第2話:接触(中)

 目的地は街と国道の境にあった。

 四ヶ月前、かるた組が進出し、折鶴組と小競り合いを起こした場所。警察署長を間に立てた和解で、この地区はかるた組の預かりになっている。

 美友梨と蓮華は途中まで四輪のタクシーを拾って、二キロ手前から三輪に変えた。四輪なんかで乗り込んだら、目立ちすぎる場所だったからだ。


「北東部、クラブ・ウエスタンクラブ。それがタロウの居場所です。

 彼はかるた組の幹部ですが、今の組長と折り合いが悪い。マサフミ・アンドウがよそ者だからです。

 マサフミ・カルタ・アンドウは、かるた組が地元を平定したころ、日本から息子を連れてやってきました。

 彼はカルタ・トミナガに接触し、ただの寄り合い所帯を組へと変えた。彼はビジネスマンなのです。

 彼はトミナガと契約し、組織の経営を任されました。盃は交わしたそうですが、あくまでそれきり。実際、マサフミ・アンドウが仇討ちをしていなければ、タロウが組長になっていたでしょう。

 ですがタロウは実直だ。何もなければ、マサフミのもと部下をまとめ上げていた。

 ですが二つの事実が重なって、タロウは不信感を抱きました。

 一つは、マサフミの子飼いのこと。マサフミの子飼いの男は数日前、コロン西地区の銀行で一千万ピールを送金しているのです。その上、帰り道で足を滑らせ側溝へ落ち、頭を打って死んでいる。

 もう一つは、夜鷹幽助。彼の口座からは死後、ごく最近入金された一千万ピールが確認されています。関連性を疑わないほうが愚かです。かるた組はいま、膨れ上がった風船のようなものです」


 道の両脇に鬱蒼と茂る竹やぶとココナッツの木を眺めながら美友梨はサヒードの説明を思い出す。


「その上、あなたはご存知ないだろうが、あの地区はいま少々厄介なことになっている。

 あなた方折鶴組との和平の末にかるた組があそこを拠点にした、その不安定さからくる治安の悪化だけではありません。公正部隊が、あの地区に乗り込んだからです。

 公正部隊というのは、犯罪取締課の中に、結成された特殊部隊です。彼の――私が情報をながした相手です――圧力によって作られた、正義を実行するための部隊です。

 国家警察はただでさえ能動的捜査を掲げているが、彼らはそれ以上に苛烈です。実際、地区内の重犯罪の件数はこの一ヶ月、一件もありません。公正部隊を恐れてのことです。

 セロンの中央を拠点とする折鶴組はご存知ないでしょうが、彼らは陸軍すらも取り締まった。特権など彼らには通用しない。タロウ・カルタ・ホンディンはいま、それを相手しているのです。この時期のあなた方の訪問は、快く思われないでしょう」


 しかし、と美友梨は思った。時間をかけると、マサフミ体制が盤石になる。ゆえに、今しかないのだった。


 街は海岸部に港を抱き、内陸へ向けて東へ拡がる。港湾部は栄えているが、北東部へと進んでいくと、栄華のメッキは剥がれ落ち、舗装のない道路の左右には、あばら家や名無しの店が並び始める。

 住んでいるのは、山から出稼ぎへ来た人たちだ。セロン全体で見ると下の上くらいに属するが、収入の大半は仕送りしているから、以前と変わらぬ暮らしをしている。

 つまり、一日一食で、服は年に一着買えれば贅沢、多くは雇い主からのお恵みで賄う生活だ。


 蓮華と美友梨の服装は、ここまでくると、ひときわ目立った。品が良すぎるためだった。

 ほとんど紐もほつれておらず、汚れも少ない布や靴は、彼女たちしか身に着けていない。

 道端に腰を下ろして、懐いた野犬にバナナを分けてやっている子供が、動物園から逃げ出した孔雀でも見るような目で、じろじろ二人を眺めていた。


「マダム、安いよ、たくさんあるよ」


 通りに面したグローサリーの店主から声をかけられて、蓮華は会釈して断る。美友梨にくすくす笑われて、蓮華は顔を赤くする。童顔だから幼く見られ、マダムといえばおだてられると、そう思われた。それが恥ずかしかったし苛立たせた。

 ここが縄張りだったなら肩でも足でも撃つところだが。蓮華はぐっと我慢して、天井から吊るされたひもにくくられた駄菓子やバナナを横目に通り過ぎる。美友梨はひとしきり笑うと、顔を上げ、蓮華の腕を引いた。


「あそこだ。クラブ・西洋蟹《ウエスタンクラブ》」


 美友梨が顎で指した先で、蟹が足を動かしていた。両開きのスイングドアの頭上にて、赤い蟹がモーター駆動に従うままに、足を上下に、コチコチ動かす。

 憧れも過ぎれば痛々しいが、素朴に発露しているおかげで見苦しさが一周回って味になっていた。


 店はサルーンを模した造りらしい。三角形の屋根を見るに、二階建てほどの高さだが、おそらく吹抜けになっている。

 赤い八本足を見て蓮華は思う。あの店で出すのは、セロンの沖で取ったものだろう。山からここまで続く中、通った街にたっぷり汚された濁り水に生きた蟹。その腥さを思わせるように、赤い血が入口の前に流れていた。


「随分と精が出るらしい」


 声に気づいて犬が振り向く。白い毛をしたジャパニーズスピッツは、口元を赤く汚したまま、可愛らしい笑みを浮かべている。

 その前足がまるまると太ったネズミを踏みつけていて、その首から上は肉を抉られ、胴体から外れかかっていた。

美友梨は蓮華の腕を引いた。道を横切りまっすぐ店に向かう。犬が最後尾に加わった。美友梨はドアを押し広げた。

 ドアの真横にいたタンクトップの小男が悲鳴を上げた。店を出ようとしていたらしい。美友梨は彼に微笑むと、よく響く声で言った。


「あなたがたのボスはどこだ。私は折鶴美友梨、あなたのボスに話がある」


 店内は外観通りの内装だった。天井は高く吹き抜けていて、入口の右手にはカウンターがある。壁際にはたくさんの酒類と、斧や銃、鎌なんかが陳列されている。左手から奥までは丸テーブルが並べられ、向こうの壁際には段があり、グランドピアノまであった。


 店の中いっぱいにみすぼらしいTシャツとハーフパンツに身を包んだヤクザがいた。ポーカーをしたり、ダンスの練習をしていたり、本を読んでいたりした。だが美友梨が入るなり動きを止めて、向き直るなり青ざめた。


「お、折鶴組の一人娘……!」


 集まっていたやくざどもは来たのが誰かを知るなりおののいた。美友梨は苦笑気味に蓮華を見る。蓮華は小さく首を振った。

 犬が嬉しそうな声を出して二人の後ろから飛び出した。ヤクザの群れを掻き分けてきた男に飛びつくと、媚びるような声を出す。男は頭を小さく撫でると、控えるように頭を叩いた。


 グレートデーンのような大男だった。身長は百八十センチはあるだろう。精悍な顔つきで、ひょろりとしたシルエットに確かな筋肉を隠している。

 髪は短く、黒い。何より目立つのはその青い目と傷痕だ。セロン人らしからぬ透き通った湖のような青い瞳。それが、醜く深い切り傷を挟んで、突き出た眼窩のくぼみから、美友梨の姿を捉えていた。


「タロウ・カルタ・ホンディンさんですね」


 美友梨は微笑むと、貴族のようにスカートをつまんで挨拶をした。タロウは侮るように鼻を鳴らした。


「何用だ、折鶴組」

「話をしに。ビジネスパートナーとして」

「話すことなどなにもない」

「いいや、あるはずだ。たとえば、先代の組長の話とか」


 その言葉を口にした途端周囲に殺気が張り詰めた。蓮華が美友梨の背後でポーチの中の拳銃に指をかけていた。美友梨は蓮華の腕を叩いた。蓮華はグロックを取り出すと、そっと美友梨に手渡した。


「預かってもらおう」


 美友梨に銃把を差し出され、タロウは困惑を瞳に現した。美友梨はただ微笑むばかりだった。タロウはしばらく睨み合ったが、背後に控えていた坊主頭に銃を預けた。


「席を用意しろ」


 タロウが言うと、やくざどもは場所を開けて椅子とテーブルを用意した。

 テーブルは小さく、手を伸ばせば向かいに届くほどの狭さだった。終わるのを待って、タロウは美友梨にそこに座るよう促した。

 蓮華と美友梨は腰掛けた。椅子は組み立てが悪いのか、左右にぎしぎし、落ち着かなかった。

 タロウは向かいに座った。座ってもなお威圧感があった。タロウはテーブルに拳銃を置いた。


「十四年式拳銃か。素敵に輝いている。よく手入れしているんだな」

「オヤジの形見だ。それで、話とはなんだ」

「マサフミ・アンドウを殺したくないか?」


 辺りからどよめきが上がる。タロウは試すように、じっと美友梨を見つめている。


「……どういう意味だ」

「力を貸したい。折鶴組としてではない。私、折鶴美友梨個人としてだ。その代わり、私の計画に協力してほしい」

「テメエどの口でそれを言いやがる!」


 坊主頭が横から叫んだ。


「テメエらがオヤジを殺したんじゃねえか! どの面下げて言いやがる、まずはケジメつけてから話さんかいこのダボ!」

「よせ、ハチ」


 静かな、だが威厳のある声で、タロウが坊主頭を制する。坊主頭は口をつぐむと、美友梨と蓮華を睨みながら奥に控えた。


「失礼したな」

「いや、いい。もっともだ」


 美友梨は首を振った。タロウは表情を変えなかった。差し出された餌を警戒する野犬のように、じっと美友梨の動きを注視していた。


「先代……カルタ・トミナガ氏を殺されて、怒るのはもっともだ。あなた方は夜鷹がやったと、そう思っているのだろう? マサフミ・アンドウ氏に雇われて」


 タロウは頷いた。美友梨は、首を横に振った。


「起きたことだけを考えたら、そう見えるだろう。だが……私と夜鷹は、恋人同士だった。私は、世界の誰よりも、夜鷹のことを知っていると信じている」

「殺し屋は心を明かさない。それがたとえ、親であっても」

「だが夜鷹がここ数年、折鶴組以外からの依頼を断り続けてきたことは事実だ。そうだろう」


 美友梨は机の上で拳を握った。タロウは、頷いた。


「夜鷹がなぜ断ってきたか。ひとつは、折鶴組との関係を強めるためだ。だがもう一つは、弱みができたからだった。暗殺稼業とはいえ、夜鷹は有名人でもある。フリーのころは切り抜けられても、しがらみができてしまっては、それもできない。

 私との関係を捨てることもできたけど、夜鷹はそれをしなかった。この意味がわかるか、タロウさん」

「つまり……かまいたちの野郎が、マサフミから金を受け取るなんてありえない、こう言いたいのか」

「そうだ」

「だが金は動いてるんだぜ、どう説明するっていうんだ!」


 再び坊主頭が口を挟んだ。タロウはその頭をひっぱたいた。


「わからないのか。夜鷹は金を受け取らない。だが金は動いている。ということは……夜鷹はマサフミからの金だと思っていなかった」


 坊主頭が息を呑んだ。


「ご明察だな。そうだ。夜鷹が金を受け取るとすれば、私か、私の父からしかありえない。そして夜鷹は我が家に戻って殺された。それも不自然にな。放っていた番犬は一言も吠えず、鍵をかけていたはずの窓は内側から開けられていた。そして死体は、調べる間もなく使われた」


 タロウの眉間にシワが寄って、盛り上がった傷跡が歪んだ。


「この一件は陰謀だよ。折鶴隆一と、マサフミ・アンドウによる共謀だ。そうなれば、昨日の父の乱痴気騒ぎも頷けるんじゃないだろうかな」


 美友梨は肘をついて手を組むと、その上にちょこんと顎を乗せた。頭を小さく傾けて、試すようにタロウを見る。


「さて、どうする? 乗るか、それとも乗らないか……」


 タロウは息を吐いた。


「お前のことは信用しよう」


 美友梨は口元に力を込めた。身を乗り出そうとしたとき、タロウが首を横に振った。


「だが、手は組まない」

「……なぜだ」

「おまえが仲間ではないからだ」


 タロウは手のひらを机に出した。たこが出き、数多の傷が残っていた。手の皺は深く、その皮膚は厚かった。


「折鶴組、手のひらを出せ」


 美友梨は蓮華の方を見た。蓮華は頷いた。二人は手のひらを出した。白い、柔らかそうな、きれいな手のひらだった。


「折鶴美友梨、お前は、確かに肝が据わっているらしい。そして、覚悟も決めているらしい。本気で復讐を果たそうとしているらしい。

 だがお前の見てきたものと、俺の、俺たちの見てきたものは違う。

 俺たちは、地獄を見てきた。お前が折鶴組の籠の中で愛でられている間、俺たちは捨てられた路上を根城にし、野犬と共に残飯を漁り、暴力を覚え、力だけで生きてきた。ゲリラの連中や、地元のギャングと争って、地べたを這って、……カルタの親父と出会って、ようやく手に入れたものがこれなんだ」


 タロウは拳を握った。


「マサフミが大うそつきだということは解った。だが、それは俺たちの問題だ。感謝はするが、お前と組む道理はない。たとえお前が見てきた地獄が何であれ、お前が街中で見た乞食が生きる日々や、それ以下の現実よりはマシだろう。お前に、俺たちのことがわかるなら……俺たちの望むものがわかるはずだ」


 タロウは静かな目で美友梨を見た。

 蓮華はタロウに育ての親の面影を見た。折鶴一はこんな目で、いつも蓮華や美友梨を見ていた。この人は一と同じものを、内戦で焼け、荒れ果てたこの国を見てきたのだと、蓮華は思った。


 美友梨は蓮華の様子を視界の端に捉えていた。考えていることは手にとるように解った。彼女も同じ面影を見ていたからだった。美友梨は考えた。坊主頭が近づいて、席を立つように促しても、手すりを強く握りしめた。


 そのとき、蓮華が何かに気づいた顔をした。タロウも同じとき不審そうに辺りを見回した。蓮華の視線の先で、なぜか、先程の下っ端が、頭の後ろに手を回して、地面に伏せようとしていた。蓮華は美優梨を突き飛ばし、覆いかぶさった


 テーブルが美友梨の隣で跳ね上がる。タロウが声を発したのと、壁が吹き飛ばされたのは同時だった。襲撃だと気づいたときには、POLICEと爪先に書かれた革靴が、店内に踏み込んでいた。

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