第28話 理由なき行動を止めるために制限を解除する

「――」


 俺は、エント子爵の言葉を聞いて絶句する。

 そんなただ王になりたいだけのために、こんなことをするだなんて信じられない。

 王という椅子にいったいどれほどの価値があるというのか。


 そこに崇高な理念もなければ、高尚な理由もなにもないのだ。

 王になりたいということを強く思う過去もないと彼は言った。


「まるきり理解できないという顔だ」


 真実その通りだ。

 俺はまるきり理解できなかった。悪役には、いや、悪役かはともかく、こんなことをしでかすには何か大きな理由があると思っていたから。


「王になるというのはこんなことをすることが理解できないほど、君にとってはどうでもいいことなのだろうね」

「……王になって何になるんだよ、何がしたいんだよ」

「あるいはその先に何かあると思ったかい? ないよ。ただ私は王になりたいだけなのさ、それとも、君に必要なのかな? 君は甘いね。理由がなければ他人を害することが出来ない。私はここまでやったというのに。それが理由にはならないのかね?」

「…………」


 わからないし、わかりたくもない。

 何か理由があれば、これをやめさせる手を考えられると思った。

 どうにもならないけれど、償いをさせることが出来るのだと信じていた。


 けれど、それは無意味だ。

 彼は大変なことをして、アイリスを利用した。許せない敵。そう敵のはずなのだ。


「自分が傷つきたくないのだろう。君はズルい人間だね。まさかそういう人間だとは思いもしなかったよ」

「俺は!」

「はは。今更何を言うんだい。私に理由はない。王になりたいという理由しかない。君が思う、殴っても良い理由や殺してもでも止める理由になりえない。君の中では、この街の住人を全員ウェイカーにしたことも、送り人殿に対して行った所業もどうでもいいわけだ」

「違う!」

「なにも違わないだろう。君はただ自分が傷つきたくないだけなんだよ。自分がやったことで誰かを殺すだとかしたくないんだろう」


 違うと叫びたかった。

 けれど、言われて初めて気が付いた。そう思っていることに。

 俺は、自分の手で誰かを殺したくなんてないのだ。常に誰かに褒められたくて、誰かにいいかっこしたいだけなのだ。


「フン、聞いていればばかばかしいわ。わらわにはなにひとつ関係ない。わらわはおまえを殺してそれで終了じゃ。街がひとつどうなろうが世界が滅びようがわらわが良ければそれで良い」

「そう、それが正しい。私は私以外がどうなろうがどうでもいいのだから」

「うむ、気が合うな」

「どうかな? 私に協力する気はないかい?」

「ふむ、魅力的な提案じゃが。わらわはお主が嫌いじゃ」

「それは残念」


 残念に思っていない声色で、彼はそういった。

 ただ口にしただけ。

 彼はなにひとつ気にかけてなどいないのだから。そういう意思が伝わってくる。


「そういうわけじゃ、許可を出せ、レイ」

「シトリン……俺は……」

「良いから許可を出せ。わらわが代わりにやってやると言っておるんじゃ。お主は本当に甘すぎるのじゃ」

「……私、も。起き上がるなら、私が……」


 アイリスも立ち上がる。

 けれど炎は出ない。


「炎が……もう……」

「君の炎は全て抽出させてもらった。さっきので打ち止めだよ。だから、君には何も残っていない。用済みというわけだよ。だから、竜さえどうにかすればあとは私の勝ちというわけさ」

「どうにかできるとでも?」

「うん。私には無理さ。だから、竜には竜をぶつけようと思ってね。起き上がらせたんだよ」


 轟音共に彼の背後に竜が現れる。

 その鱗は欠けてほとんどが骨。


 俺はこいつを知っている。

 そうだ、俺が集めた素材は――。


「悪趣味じゃのう、おい、はよう許可――」

「させないとも」


 振るわれる尾の一撃。

 骨の尾。足りない部分は鋼で補強されている。それがこちらへと振り下ろされる。


「……危ない!」


 それを咄嗟にアイリスが俺を突き飛ばすことで回避する。彼女と一緒にそのまま床を転がることになる。


「はあ……っ……」

「アイリス……!」


「……だい、じょうぶ」


 大丈夫に見えない。

 彼女の動きは依然のそれとはまったく違う。

 訛りをつけられたように動きが重たい。

 それに振り下ろしで吹き飛んだ床の瓦礫が彼女の背を傷つけていた。


「俺のせいで……俺が……」

「……いい」


 そっと彼女が手が俺の頬の触れる。


「……来てくれた。私はそれでいい。だから、許可を出してあげて。あなたは何も気にしなくていいから」

「俺は……卑怯者だ。こんな、誰かに頼るしか」

「それでいい……頼れないよりは……ね、私に頼るの嫌……?」

「そうじゃないけど……」

「なら頼ればいい……」

「…………わかった」

「ええい、いちゃつくよりもお主は良いからわらわに許可を出さんか! いや、早く出して、潰れる、死ぬ! お願い速く!」


 なんか余裕ありそうとか一瞬思ってしまったが、余裕などあるはずがないのはわかる。


「ああ、許可する! 全部だ、頼む、終わらせてくれシトリン!」


 結局、俺は言われた通りにやるしかなかった。

 俺は何もできない。

 でも、それでも許されるのなら。それでもいいのなら。

 俺は――許可を出す。


「無論じゃ――貴様の企みも願いも知らん。甘すぎるレイならば動揺はするじゃろうが、わらわは関係ない。全部関係なく、ぶっ飛ばしてやるわ」


 ――ああ。

 ――ああ。

 ――俺はなんと弱いのだろう。


 拘束として描かれていた拘束契約式が腕と足から消失する。

 それは決して消えたというわけではない。

 ただ不可視となっただけのこと。一時の間、拘束が解除されたことの証だ。


「さあ――殺してやるぞ」


 宣誓。

 シトリンが皆殺しを宣誓する。

 それが成された今、もはやこの場で生き残る者はいないだろう。生きている者も死んでいる者も等しく、灰燼と帰すと彼女は告げている。


「窮屈な身体ともおさらばじゃ」


 人間の身体が膨らんで弾け飛ぶ。

 同時に現れるのは黒の威容。彼女の姿。真なる竜の。

 彼女の肉体があった場所より、背後の空間を引き裂いて現出する。

 この世界の外側より降り立った次元竜がここに降臨する。


 体を覆う竜の鱗は漆黒に輝く。それはまるで星をきらめかせる夜空のよう。

 爪牙は何よりも長く鋭く白磁のような白。されどその硬さは鋼などくらべものにならない。この世界の何よりも堅い。

 あらゆる全て、この次元すらも引き裂いてしまうに違いない。


「我が牙は次元を引き裂き、我が爪は空へと至る」


 ぎちぎちと全身の筋肉が鳴る。

 骨が鳴る。

 まるで古びた楽器がかき鳴らされるように不協和音が鳴り響く。

 押し込められていた力の現出に、世界が悲鳴を上げるように軋んでいた。


『GRAAAAAAA――』


 骨となった竜が怯えている。

 起き上がり不滅の存在となったはずの竜が怯えていた。

 いいや、そんなはずはない。起き上がった者には感情などあるはずがないのだから。

 これは何か別の――。


「なんじゃ、この程度も耐えられんのか?」


 これはそう彼女の権能だ。生物種としての格の違い。

 ただ目の前に立っただけ。それだけで次元竜は他者の精神を軋ませる。

 その咆哮はただそれだけで人の魂すら破壊する恐怖の声。

 奈落の底、次元回廊の最果てから響く深淵の笛音だ。


「だが、その程度で起き上がった竜を殺せるものか」


 そうエント子爵は告げる。

 恐怖を感じていようとも浄化の火がなければ起き上がりしウェイカーを再び殺すことなどできやしないのだ。

 それはこの世界の絶対の理。送り人でなければ殺せぬ不条理こそがそうである。


 けれど。

 そうけれど。


「彼女はこの世の者じゃない。この世界の理の外側から来たから」


 故に、彼女にならば可能。

 起き上がり不滅を体現した竜を。魔術的、源素的に強化された起き上がりし竜を滅ぼすことが可能。

 もとより世界最強の竜であると自称する彼女ならば、幾重にも手段を持つ。

 そう例えば――。


「さて、どういうのが好みか。滅ぼしてやるのも芸がなかろう」


 骨竜が襲い来る。

 エント子爵に命じられるままシトリンを殺すべくその爪を振るう。


「そんな遅さでは我が次元にまで届かんぞ」


 その爪は、その牙は彼女に届くことはない。


「爪とはこういうものだ」


 爪。

 無造作に一本指を立てて、振るわれる。

 力なくただ自然に振り下ろされる。


『GRAAAAAAAAAA――』


 ただそれだけで悲鳴が上がる。骨の軋みが間接のスレがあげる骨竜の悲鳴。

 爪が背後の城門までもを一閃していた。


 そして、それだけに留まらない。

 引き裂かれたのはなにも物質だけではないのだ。世界そのものが引き裂けている。


 そして、一閃され穿たれた穴にすべて落ちていく。

 堕ちていく。この場にいた全ての死者。

 総勢666名は、次元の向こう側へと消え失せる。彼らはもはや戻ることはない。

 永遠にこの宇宙の果てを彷徨い続ける。それを苦痛に感じる心すら彼らには残っていないが――。


 これこそが十全に力を振るえる次元竜の力。

 いいや――否。

 十全以上。彼女は今や全盛期を越えている。


 なぜならば、契約は必ずや完遂される。そのためならば契約は契約主に力すら与える。

 故に禁忌。

 魂の繋がりがもたらす力は世界すら破壊する。


 ――魂とは心とは何よりも強大だ。


「はは」


 それを見てなお、エント子爵は嗤う。


「はははははは。そうか、それが君の力か。君が手に入れたものか! ならばこそ君が命じなければならない。君がこの私の滅びを命じてくれ」

「――いいや、それはない」


 そのようなことはもうない。

 シトリンが否定する。


「貴様は永遠にそこで彷徨っておれ」


 爪が再び振るわれる。


 ――次元に穴が穿たれて――

 ――エント子爵が呑み込まれる――


 その穴の向こう側には何もない。

 そこにあるのはただ永遠のみ。

 出ることのできない無謬の闇の中で永劫を彷徨うことになる。


「さて、終わったぞ。褒美を寄越せ」


 そして――。

 そして――。


 

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