第2話 空腹も限界で満腹になるために死体を食うことにした

 祈り続けた俺の前に、それは現れた。

 砂塵がまるで隠していたといわんばかりにいずこかへと去り、俺の目の前にそれは現れた。

 まるでそこだけぽっかりと穴が開いているかのようであった。事実、開いていたのかもしれない。


 そこにあったのは死体だ。巨大な死体だった。俺よりも数十倍、数百倍の巨体が目の前に横たわっている。

 高層ビルと同じくらいには巨大な死体を見逃していたとは思えない。こんなものがすぐ目の前にあって気が付かないとは、俺も疲労で視野狭窄に陥っていたのだろうか。

 あるいは、神様が天の助けとばかりに蜘蛛の糸を垂らしてくれたのかもしれない。


 どちらにせよ、俺は死体を調べることにする。

 巨大な生き物。何の生き物かは見てもわからない。こんな生き物、日本にはいなかった。世界のどこを探したっていないだろう。


 その死体はまるで蜥蜴のようであった。しかし、翼のような骨もある。翼のあるトカゲ。

 それはまるで物語に登場するドラゴンのようである。ようではなく、まさしくというべきかもしれない。


 ここが異世界かもしれないということを考えれば竜くらいいるかもしれない。

 竜、ドラゴンはファンタジー世界ならば定番の生き物だ。最強の生物と設定されることも多い。

 その死体ならドラゴンゾンビとかになっていないだろうか。そういう不安もあるにはあるけれど背に腹は代えられない。


 空腹だし、疲労も限界。いつ倒れたって仕方ないのなら今すぐにでもこの死体から使えるものをはぎ取る必要がある。


 竜の死体。

 どれほど前に死んだのか。死体のほとんどは風に攫われたのか、風化してほとんどが骨になっている。

 けれど、それを免れている部分もあった。

 まるで巨大な盾だとか鏡だとかのような鱗がまだ残っている体の中心部分。剥がれ落ちていない鱗の裏側などにわずかながら肉が残っていた。


「やったぞ」


 寄生虫だとか、病原菌だとか、腐ってるだとか。

 そんな考えが頭をよぎるがもう贅沢は言っていられない。空腹で倒れて動けなくなる前に、これを食べるしかないのだ。

 骨にくっついたわずかな肉はまだ新鮮に見えた。とにかく集めてみれば結構な量になった。


「生は、流石に怖いよな……」


 わずかな理性は火を通せと言っている。けれど、火をつけられるものなんてどこかにあるだろうか。

 こんな荒野の真ん中にあるはずもない。俺の持ち物は変わらず、衣服だけだ。


「なにか……」


 ないかと探せば、あった。

 わずかに砂に埋まりかけた袋のような何かが炎を発していた。それはどうやらこの死体の主が持っていた内蔵のようである。

 こんな死体になっても熱を持っているどころか燃えている内臓。一体何なのだろうか。

 わからない。わからないけれど、あとはもうこれしかないのだから、使うしかない。


 流石に内蔵に肉を放り込むとか気持ち悪いことは出来ないから。その辺にあった平らな石をその袋の上に置いてみる。

 加わった重みで袋が破けたのか、内側から炎があふれ出してくる。それが収まるまでまつと、石は赤くなっていた。

 わずかな時間しかないから、とにかく肉を焼く。


 その試みはうまくいったようで、じゅうじゅうと肉の焼けるおいしそうな匂いが辺りへ立ち込め始めた。

 もう水分なんて体に残っていないと思っていたのに、よだれがあふれ出すほどに良い匂いがしていた。

 肉の色がしっかりと変わるまで焼く。焦げるギリギリまで、肉を裏返す時には、ブレザーを使った。


 肉からあふれ出した油でギトギトになってしまった。もうこのブレザーを着ることはないかもしれない。

 竜の肉はまるで宝石のようにきらきらと輝いて見えた。


「いただきます」


 もう我慢なんて出来るはずもなく、一口食べた。


「…………うまい……」


 思わず涙が流れた。涙なんていったいいつ以来だろう。小学校が最後だったか。中学校に入ってからは男としての自覚からか涙は格好悪いものとして流したことはなかった。

 流したとしたらゲームのエンディングくらいだろう。


 間違ってもおいしいものを食べて涙を流すなんてことは生涯の一度もない。感動は覚えても涙を流すほどの衝撃的な美味さに俺は出会ったことがなかった。

 だというのに、俺は今、涙を流していた。止まらない。滂沱の涙が荒野に流れ落ちていく。


 肉はこんな荒野に放置されているとは思えないほどの新鮮さを保っていた。鱗に守られていたおかげか、あるいはこれが竜という種族の特性なのかはわからない。

 空腹は最高のスパイスということをふまえてもただただうまい。


 水なんて飲んでいないはずなのに、その肉の脂はまるで清涼水のように俺の全身を満たしていた。

 脂なのに脂とは思えないほどに澄み切った清水のような飲み心地が喉を潤している。


 しかしそれははっきりと肉の味をも主張していた。あふれ出す肉汁に他ならない存在感で、喉を通り胃を満たす。

 舌で感じるのではなく、胃から全身をくまなくめぐるように味が身体を駆け抜けているのがわかる。


 焼けた肉は香ばしく、しかしジューシーさを持って口の中で踊り続けている。スパイスもなにもないのに、感じる味は肉本来のものとは思えないほどに濃厚だ。

 最高級のスパイスを使って何日も下ごしらえをしてプロの料理人がその技術の全てを使って焼き上げたステーキのよう。


「うぅ……うまい……なんて、うますぎる……」


 涙が止まらない。よだれが止まらない。手が止まらない。

 空腹も相まって俺は、ただその肉を焼いては食べることしかできない。


 肉の部位が代われば、驚くほどに食感も味も変わる。

 鶏ささみのような食感でさっぱりとした部位もあれば、霜降り和牛のような濃密な味わいを持つ部位もある。中には、全てが混じった奇跡のような味すらもあった。

 口に入れて、噛んで、食べるだけで人生最高の幸せを更新し続ける。こんなに美味いものを食べたの初めてだった。


「ああ、うめえ……」


 気が付けば俺は横たわっていた。

 満腹だ。

 空はすっかりといつの間にか暗くなっていて、妙に大きな二つの満月が天頂に上がっていた。


「良し、俺頑張れる気がする」


 異世界でも頑張れる。そんな気がした――。

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