にあげた手紙と同じ便箋。


その便箋の宛名には、

懐かしい、祖父の大きくて癖のある字で

〝ユウタ〟

と書かれていた。


「…じいちゃん…」


男の子はその日、

やっと、素直な涙を流した。

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