第7話 着替えがないため裸でベッドに入る
宿を出て、黒い外套を探す。
人混みはなく通りは見通しがいい。けれど、彼女の外套は夜の闇のような黒色をしていた。
すぐに追わないとはぐれてしまう。
「いた」
通りを走る彼女を俺は追う。
いつの間にか、通りに人はいなくなる時間になっていた。街に街灯はなく、通りに面した建物からこぼれるわずかな灯りだけが通りを照らしている。
暗い。まっすぐ走るのすら難しいと思えるほどに暗い。それに彼女の足は速い。俺の足で追いつけない。
それでも俺は走る。走って、追いかける。
あのまま彼女をひとりにしてはいけない。そう俺の直感がそう思ったからこそ、俺は彼女追いかけるのだ。
エントの街並みを駆ける。見覚えなんてあるはずもない、大きな通りを黒い外套めがけて走る。
はぐれたきっともう迷ってどこにもいけなくなるから必死に。
通りに響くのは誰かの談笑する笑い声、酔っぱらいの怒号、誰かの泣く声。遠くの方で娼婦の客引きの声すら響く。
そして、俺の荒い息遣いも。俺は石畳を叩く足音を立てる。彼女に気づいてもらうために。
追いかけていると示すように。
どこをどれほど走ったのだろう。俺の体力も息も限界に達したころ、大きな広場で彼女は立ち止まった。
「はあ、はあ……やっと、止まった、な……」
「…………なんで追いかけてくるの。あなただけなら泊まれた」
「かもしれない。けど、いきなり逃げられたら追いかけもするだろう」
「…………」
「それに、俺のせいでこうなったようなもんだし。アイリスが泊まれるまで俺も付き合うよ」
「…………変人? それとも変態? 身体目当て?」
「なんでそうなる!?」
――なんてことを言うんだ!
思わず驚いて大声をあげてしまった。
「……こほん」
咳払いでごまかす。
夜で良かった。昼なら俺の赤い顔が見られていたところだ。視られたら恥ずかしさで死ぬ。
「とりあえず、行こう」
アイリスも泊まれる宿を探す。
暗くなったエントの街をふたりで歩く。どこの宿屋も部屋が空いていないか、彼女を見ると断るところが多かった。
普通じゃないところならどうだろうと思ったが、あまり治安の悪そうな宿に泊まって荷物とか身ぐるみはがされましたでは絶望以外のなにものでもない。
女の子もいるのだから、安全そうなところに泊まりたい。
そう思って、さらに次の一軒へ。
「――駄目だ」
やっぱりアイリスを泊めてはもらえない。
「だが、どうしてもって言うんなら、東通りにある宿に行け」
「ありがとうございます!」
あまりにも落ち込む俺をみて宿の主人が泊まれるかもしれない宿を教えてくれた。アイリスの案内で教えてもらった宿に行く。
その宿は看板はなかった。ただ、普通の宿じゃないことだけがわかる。
そもそも、この通り自体が普通じゃない。
耳朶を叩く、女の矯正。肉欲の打音。
ここはそう連れ込み宿とかそういう感じのものだろう。あたりにあるのはきっと娼館。呼び込みに立っている女たちはみんな扇情的で目のやり場に困るくらい。
ただそれでもこの宿はアイリスのことも気にせず泊めてくれるようであった。
「金さえ払うなら気にしない」
そう店主は言った。仮面で顔を隠した男はそう言った。
ここは貴族様たちも利用する連れ込み宿。一夜の過ちを誰にも知られずに犯すための場所なのだという。
料金は高いが、それだけに秘密を守るし金さえ払ってくれれば誰もなにも気にしない。ここでのことはなにもなかった。
ただ闇に葬られるだけなのだ。
ただし、一部屋だけになる。ひとりでは絶対に使うことが出来ない。
「……どうする……?」
「…………どちらでも」
「……」
ここを逃せばたぶん次はないだろう。
贅沢は言っていられない。
そう思うけれど、結局のところ俺の我儘がなければ全て丸く収まったという思いがある。
俺が何もしなければ彼女はきっといつも通りどこかで夜を明かしたはず。
けれど。けれど、やっぱり女の子がそういうのは少し、いや、かなり駄目だと思う。
俺の価値観を押し付けるわけではない。ただそう……見逃したくはないと思っただけだ。美少女をひとり放り出すより、一緒の方が良いという打算もある。
そう自分を納得させて。
「ここに、泊まろう……」
「わかった」
アイリスにこちらの財布も渡して、というかそもそも彼女の金を返す形で支払って。
「ほら、鍵だ」
鍵を受け取る。
鉄製の重たくて、複雑な。貴族も使うというのは本当のようで、何があっても明けられないようなそんな鍵。
「お湯はいるかい」
「……水だけで良い。こちらでやる」
そういう話はアイリスに任せる。俺にはよくわからない。
アイリスが再び金を払い、俺たちは部屋に。
「…………」
「…………」
部屋には男女ふたりで眠れるだけの大きめのベッドがあって、隅の棚にはなんだかよくわからないが、そういうことに使うんだろう道具がある。
衝立の向こう側には水の入ったタライ。
「先に使っていい」
タライを指さして彼女はそう言った。
ついでに体をふくらしい布もくれる。
「ああ、ありがとう」
「……今温める」
水の中に手を入れると見る見るうちに水がお湯へと変わる。湯気を上げるお湯は少し集めの温度になっていた。
「すごいな」
「……普通」
「そ、そうか……」
この世界の人は、普通にこういうことが出来るのだろうか。
わからないが、お湯で体を拭けるというのはありがたい。
衝立の向こうに行って服を脱ごうとして、気が付いた。アイリスは衝立の向こう側にいる。
彼女はしゃべらないため部屋の中はとても静かだ。そのおかげで脱いだり動いたりすればその音が良く響くだろう。
そう意識した瞬間に、とても恥ずかしくなってしまった。
「……なんでもない。ただ身体を拭くだけ。拭くだけ……」
お湯をそっとかぶる。暖かなお湯が体を流れる。それだけで今までの疲労が嘘のように流れていくのを感じる。
「はぁ……」
思わず息を吐く。重たい息。今までの疲労が全部乗ったような、とても重たい息を吐きだす。
そして、慌てて口を閉じる。こんな声、あまり誰かに聞かせたいとは思わない。それが女の子ならなおさらだ。
濡れた体や髪を布でこする。石鹸などはないが、汗を流せるだけでもとてもさっぱりとする。ついでに服も洗っておこう。手桶の方に水を入れて、濡らしてしぼるだけだけれど、綺麗になったような気がする。
もう良いかなと思ったところで気が付いた。これ以外に服がない。今まで着ていた服は、濡れているから着たくない。
まさか裸でいるわけにいはいかない。ここは我慢して濡れた服を着るべきか。そう悩んでいたのが悪かった。
アイリスが遅いからと衝立の向こうから顔を出してきた。
「……終わった?」
「うわぁ!?」
「…………? なにかあった?」
「な、なんでもない……ただ着替えがなくて」
「……気にしないから代わって」
「え、いや、でも……はい……」
いつまでもここにいるわけにもいかず、局部だけは洗い布で隠してそそくさとベッドに逃げ込んだ。
アイリスはまるで気にした様子もなく、衝立の向こうに消えた。
「はぁ……」
小さく息を吐いた。心臓がばくばくして止まらない。それどころか……。
「…………」
衣擦れの音、水の音が妙になまめかしく聞こえて仕方ない。衝立の向こう側を想像するのが止まらない。
どんなに振り払っても無理だ。耳をふさいで目を閉じる。おかげで何も見えないし何も聞かなくて済んだ。
それからしばらくして、ベッドに振動を感じる。そういえばベッドは一つしかない。必然的に同じベッドに寝ることになる。
それは流石にマズイんじゃないかと思って。
「な、なあ、俺床とかに」
と目を開けたのが悪かった。
月明かりに照らされた彼女の姿を目にしてしまった。
「――――」
思わず息が止まるかのような衝撃だった。がつんとトンカチで頭を殴られたかのよう。いや、それ以上。
ベッドに腰かけたアイリスは、一糸まとわぬ生まれたままの姿をさらしていた。
その光景があまりにも幻想的で、その姿があまりにも美しくて。思わず見とれてしまった。
均整のとれた彼女の身体はまるで女神のようですらあった。月あかりに照らされた女神だ。
すらりとした腕、ほっそりとした足。華奢に思えるが、肉つきは悪くなく、出るところは出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。
まさしく極上に思えた。
「――な、なんで!?」
俺の意識が現実に帰還したのは、その肉体をまじまじと見終わった後だった。
「……同じ。着替えない」
「だ、だからって男と裸で寝るとか、それはまずいだろ!?」
「……?」
アイリスは首をかしげる。
「身体目当てじゃないって言った……。やっぱり身体目当て?」
「そ、そうじゃないけど!」
「……なら問題ない」
――問題しかない。
けれど、彼女は一切気にした様子もなく、ベッドに入ってきた。十分広いベッドの端に俺は逃げる。
彼女に背を向ける。こうすれば何とか大丈夫のはず。
「…………」
――いや、大丈夫じゃない。
――こんなの眠れるわけがない。
心臓が早鐘をうつ。鼓動があまりにもうるさすぎて眠れない。裸で女の子と同じベッドにいるだなんて、あまりにもファンタジーすぎる。
何もしていないし、する気はないというのに身体は正直に興奮している。興味がないわけではないから、少しくらい振り返ってみてもなんて。
――待てよ。
――もしかしてアイリスにからかわれているのでは……?
ふいにそんな考えが鎌首をもたげる。
あまりにもおかしな考えだ。けれど、この時の俺は冷静ではなくて。
もしかしていま笑いをこらえていたりなどという考えが消えずに残っていた。女の子の身体に対する興味も少しだけ合わさって。
「…………」
振り返る。
「…………すぅ……すぅ……」
そこには想像したようなことは何にもなくて。
ただ可愛げな寝息を立てるアイリスの姿があった。
「……寝よう」
途端に自分がみじめに思えて、俺は再び彼女に背を向けて目を閉じた。
ただ無心に眠ることだけを考える。いつの間にか、俺はうとうとと眠りに落ちて。
「きゃああああああああああ!?」
そして、夜を引き裂く誰かの悲鳴に跳び起きた――。
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