第5話 1人で不安だから、案内を連れていくことにする

「…………」


 俺が差し出した肉を、彼女は不思議そうに見ている。


「ええと、君が良ければなんだけど……一応、ドラゴンの肉、だと思う……」

「ドラゴン……」


 彼女は肉に顔を近づけて、すんすんと匂いを嗅いでいる。色々な角度から見て、何かを考えるように中空に視線を彷徨わせて。


「……これ、もらっていいの」

「あ、ああ、お礼には足りないと思うんだけど……」

「…………」


 一言聞いた後に、一切れをその口に放り込んでいた。

 もぐもぐと彼女が目の前で竜の肉を咀嚼していく。味を感じているはずだが、何を持っているのだろうか。

 彼女の表情は驚くほど変わらなくて、俺には彼女が何を思っているのかまったくわからなかった。


 その間に、彼女はごくりと肉を飲み込んで。もう一切れに手を伸ばしていてた。大きな袖から形の良い白魚のような指が肉を掴む。

 もう一度、肉は彼女の口の中へ。


「…………」


 一度目と変わらず、彼女は相変わらずの無表情。けれど、見間違いだろうか。いや、いいや違う。

 今度ははっきりとわかる気がした。


「…………」


 無表情の彼女の表情が少し和らいだのが俺にはわかった。それがあまりにもかわいらしいくて、俺にはとても神聖なものに思えた。

 彼女はぺろりと自分の指を少し舐める。それがまた艶やかで、必死に目をそらす。でも目に焼き付いたかのよう。

 とりあえず永久に記憶しておこうと思うくらいには良い光景だったと思った。


「……おいしかった」


 でもすぐにもとの無表情。

 声の抑揚もなくて、あの表情の変化は俺の見間違いだったのかもしれないと思うほど。


「それは良かった。あとは、なんとかお金を用意して返すよ」

「……お金は返さなくていい……。……もとから返してもらう気もない」

「え、でも……」

「お礼としてはもらい過ぎ……。早くいくといい。あまり遅いと門が閉まる……」


 彼女は俺の行く先を示すように門の方を指さす。


「君は……君は行かないのか?」


 俺は思わずそう問いかける、今の言い方だと、彼女はまるでいかないように思えたから。


「……わたしは……ここで良い」


 ここ。何もない。城門から近くのようで街としては少しだけ遠いように思える。近づ離れずな森の入口。

 木々が立ち並んでいるけれど、それほど大きなものではない。


 こんな場所で野宿をするなんて何か事情があるのか。

 異世界に来たばかりの俺には彼女の事情なんてわからない。わからないけれど、女の子がひとりで外にいるというのは気分が良いというものではなかった。


 他人の事情に勝手に踏み入ること。異世界の事情に踏み入ること。

 俺にとってはマイナスになるかもしれないけれど、ここで彼女を置いていくというのは少し違うと思ってしまった。


 それを抜きにしても――。


「なあ、俺についてきてくれないか?」

「…………え?」


 俺の言葉に彼女は驚いたような声を上げる。

 まるでそんな言葉予想していなかったように。いいや、もっと深く、ありえないと思っているようだった。

 不思議に思うけれど、俺は言葉を続ける。


「俺、ここに来たのは初めてだし、わからないことだからけなんだ。だから、案内してくれないか?」


 正直、見知らぬ場所をひとりで探索というか歩くのは不安だ。彼女は少なくとも俺にお金を貸してくれた優しい人。信用は出来るかもしれない。

 他にそんな人が見つかる可能性はない。だからここでなんとか生きていけるだけの知識をつけるためにも色々教えてもらったり、案内してもらいたい。


 そんな俺の打算ばかりの思考に、我ながらクズだなと思う。

 それでも生きるためには必死にもなる。ならざるを得ない。ひもじい思いもつかれる思いもしたくない。


「……で、でも……」


 彼女は俺の言葉に少なからず動揺したように声が声が震えているように思えた。


「……わたしは……送り人だから……」


 おくりびと? 贈り人? 送り人? それはいったい何なのだろう。俺にはわからない。

 この世界のことは何一つわからないのだから、送り人と言われてわかるはずがない。

 たぶんというか、彼女の口ぶりからすると何かしら良くないことなのかもしれない。それはきっと彼女がこんなところで良いと言う理由なのかも。


 俺はそう思う。おそらくこれは厄ネタなのかもしれない。だったらどうする。わかったと頷いて立ち去るか。

 いや、それは厳しい。俺はこの世界について何も知らないのだから何をやらかすかわかったものではない。


 だからそう、これはそう俺の為。俺が自分の為に彼女を利用するだけ。そう別に彼女をこんなところに置いておけないだとか、美少女だからではない。

 少しくらい、二割か三割。もしかしたら四割くらいの割合はあるかもしれないけれど。

 残りの六割は自分の為なのだからたぶんOK。


 そう自分の中で納得を引きだしてから。


「そんなの関係ないな。なあ、頼むよ。俺についてきてくれないか? 何度も言うけど、俺この辺りのこと何も知らないんだよ」

「…………」


 彼女は胸元に手を置いて、心底驚いた風に。けれど表情は変わらず、俺を見つめている。

 まるで珍妙な動物を見たかのよう。ある意味それは正解だから、何とも言えない面白さがある。


「お願いだ。俺を助けると思ってさ」

「…………」


 もう一押しとばかりにお願いして、頭を下げて。頼み込んでみる。

 彼女は迷っている風。顔は無表情でも手足などは彼女の表情以上に物を言う。例えば、驚いた風に胸元を抑えていたり、少し一歩だけ足が下がっていたり。

 観察力という点で俺は自信がないけれど、ここにいるのは彼女だけで、彼女は少しだけわかりやすい。


 彼女は考えるように視線を彷徨わせる。それからどこか呆れた風なニュアンスを伴って。


「……わかった」


 肯定の一言を紡いだ。


「ありがとう! 俺は九条レイ。あ、こっちだともしかしたらレイ・クジョウになるかも。レイが名前だから、レイって呼んでくれ。君の名前は?」


 お礼とともに名前を名乗る。そうして、手を差し出す。握手。こう、よろしくお願いする契約ではないけれど、仲良くしようという意味を込めて。

 実は、結構恥ずかしい。でも、美少女とお近づきになりたいという思いが少し俺を頑張らせた。

 この世界には俺のことを知っている人が誰もいないからともいう。ここで俺という新しい人生を始めようという感じでもあって。


「……アイリス」


 アイリスと名乗った彼女は、戸惑うようにそっと俺の手を握ってきた。

 暖かな手だと思った。体温が高いのかもしれない。それ以上に、さらさらとした細くて小さな手だ。

 そんなことを思って、思わず赤くなってしまった。


 ここで彼女の名前なんて褒められれば良かったのだけれど。いくら生まれ変わった気分で新しい人生を始めようと思っていたとしても、そんなプレイボーイみたいなこと俺にはできそうにない。

 だから、何も言わず無言で手を離して。顔が赤いのをバレないように後ろを向いて。


「さあ、行こう」


 思わず上ずった声でそう言うしかできなかった。


 いつの間にか辺りは夕暮れ時の色が満ちていた。

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