第8話 問題が発生したので解決のために走ることにする

 静かな夜。誰もが眠りにつき、娼館の娼婦たちですら嬌声が寝息に変わる頃合い。

 双子の女神の片割れの眠気を落としてすっかりと目を覚ました時分。明るく月明かりが何もかもを照らしていた。

 そんな静謐な夜を誰かの悲鳴が引き裂いた。悲鳴。甲高い、女の人の。


 だから、俺は思わずアイリスの悲鳴かとも思って飛び起きる。

 それから己の姿と彼女の姿を思い出してしまって赤面するけれど、緊急事態かもしれない。

 そう体のいい彼女の方を見る理由を見つけて、思わず嬉々として俺はそちらを見る。


「…………」


 残念ながら彼女は既に起きていて。さらに言えば着替えも済んでいて。

 何があったのかと声をかけようとしたけれど、俺は声をかけられなかった。

 彼女がとても鋭い目をしていたというのもある。見たこともない鋭い目。何かを険しくにらみつけるているよう。


 そして、その両手には奇妙な剣が握られている。半円形、いや、S字に湾曲した剣だ。

 後から知ったけれど、それは俺の謎翻訳によればショーテルと言うらしい。両刃の珍しい剣。


「え、え……と?」

「……ここにいて。ここはまだ安全」

「安全って……さっきの悲鳴になにか」

「……服は乾かしておいた、もしもの時は逃げて」

「いや、逃げてって――!?」


 俺の問いに彼女は答えなかった。答える前に、窓からその身を躍らせた。

 二階とは言え、飛び降りたのを見て俺は慌てて窓に駆け寄る。

 アイリスは、空中で姿勢を整え、何でもないように着地し北の方へと走って行く。そう悲鳴が響いた方へ、正確に。


「ああ、もう!」


 もしもの時とか、まだ安全だとか。それで自分は危険なところに行くのだろう。

 そんなもの放っておけるはずもない。俺に何が出来るわけでもないけれど、女の子一人に任せてのうのうと寝ているだなんて俺には出来ない。

 乾かしてもらった服を着て、竜骨のこんぼうを手に取る。


「いいか、なるべく足手まといにならないように隠れる。それで行くぞ」


 アイリスが危なくなったら助けに出ることにして、危なくなければ足手まといにならないように隠れたままにしておく。

 それだけ決めて、俺はアイリスを追った。もちろん一階に階段で降りて。


 ●


 闇の中を彼女は走っていた。

 彼女、大きく湾曲した剣を両手に携えた赤い髪の彼女。

 アイリス。


 まっすぐにわき目も振らず悲鳴が響き、今もなお叫喚が巻き起こるエントの街北区画へ。

 北区画にあるのは開発途中の地区だとか、廃棄された区画だとか。もとよりこの街は辺境も辺境。

 東に大荒野がある。死の荒野と人は呼ぶ不毛の大地。年々広がりを見せている荒野に、このエントもいつかは飲み込まれてしまうかもしれない。


 そんな恐怖とはまるで関係もなく、北地区はいわゆる貧民窟であった。次期の予算までは特に開発もなにもない区画には、多くの貧民たちが住みこんでいる。

 秋ごろにはまたいなくなって。春にまた現れる。


 そんな地区には今、悲鳴があがっていた。


「…………」


 歩調を強めて、けれど警戒は薄めず。

 アイリスは現場まで走る。そこにあったのは野次馬たちが何かに襲われている光景。

 何か、アイリスは良く知っている。送り人と呼ばれる彼女はその職業柄よく知っている。


「ウェイカー……」


 ウェイカー。起き上がった者。死の眠りから目覚めてしまったもの。目覚めさせられてしまった者。月の女神の慈悲を受ける者。

 誰かが死者を放置した。送らせなかった。送ってくれと頼むことを放棄した。死者をこの地に引き留めてしまった。

 その光景を見ただけで事態の原因を悟ったアイリスは、まず、襲われている人を助けることにした。


「フッ――」


 軽く息を吐いて、踏み込む。その手にある刃を振るう。

 大きく振るわれた湾曲した刃はするりとウェイカーの首を刈る。


「あ、ああああ、お、送り人様!」

「噛まれた……?」

「い、いえ、大丈夫、で、す」

「そう。運がいい。逃げて、まだ終わっていない……」


 先ほど首を刈ったウェイカーは緩慢な動きで己の首を探している。

 そうこの武装では、このやり方では彼らを眠らせることは出来ない。


「は、はいぃ!」


 逃げていく男を庇うようにアイリスは前に出る。

 生者であるアイリスに気が付いたようにウェイカーたちは一斉に向かってくる。

 動きは緩慢。起き上がったばかり。あるいは死んだばかり。月の女神の加護も薄い。ならば手こずることはない。

 けれど、数が多い。通りを埋め尽くすウェイカー。それは野次馬として出てきた犠牲者たち。この地区に住んでいた無辜の民。

 それが今や、ただの怪物。


「太陽の女神の祝福を。汝らに眠りの浄火を」


 祈りの言葉とともにアイリスは己の両手に力を籠める。

 その両手から真紅の炎が轟と燃え上がる。

 炎の軌跡を引きながら、アイリスは通りを駆ける。ぐるりと己の身体をまるでダンスでも踊るように回す。

 その遠心でウェイカーたちの首を刈る。それと同時に剣を燃やす炎が彼らを灰燼へと帰す。


 ウェイカーへの物理的殺傷は効果を及ぼさない。彼らは物質世界とは別の理にその本体を置いている。

 故に斬撃も打撃も起き上がった彼らに痛痒を与えることはできない。

 彼らを眠らせる唯一の方法は、特殊な炎で燃やすこと。浄火によって浄化する。それがウェイカーたちへの手向け。


 それが送り人たるアイリスの仕事。


 通りを駆け抜ける。

 悲鳴が色濃くなっている。中には怒声も混じる。

 それはアイリスに向けられたもの。つい先ほどまで生きていて、襲われて、噛みつかれて、伝染して、ウェイカーになってしまった友人を目の前で燃やされた行き場のない怒りを向けられる。


「…………」


 対するアイリスは無言。

 ただ己の使命に準じたままに、舞い踊るまま剣を振るう。首が飛ぶ、肉体が燃える。

 後に残るのは浄化された灰だけだ。それだけが、起き上がった者が遺すモノ。


 そうして、通りを抜けた広場にそれはいた。


「ああ、なんで、なんで! 生き返るんじゃないの!」


 そう叫ぶ女の人。

 泣き叫んで、泣き叫んで、ウェイカーに縋りつく。それは子供のウェイカー。きっとあれが始まり。

 腐乱した、時間の経った死体。


「見つけた」

「ひぃ、お、おくりびと!」


 女は背後に降り立ったアイリスに敵意を向けている。


「あ、あんたら! これはどういうことだ! 生き返るんだろう!」

「どういうこと……?」

「しらばっくれるのかい! あいつが言っていたんだよ! 本当は死んだやつを生き返らせられることが出来る! それなのにあんたら送り人はそれをさせずに燃やしてるって! そのための方法もあいつに教えられた通りにやったのに! なんで、なんでウェイカーになってるんだい!」


 そんな事実はない。

 送り人はただ浄化するだけ。死者が起き上がらないで、冥府で幸せに暮らせるようにただ燃やす。

 そうしなければ死者は起き上がり、人を襲ってしまう。大切な人を、友人を、恋人を、母を、父を、娘を、息子を、そうとわからずただ襲う。


「知らない……そもそも死んだ人は生き返らない」


 ただ起き上がるだけ。

 ならこうなる事態を引き起こした誰かがいる。


「……誰に聞いたの」

「仮面の男さ! そいつが言ったんだ、あたしの息子を生き変えさせられる方法があるって! 送り人が隠した方法だって!」

「…………」


 黒幕がいる。

 ならば元を断たなければならない。アイリスはそう思った。送り人として必ず送る。

 邪魔を刺せるわけにはいかない。


「そいつはどこに」


 そう聞こうとして、その答えはもう一生聞くことはできなかった。


「え……」


 女を彼女の息子の手が貫いている。


「なん……で……」

「……ぁ……」


 ウェイカーが人を襲うのに理由はない。ただ目の前で生きているから殺すのだ。そして、殺された者は、同じように起き上がる。

 死の眠りになんてつくことは出来ない。地上に囚われてしまう。月の女神の慈悲のままに、ただ人を襲い、死者が地を満たすまで止まらない。


 そんな目の前で起きた事態に一瞬だけ気を取られた。アイリスは背後のウェイカーに気が付くのが遅れた。

 それはありえないこと。けれど、そのウェイカーはまるで何もないところから現れた。


 確実に一撃はもらってしまう。


 ――まあ、良いか。


 相手の攻撃は鋭くとがっている爪を使った攻撃。噛みつきでないなら受けても問題にはならない。

 だから、そのまま受けて反撃で燃やす。そう決めて備えたところに別の衝撃。


「危ない!」

「――!」


 横に誰かが飛びついてきた。

 ウェイカーではなく、先ほどの声の主。

 それは宿に置いてきた――。


「なんで……」

「言っただろ、ほっとけないって! 心配だったんだよ!」


 レイだった――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る