第25話 魔物の死骸は起き上がらにようにするために食べる

 駆ける。

 アイリスが黒の軌跡を引きながら疾走する。

 ちりちりと髪が火の粉を舞わせ、ひらひらと長い黒い袖がたなびく。

 その両の手にはS字型の奇妙な形をした剣ショーテルが握られている。


「…………」


 対するティリンは、ラムポーンが死んだことに混乱しているよう。

 怒りはない。彼らは己の共生に対する情など持ち褪せていない。今はただ己の領域に侵入してきた侵入者を殺すことだけを考えている。


 がちがちと鳴るのは強靭な上顎。一対の刃。彼らの武器。鋼の剣すら切り裂くとされる牙だ。

 そんな人間を殺すには十分すぎる凶悪な獲物を振り上げて、ティリンはアイリスへと迫る。


 振るわれる大顎。死神の鎌が如く放たれる。

 直撃すればきっと首が飛ぶ。良くて四肢のいずれか。もしくは胴体が分かれてしまう。


「…………」


 けれど、アイリスは迫る刃に対してただ己のショーテルを合わせた。

 鳴り響くものはない。硬質な刃同士の合唱は響かない。

 ただ竜牙のショーテルは、ティリンの顎を音もなく切断した。


 込めた力などない、ただ合わせただけ。

 それだけで、相手の力だけでティリンの顎をショーテルは切り裂いた。


 ふわり、アイリスの手の中、ショーテルが回転する。

 順手から逆手へ。

 S字の尖った方を縦の回転を加えて、さながら舞踏の振り付けのように振り下ろした。

 堅い甲殻などものともせず、ショーテルは容易くティリンの脳機関にあたる部分を破壊する。

 これで一匹仕留めた。


 けれど、たかが一匹。

 ここには無数のティリンがいる。一匹がやられただけで、どうにかなるほどティリンという魔物は安くはない。

 逃げはしない。群れの一匹がやられたところで、他のティリンが獲物を倒すだろう。


 いつかアイリスは倒され、四肢切断、そのまま食われて行く。

 そんな地獄のような様子を幻視して――。


「アイリス!」

「…………問題ない……全部、燃やす」


 それでもアイリスは余裕。

 群がってくるティリンを足場に戦場を舞う。

 がちがちと鳴らされる上顎には当たらない。湖上を舞う妖精のように髪から火の粉を散らして彼女は踊っている。


 両腕を拡げて、ショーテルとともに回転。

 それだけでティリンが突き出した上顎は細切れとなる。遠心を利用した切断技は、美しくも機能的だ。

 ティリンの間を飛び回り、あるいはその上を足場に彼女はティリンの数を確実に減らしていく。


 それは多くのウェイカーと戦ってきた一対多の経験がさせるもの。

 彼女にとって数的不利は不利ではない。むしろ――戦いやすいと思ってすらいるようで。


 轟と燃え上がる浄化の焔。

 彼女を中心に吹き荒れる猛火の嵐は、遠く離れた俺のところまで届くほど。

 そんなものを至近距離で受けては、ティリンたちが生きていられるはずもない。彼らもまた魔物であるが、生物の範疇にあるのだから。


 燃え盛る炎に身を包んだアイリスをもはや傷つけることはできないだろう。

 あとはただ火の粉を散らし、赤の軌跡を引きながらショーテルを振るうのみ。


 舞い踊る。

 舞い踊る。

 殺劇舞踏。


 逃げ出そうとするティリンはいる。

 けれど。

 けれど、逃げ切れるはずがない。身軽に空すら飛べそうなほどに身軽にアイリスが舞う。


 鳥の翼のように広げられた両腕が閃くとき、彼女の手にしたショーテルがティリンを切り裂く。

 後に残るのは屍のみ。

 もはや起き上がることすら許されない死骸だけだ――。


 ●


 夕暮れ。

 太陽の女神が瞳を細める時間。

 与えられた土地の真ん中で、俺たちは野宿をしている。夕食は、ラムポーンとティリン。


「本当に食べるのか……?」

「…………食べる、普通のこと。食べたら起き上がらない」

「えぇ……」


 まだラムポーンは良いと思う。見た目は馬だ。馬肉を食べるのは日本でもあったからそれはわかる。人の肉を食っていることにはこの際、目をつぶっておく。

 けれど、ティリンは虫である。虫を食べる文化はあるが、俺は食べたことがない。本当に食べられるのかと思ってしまう。


 調理はほぼ丸焼き。アイリスが直接焼いたものを食べる。切り分けも彼女。

 目の前に並べられているのは、ラムポーンとティリンの焼き肉。

 ラムポーンの肉は普通の肉っぽいが、ティリンの肉は真っ白だ。本当に食べられるのかと疑ってしまうほどに白い。


「おぉ、それなりじゃなそれなり。アイリスとか言ったか。あのグスタフとかいうやつに負けておるぞ」

「…………」


 既にラムポーンの巨大な足を丸々一本手づかみで食っている豪快過ぎるロリがいる。

 元が竜だから良いが、見た目の違和感がすごすぎる。


 そして、余計なことを言ってる。

 アイリスの表情は変わらないが空気が冷え込んだ気がする。


「喧嘩はしないでくれよ、頼むから……」

「…………」

「それより、これもう一本くれ!」

「はいはい、勝手に食え」


 ため息を吐きながら俺も食べることにする。

 まずは一口。

 あの強靭な四肢の通り、肉質も堅めであるが、アイリスの調理の火加減が良かったのかとろとろとした焼き加減で噛み切れないほどではない。


「……お、確かに食べられるな」


 味の方に関してはクセが強い。肉食なだけあって肉に臭みはあるが、そこまで不快になるようなクセではない。

 ドラゴンの味と比べてしまってうま味という点では完全に微妙なところであるが、いつも食べているものよりは美味いと感じる。

 それだけラムポーンの肉には源素とやらが含まれているのだろう。


「アイリス、良い焼き加減だな」

「…………ん」

「お、なんじゃぁ、お主、すごくう――」

「…………」


 何やらなにか言いかけたシトリンの口にアイリスが肉を突っ込んで黙らせる。


「わーい、肉じゃー」


 単純なシトリンはすぐにそれに夢中だ。

 俺も何を言いかけたのか気になるが、聞くのはやめておいた。

 そんなことより俺は勇気を出してティリンを食べなければいけないのだ。


「…………」


 眼を閉じてとにかく口へ突っ込む。


「ん、これは……」


 ティリンの肉はぷりぷりとしていて非常に食べやすかった。焼いたことで香ばしくなっていて、虫とは思えない。貝や蟹といった風情。

 淡泊でさっぱりとした味わいがラムポーンの肉と合わせると非常に映える。


「うん、良いなこれも」

「……うん」

「これで酒でもあれば完璧なんじゃがなー」

「そのナリで酒を飲むのはやめておけよ……」

「なんじゃとー! わしをこんなにしたのはどこのどいつじゃ! 良いから酒を持ってこい! もしくは肉じゃ!」

「…………これでも食べてて」

「おお、肉じゃ肉じゃ」

「大量の肉、こいつだけで食べれそうだな」


 しばらく取って置いたり売ることも考えたが、数も数だし放置するのもやはり怖い。

 放置された死骸を食べるのは、本当に切羽詰まった時だけで良い。金にもかなり余裕があるのだから、全部シトリンに食ってもらうとしよう。


「全部食っていいぞ」

「お、なら全部食うぞ!」


 楽しい食事を終えてシトリンは一番に眠りについた。


「騒がしいやつが眠ると途端に静かになるな」

「…………」

「…………」


 お互い、喋らずにゆったりとした時間が過ぎていく。

 気まずさがないのは、俺がアイリスと過ごすのに慣れてきたというのもあるのだろうか。


 そんなことを考えながら寝転がる。

 警戒は必要かもしれないが、何かあればシトリンが飛び起きる。俺を護るという契約があるので、何があっても起きて守ってくれるだろう。


 俺は久しぶりに気楽に星を眺める。

 綺麗な星空が広がっていた。思えばこうして星を見上げたのは、あの竜の骨で野宿した時か。

 その時とは痾違って今は気楽だし、恵まれていると思う。

 大きな対の月は徐々に徐々に満月に向かっている。一夜のうちに月が満ちて欠けていく。


 そんな不思議な光景にも慣れてきた。

 明るくなっていく夜空。


「…………」

「ん?」


 ふいに隣にアイリスが寝転んできた。

 仰向けではなく、横を向いてこちらに目を向けている。


「え、ええと……?」

「…………」


 じっとこちらを見つめる青空のような空色に染まった瞳。火の光に反射して綺麗に輝いて。

 俺は吸い込まれそうになる。じっと、その瞳を見つめるしかできない。


 どれくらいそうしていただろう。

 青空の鑑賞会は、彼女が背を向けたことで終わりを告げた。


 彼女が背を向けたあとも心臓のばくばくが止まらない。

 あともう少しでも長く見つめていたら、俺はきっと大変なことをしでかしていたに違いない。

 危なかった。


「…………」


 息を吐いて、夜空に視線を戻して。

 眼を閉じる。

 瞼の後ろに焼き付いた青空がとても綺麗だった――。


 そして、翌朝。

 様子を見に来たグスタフさんとともにアイリスはいったんエントの街へ戻ることになった。

 死者が出たということで、送り人の仕事をしに行くのだ。


「なら急いでいかないとな」

「…………なんで?」

「いや、だってウェイカーとして起き上がるんだろ?」

「…………そんなにすぐじゃない」

「そうなのか……? でもこの前は……」

「…………とにかく、わたしは行く」

「あ、ああ、いってらっしゃい」

「ん」


 それを最後に、アリシアは帰ってこなかった――。



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