第2話 : 接触(後)
世界が爆ぜて壊れた気がした。あちこちで銃声が上がり、悲鳴が続いた。なんの警告もなかった。美友梨は蓮華に庇われたまま、状況を必死に確認していた。
蓮華の腕の間から倒したテーブルを盾にするタロウが見えた。タロウは体をテーブルの裏に押し付けて頭を守りながら辺りに声を張り上げた。
「撃つな! 撃ち返すな!」
ホルスターに手をかけた男たちは咄嗟に手を離して転げ落ちるように地面に伏せた。間に合わなかった何人かが棍棒で殴られた。
顔が歪んだ。鼻が曲がった。背中を打たれた。鈍い音がたくさん響いた。骨が折れたと確信できた。
男たちはなんとか腕を頭の後ろで組んだが、すぐ警官にねじられて、手錠をかけられた。
タロウは両手を上げてゆっくり立ち上がろうとした。リロードした警官が銃口を向けた。
「やめろ! 抵抗はしない、なんの権利がある!」
「犯罪者に権利などない」
遠雷が、風穴だらけとなった店内に唸った。汚れのない帽子を目深に被った制服の男が、タロウに近づいた。
男は手を後ろに組んでいた。タロウの前に立つと、テーブルを蹴飛ばした。男は蓮華と美友梨を見て怪訝そうな顔をしたが、タロウに向き直った。
「タロウ・カルタ・ホンディンだな」
「そうだ。お前は」
「シーヴァ・アクヌ・アルウィス。国家警察特殊作戦群第二班」
「聞かない所属だな」
「知らせる義務は我々にはない。特に汚れた犬にはな」
シーヴァは棍棒を振りかぶった。タロウはとっさに頭を下げた。
血飛沫が飛んだ。額が割れた。タロウは膝をつきそうになった。耐えて、持ち直す。
入口から犬が吠えながら走ってきた。犬はタロウとシーヴァの間に割って入ると唸り声を上げた。
「大丈夫か」
「無傷です」
美友梨は蓮華と小さな声で言葉をかわすと、蓮華の肩を抱えながら体を起こす。
二十名ほどの警官が肩に銃床を当てて男たちを睥睨していた。彼らはみな黒い目出し帽にヘルメットを被っていた。この国の軍隊でも、彼らほど統制は取れていない。美友梨は侵入者が漂わせる、ピンを抜かれた手榴弾のような危うさを感じ取った。
「フン」
シーヴァはやり返してこないタロウに失望したようだった。鼻を鳴らすと、棍棒を持った右手を掲げる。タロウは咄嗟に顔を向けた。
「撃つな!」
視線の先で、タンクトップの男が拳銃を引き抜いていた。伏せたまま顔を上げて、シーヴァに狙いを定めた。そのときには警官隊は発砲していた。
眩しくて目をつぶりそうになった。美友梨はつぶらなかった。目に発射炎が焼きついた。
散弾銃が、ライフル弾が、肉を抉り、内臓を喰らった。男の身体は引き上げられた魚のように跳ねた。四肢は真っ赤に染まり、もぎ取られた指が飛んでいった。
「撃ち方やめ! 誰が殺していいと言った!」
銃声が止まった。男たちは銃を下ろした。
タンクトップは真っ赤に染まり、あちこちが食い千切られていた。欠けた内臓が床にぶちまけられていて、血の臭いは、この地域の臭いに混じり、まるで汚物のようだった。腸の中身が出たのかもしれない。
「部下が失礼をしたな、詫びを言う」
シーヴァの言葉にタロウはぐっと奥歯を噛みしめる。額を流れる汗が、持ち上がった頬を伝って、涙のように流れ落ちた。タロウはいからせた肩を、ゆっくりと下ろしながら、悔しさを声に滲ませた。
「詫びだと? よくも、ぬけぬけと……一体なんの権利がある。俺たちがいったいなにをした?」
「通報があったのだ。反政府勢力が、武器を集めて、何かを企てているようだとな」
「証拠は」
「それはこれから探し出す。お前たち、探せ! 武器がここにあるはずだ」
タロウは左右に視線を泳がせる。警官隊は散会し、床を銃で撃ったり、テーブルをひっくり返したりしながら、タロウの部下の持つ銃器を押収した。蓮華が制するのを押さえて、美友梨は立ち上がった。
「随分なご挨拶なんだな、シーヴァ班長さんとやら……」
服についた埃を手で払う美友梨を一瞥すると、シーヴァは帽子を持ち上げた。サングラスをずらして、目を凝らすと、シーヴァはタロウに向き直る。
「なぜ折鶴組のご令嬢がここに? 彼女も共犯ということかね」
「なんのことだか、さっぱりわからない」
「とぼけるんじゃあない。お前たちは、大統領選を狙い、クーデターを企てている」
「どうしてそう言える」
「お前たちが犯罪者で、この国に恨みを抱いているからだ」
シーヴァは断じた。
「お前たちは踏みつけられてきた側の人間だ。虐げられ、侮辱され、野犬以下の扱いを受けてきた。ならば、国に恨みを抱くはずだ。ならば、そのような企てをしてもおかしくはない。第一、信頼できる情報なのでな」
「内通者でもいるというのか」
「答える義務はない」
「班長!」
警官の一人が声を上げた。シーヴァは棍棒でタロウを突くと、顎でついてくるように促した。
美友梨は蓮華にそこで待つよう命じると、二人の後ろに美友梨も着いていった。シーヴァが到着すると、バーカウンターの奥を覗き込んでいた男が立ち上がり敬礼した。シーヴァは剥がされた床板の下から出てきた穴を見た。
「もっとよく見せろ」
シーヴァが言うと、男が仲間に声をかけた。少しして、外からバケツリレー方式でバールが回されてきた。男はバールを受け取ると、床板を剥がした。
穴は大きく、奥まで続いているようだった。男はバールを抱えたまま穴へと入った。そして木箱が三つ持ち上げられた。
シーヴァは棍棒をその南京錠に振り下ろした。蓋を開けると、多数の銃火器があった。
「AK、UZI、ミニミ、ドラグノフ。それに手榴弾。これはいったい、どういう目的で集めたものかね」
「かるた組が地元を平定したとき、地元のギャングから取り上げたものだ。こちらの土地を得た折に、ここに封印して、それきりだ」
「そんな言い訳が通用するか!」
シーヴァはタロウを殴りつけた。タロウは顔を上げて睨み返した。言い訳はしなかった。
「お前たちはこれを集めて蜂起するつもりだった、あるいは反政府組織に横流しするつもりだった。そうだろう!」
シーヴァは再び殴りつけた。
タロウはよたつき、美友梨がその体を支えた。
美友梨の手に血がべっとりと着いた。初めて触れた血は、熱かった。
美友梨は後ろからタロウの顔を見た。タロウは額に汗をにじませて、シーヴァを睨みつけていた。
「俺たちはなにもしていない。この国には法律があるはずだ」
「お前たちがそれを言うか!」
「法を犯させたのは誰だ!」
「では罪を認めるのだな!」
シーヴァが再び棍棒を振り上げた。
「違う! 待て、話を聞け、班長殿」
美友梨はタロウの体を引いて、二人の間に割って入った。シーヴァは手を止めなかった。美友梨の肩が強かに打たれた。蓮華が悲鳴を上げた。
美友梨は手のひらで蓮華を制した。美友梨自身は、ぐっと歯を食いしばり、声一つ上げなかった。
「私がなぜここにいると思う。相談を受けたからだ、この武器をどうすればいいかと」
「なに?」
シーヴァは眉を釣り上げた。
「折鶴組がかるた組と和平を結んだことは知っているだろう、班長。父と駱太郎は新しい組長さんに挨拶を済ませたのだが、タロウさんには声をかけていなかった。宴席で気が緩んでいたのだろう。失礼があってはいけないと思い、今朝私から連絡した。部下を通じてな」
美友梨はタロウを見ながら言った。タロウは美友梨を見返した。その瞳の奥で言葉なく言葉が交わされた。タロウはシーヴァを見ると頷いた。シーヴァは美友梨に視線を向けた。
「タロウさんは、この武器を持て余していた。これは先代が存命の頃、それも今の組長が組に合流する前に手に入れた代物だ。もしこれを隠し持っているとなったら、なぜ知らせなかったのか、問題になる。そして隠し持っている事実が、タロウさんを背信者として仕立て上げる材料になる。折鶴組は、こういったものの合法的な取り扱いに長けている。挨拶のための伺いを立てたとき、その相談を受けたので、手筈を整えようということになったのだ。つまり……」
「我々が得た情報は誤りだと?」
「どこかで不行き届きがあったらしいな」
美友梨は臆することなく言い返す。シーヴァは鼻を鳴らして、美友梨を睨む。シーヴァは思案の末口を開いた。
「では……お前たちは、ここで、この武器の処分を相談しているだけだったと?」
「そうだ」
「蜂起する意図はないと」
「そうだ」
「この武器を使うつもりは、一切ないというのだな?」
「そうだ」
美友梨は頷いた。タロウは美友梨の後ろでじっとしていた。シーヴァはタロウに目を向けた。
タロウは一瞬、部下たちに視線を巡らそうとした。だがそれが疑惑の種に繋がることに気がついてこらえた。
彼は、静かに、頷いた。
「では、我々がこれを処分する。お前たちの面目を立ててやろう。我々の誤りの代償として、この場は見逃してやろうではないか。共に得て、共に失う。これで双方、公正というものだ」
シーヴァは頷くと、美友梨とタロウを押しのけた。棍棒を指揮棒のように振って、部下たちに指示して回収を始めた。タロウと美友梨はバーカウンターの奥から出て、連れ立って、元の場所まで戻った。
美友梨は蓮華に微笑みかけた。蓮華は額の汗をようやく拭うと、ポーチからハンカチを取り出した。美友梨は受け取って、タロウの血を拭ってから、腕にそれを巻きつけた。タロウはそこで初めて、彼が撃たれていたことに気づいた。
部下たちの回収が終わると、シーヴァは撤収を指示した。去り際、シーヴァは美友梨の隣に来た。何も言わぬまま、見下ろしていた。腰を下ろして休んでいた美友梨は視線に気づいて立ち上がった。
「公正、か。その言葉が好きらしい」
「この国にはなかった言葉だからな、折鶴美友梨」
シーヴァは美友梨を名前で呼んだ。
「お前はどうも、違うらしい。目が、下衆のそれとは違う。だから俺はお前に注意する。馬鹿な真似をしようと思わないことだな」
「宝石商に行くくらいは許してもらえるだろうな」
美友梨が言うと、シーヴァは怪訝そうに眉根を寄せた。鼻を鳴らすと、シーヴァは打ち壊された出入口から、静かに外へと消えていった。美友梨はサヒードに会ったのは彼ではないと確信した。
嵐が去って静けさが戻ると、タロウが美友梨に振り返った。
「……先に、礼を言おう。助かった」
美友梨がなにか言う前に、タロウは周囲を見回した。先程、美友梨に噛み付いていた坊主頭のハチは腕を押さえていた。血は止まらず、どくどくと溢れていた。
どこかに隠れていたタロウの飼い犬がハチに近づいた。タロウは心配そうに近寄る犬を、傷口を押さえたまま撫でる。ハチはタロウに気づいて言った。
「俺ぁ大丈夫ですよ、それより、
「額を殴られただけだ、お前より傷は浅い」
最初に蓮華が遭遇した下っ端の男――ハタロウを一瞥してタロウは言う。ハチは笑顔を浮かべた。その額には汗がびっしょりと浮かんでいた。
怪我をしているのはハチだけではなかった。幸いにして重傷を負ったものはいなかったが、タロウの部下はみな床から起き上がれずにいた。足を撃たれたり、腕を撃たれたりしたりして、痛みに喘いでいた。
そして、先程撃たれた男が、死体となって、転がったままだった。
「……ニハチ……」
タロウが呟くと、床に転がる者たちは、顔を伏せたり、目を逸らした。美友梨はニハチに向けて手を合わせ、黙祷する。蓮華もそれに倣った。タロウがその横顔を見て言った。
「これが俺たちが味わってきたものだ」
美友梨は目を開け、タロウを見た。拒絶に満ちた瞳だった。タロウは目を仲間に向けた。
「それでも、一人で済んだ。十分だ」
顔だけは綺麗なまま、無残に引きちぎられた死体を前にしても、タロウはそう言った。それ以上述べることはなかった。
タロウは美友梨を一瞥した。なぜここにお前がいるのだと、その目は問いかけていた。
美友梨は蓮華を一瞥した。蓮華は美友梨を見ていなかった。彼女はじっと、頭を抱え、壁際で身を丸めているのハタロウを見ていた。美友梨はタロウに目を戻した。
「それでいいのか」
美友梨の言葉に、タロウは答えない。美友梨はタロウに一歩踏み出すと、死体を指差した。
「これでいいのか?」
「お前に、指図される問題じゃない」
タロウは体を向けると、一回り小さい美友梨に一歩踏み出す。真正面から、挑むような目つきを受け止めて、タロウは不快感をあらわにした。
「お前に何が語れる。お前に俺たちの何を語る資格がある」
「私には、何も語る資格はない。タロウさん、あなたが言うように、私はあなたがたと違う世界で生きてきた」
「だったら黙って去ればいい」
「私の目的は、あなたと手を組むことだ。タロウさん」
「その口を閉じろ」
「私と組めば、これが二度と起こらないようにする」
タロウは息を吸い込んだ。肩が持ち上がった。ハチは慌てて立ち上がった。
「私は、あなたがたと同じものを見てきたわけではない。経験したわけでもない。だが、踏みつけられる痛みは知っている。この国で――封建的な文化が残るこの国で、女がどういう扱いを父から受けるか、あなただって知っているはずだ」
タロウは動きを止めた。美友梨は、挑みかかるように言った。
「踏みにじられる痛みがどれだけのものか。奪われる苦しみがどれだけのものか。だから、私は、あなた方が必要だと言うものを提供しよう。自由と、武器と、食事。私はそれを約束する」
「……本気でそう言っているのか」
タロウは問い返した。
「ああ、約束しよう」
「いつまでに」
「一週間だ。一週間で、奪われた武器以上のものを用意する。そして、理不尽に、誰かから踏みつけられない居場所を用意する」
タロウはハチを見た。
「アニキ、俺たちはついていきますよ」
ハチに同調するように、床に転がる男たちも頷いた。
タロウは美友梨に目を向けた。
「……話を、聞いてからだ」
美友梨は笑みを浮かべた。沈んでいく夕陽がその顔を照らし出した。爛々と目が輝いた。その強い光のせいだろうか。そこにいた誰もが、その傷にも関わらず、彼女に耳を傾けた。
「計画は単純だ。その日までに、準備を整える。その日が来たら、殺す。それだけだ。狙いは、マサフミ・アンドウの組長就任式――そこで父とマサフミを、敵対した誰もかもを皆殺しにする。タロウさん、あなたには次の組長になってもらいたい」
第2話「接触」完
第3話「ネズミ狩り」へつづく
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