第4話 街に入るために金を借りることにした

 後ろ。背後から声。

 知らない人。女の子の声だった。感情の抑揚がない声。

 俺が認識できる言語。つまり日本語のように聞こえた。


 振り返る。

 そこに女の子がいた。黒い服。まるで喪服のような。袖は大きくて指先が隠れている。萌え袖だと少し興奮した。

 髪は赤い。燃えるような炎よりも濃い、血のような。いいや、芳醇な赤ワインのような赤。

 瞳は綺麗な青空の色。澄み切った。


 美少女だと俺は思った。無表情なのが少しだけ残念に思えるけれど、美少女には関係ない。

 俺は少しだけ呆然と見とれてしまう。だってそう、こんなに可愛い子が俺に話しかけてくるなんて生まれてから十七年でありえないことだったから。


 髪の毛はぼさぼさではないだろうか。地面で寝ていたからわからない。鏡もなければ水もなかったから顔も洗えていない。

 なにより昨日風呂に入っていないから臭くはないだろうか。汗をかいたし、腰にまいたブレザーは竜の油まみれだ。きっと臭いかもしれない。


 途端に恥ずかしくなる。慌てて髪の毛を整える。触った感じ、特に乱れてはいないはず。

 うん、大丈夫のはずだ。きっと、たぶん。おそらく。


「……? 聞こえなかった……? そんなところでどうしたの……?」


 そんな俺の様子をいぶかしんだのか。彼女はもう一度、聞いてきた。


「あ、ええと……金がなくて……」


 とりあえず俺はそう言った。思わずともいう。可愛い少女の登場に俺は少なからず動揺していたから。

 それに異世界から来たとか信じてもらえないはず。誰が呼んだかもわからないのだから。


 答えた時、そういえば日本語に聞こえるが、俺の言葉は向こうに通じるのだろうかと疑問に思った。

 これわかるだけで向こうがわからないとかないだろうかと思った。


「…………そう」


 どうやら杞憂だったらしい。俺の言葉はきちんと彼女に伝わった。心配はしなくていい様子。

 しかし、これどうすればいいのだろう。初対面の相手にお金を貸してくれる人なんていないだろう。

 要るとしたら金貸しだが、こんな素性の怪しい相手に貸してくれるかどうか。そもそも金貸しってどこにいるのか。

 まさかこんな城門の外にいるはずもない。いたとして、それは詐欺師だろう。


 そうなると目の前の相手に頼るしかないが……。


「…………」


 彼女はごそごそと荷物を探っているようであった。

 俺はどうしたらいいのか。わからないまま彼女が何か言うまで待つことにする。それ以外に何かすることもない。

 もしお金を貸してもらった時はお礼をしよう。そうだ、お礼。なにが良いだろう。

 俺の手持ちとしては服と竜の骨と竜の肉のあまりだ。


「……はい。これで入れる。あと宿代も」


 彼女は俺に袋を渡してきた。彼女の言葉を信じるならその中身はお金。それも入場料だけではない。このあと俺が泊まるであろう宿屋の代金も。

 それも重さからして結構多めに。


「え、いや、良いのか……?」


 思わずす問い返してしまう。だってそう、こんなのはおかしいのだと思う。見ず知らずの人間、それも怪しい男に。

 城門の外、誰も見ていないような場所でお金を貸すなど誰が信じられるだろう。目の前で起きてることを否定するわけではないけれど、そう思わずにはいられなかった。


 俺はそんなにも他人を信用できない。ここは異世界。日本とは、地球とは異なる価値観の世界。

 俺に親切にする理由は何だろうと疑うのは仕方ないことだと思う。


 何かたくらみがある? 詐欺? 俺を騙してどこかに売ったりするのだろうか。想像されるのは異世界物の小説で時折ある、主人公を襲うあれやこれやの困難苦難。

 四苦八苦の難題が今この瞬間にも振りかかってくるのではないかと思ってしまう。


 まさか一目惚れなどということは天地がひっくり返ってもあり得ないだろう。俺に一目惚れするような人間はきっと元の世界だろうが、異世界だろうがいないと自負している。

 なぜなら、俺はいままで彼女がいたことがないから。俺のことを好きになる女子はいないに違いない。

 俺から行動したことは一切ないのも原因だと思うが、それは今は置いておくことにする。


「…………?」


 彼女は俺が受け取らないことに無表情に首をかしげている。その様子に不自然なところはない。

 俺を騙そうとしている風には見えない。演技には見えない。


「……いらない? それとも足りない……?」

「い、いや、いる!」

「……そう」


 ならどうぞ、という風に彼女はちゃりと重たく澄んだ金属の音のする袋を俺の方に差し出してくる。

 俺は恐る恐るそれを受け取った。中身をちらりと見るとやっぱり銀貨がたくさん入っていた。

 どれだけの価値かなんてわからないけれど、これがたぶん少なくないことだけはわかるから。


「ええと……本当に良いのか……?」


 やっぱり気になって、もう一度聞いてしまう。


「……?」


 彼女はやっぱり不思議そうに首をかしげる。


「……お金がないと言ったのはあなた」

「いや、そうだけど……」

「……やっぱり、少ない……?」

「十分だけど……」

「そう……」

「…………」

「…………」


 彼女はやっぱりだんまり。表情も変わらないから今何を思っているのかもわからない。

 本当に優しい人なのかもしれない。困っている人を見過ごせないような、そういう人かもしれない。


「ええと、ありがとう……」


 だったらお礼は言おう。少なくともお金を借りることが出来た。彼女はこんな俺にお金を貸す理由なんてどこにもないのだから。


「…………」


 俺のお礼の言葉に彼女は何も答えなかった。もう行って、と言うような少しの拒絶を感じる。無言のそれ。

 彼女にも何か事情があるのだろう。だからさっさとここから離れて町に入るべき。そうすべきなのだけれど……。


「お金を借りるだけじゃ申し訳ない。何かお礼がしたい」


 俺にしては見知らぬ美少女に対してスムーズに言葉が出てきた。褒めたいほど。

 さて。お礼はどうするか。俺の持っているもので価値があるものなんてないに等しい。


「といってもこれぐらいしか今は持ち物がないんだが」


 まさか骨を渡すわけにはいかないから、竜の焼き肉を差し出す。残り最後の一切れ二切れ。

 惜しい気持ちはある。あんなにおいしい竜の肉を次はいつ食べられるのかわからないから。


 だから俺は、その肉を差し出した。


 あれ、とてつもなくヤバいやつな気がするぞ、俺……。

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