第29話 想いに応える

「終わったのか……」

「……ん、そうみたい」


 エント子爵はシトリンによって次元の穴の向こう側に飛ばされた。

 魂でつながりがあるらしい俺にはそれがわかった。


 けれど、俺には、これでよかったのかわからない。

 彼を追放したのは本当に正しいことだったのか。もっと他にやりようはなかったのか。

 そう思えて仕方ないし、結局人に頼るしかできなくて、最後まで決断ができなかったことが情けなくて仕方ない。


 エント子爵は本当にいい人だった。

 どこの誰とも知れない俺に土地までくれて仕事をくれて。

 それが王になりたいからというだけで住人全員をウェイカーに変えるだなんてしたなんて思いたくなかった。


 もっと何か理由があったのだと思いたかった。


「はぁ……これでよかったのかな」

「…………わからない。でも、私は無事。私はそれでいいと思う。私はまたレイに会えた」

「…………」


 こう、そういうことをこのタイミングで言われたら勘違いしてしまうぞ。

 見れば、彼女の頬も赤くて。


「……えっと……それは……」

「……そのままの意味。会いたかった。もうどこにもいかないでほしい」

「…………」


 どうしてこう真顔で。けれど耳まで赤く。

 そういう彼女がどうしても愛おしくてたまらなくなる。


 ――落ち着け俺。

 ――ここで選択を間違ってはいけない。


 そうここで間違えてしまえば全て台無しになると確信している。

 だから大丈夫、俺はきっとうまくやれる。


 そう確信しながらも、踏ん切りはつかない。

 本当に言っても大丈夫なのか。それとも気が付かないフリをした方が良いのか。ここは保留にしてまた今度にしたい気持ちが大きく膨らんでいく。

 こういう時にちゃちゃを入れてくるはずのシトリンもなぜか空気を読んで黙っている。


 ――なんでこういう時だけ!


 そう憤っても意味はなく、俺はどうすればいいのか考えるしかない。


「あの、それは……」


 結局、俺が言えるのはこういうことで――。


「…………こういう気持ち初めて。だから、わたしもわからない。ただそう思った。離れて、助けに来てくれて、そう思った。だから言った」

「…………」

「……あなたは、わたしのこと嫌い?」

「……嫌いじゃ、ない……」

「……ん、ならそれでいい」


 俺のそばからそっと彼女は立ち上がる。


 朝日が差し込む。

 少しだけ目を開けた太陽の女神の瞳から降り注ぐ光が彼女を照らす。

 綺麗だった赤い髪は今は黒く染まっている。それで彼女の魅力が損なわれるかと言えばそんなことはない。


 赤い時と変わらずに彼女の髪はなによりも美しく、動くたびにさらさらと音がするのだ。

 それに良い匂いがする。炎のようにどこか安心するような女の子の匂い。花のように可憐な。


「……ごめんなさい、お腹刺して」

「良、良いよ……生きてるし。痛かったけど」


 そこまで言って最後の一言は余計だったと後悔する。

 彼女の顔がどこか曇って、俺は慌てて。


「だ、大丈夫だ、気にするな! ずっと助けてもらったんだし、これくらい大丈夫だから」

「…………ん。じゃあ……」


 彼女は再び俺のそばにひざまずいて。

 手を取ってくる。


 温かい手だった。

 太陽のように温かい彼女の熱が伝わってくる。


「永久より長く、永劫より深く、那由他より遠く。どうか、私を貴方のお傍に置いてください」


 そう彼女は言った。

 はっきりと俺の目を見て。

 俺の手を握って。


 ――どこか不安そうに揺れる瞳。

 ――震えている手は緊張から?


 その言葉がどういう意味を含んでいるかなんて俺にはわからない。

 わからないけれど、真剣に応えなければいけないことだけはわかった。


 何かの誓い。

 きっと特別な誓い。

 俺なんかで良いのかと思う。


 それ以前に、どういう意味なのかもわからないから聞いてみようともいえない雰囲気で。


「……駄目……?」

「駄目じゃ、ない……一緒にいてくれるのは俺としても、ありがたいというか……嬉しいというか……」

「……ん、ありがとう」


 俺が消極的ながらも了承を示すと彼女は手を離した。


「……実はこれ、結婚の宣誓」

「はい!?」


 俺にそんなことを言ってきた。


「いや、待って、え、いや結婚!?」

「……やっぱり知らないと思ったからやってよかった」

「えええええええええええ!?」


 混乱する。

 頭に血が上ってまともに考えるのが難しくなる。

 結婚。

 血の痕? それは血痕だ。


 違う、結婚。

 男と女が夫婦になること。


「ま、待ってくれ、いきなりどういうというか、どういう!?」


 ――ああ。

 ――ああ、俺はいったい何を言っているんだ?


 考えがまとまらない。

 いきなりすぎてわけがわからないとすら思ってしまう。


「……? 好きな相手とは結婚するって言われたから結婚した」

「お、おぅ……」


 はっきりと混じりっけなしに純粋に、そういわれてしまっては俺にはどうすることも出来ない。


「いや、そもそも、俺で良いのかよ……俺なんにもできないし、弱いし……」

「……? 竜を養殖して売るんでしょ」

「いや、そうだけど……」

「……それはきっと稼げるから心配してない」

「その信頼はいったいどこから来てるの。俺、滅茶苦茶、わからない……」

「……わからない? 優しくしてくれたから」


 ――優しく?


 そういわれて、俺は気が付いた。

 この世界で送り人の扱いについて。


「……平民の間では疎まれ、貴族には利用される。純粋に感謝されることなんてほとんどなかった。でも、レイは違った。こんなわたしと一緒にいてくれた。一緒にいたいって言ってくれた。お礼を言ってくれた。一緒にいるとなんだかもやもやして、それが恋なんだって言われた。だから、これはわたしの恋。実った……?」

「…………ちょっと今、俺に言わないで……」

「……レイ真っ赤」

「それはアイリスだって……」

「……ん」


 微妙な空気が流れる。

 けれど、それは決していやというわけではなくて。


「はいはい、いちゃいちゃはそこまでにしてくれんかのう」


 そんな時にようやく助け船。


「いや、いちゃいちゃって」

「……ん、いちゃいちゃ」

「アイリスさーん!?」

「はー、まったくこんな時に何をしておるのやらじゃ。わらわは疲れた。もう帰って休むぞ。お腹もすいた!」

「お、おぅ……」


 すっかりと毒気も雰囲気も崩されたが、それが逆にありがたかったかもしれない。

 痛みもなんだか増してきたし。


「……アイリス」

「なに?」

「…………これからもよろしく」


 ただこの一言だけは言っておこうと思った。

 結婚だとか、そういうことはまだよくわからないけれど、これだけは言わなくちゃいけないと思ったから。


 そう言って、俺は意識を手放した。


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