雨に降られて

higansugimade

雨に降られて

 雨でずぶぬれになってしまってね。

 ねえ、なんで雨に降られたの?

 なぜって、うーん、雨が急に降り出したわけだけれど、その時傘がなくって。ちょうど、仕事終わりに傘を持って帰るかどうか同僚と話したところだった。もう止んでるだろう、って。昼日中は雨が降っていて、それからからりと上がって。もう降らないだろう、というか、雨は終わった、今日はもう終わり、おしまい。そういう感じだったな。降らないときは降らないもんだし、土砂降りが何時間も続くわけはないし。しかしものの見事にびしょ濡れになった。大した着物でもないし、もう、いいや、と思って、堂々と歩いたら、雨宿りをしている人たちが、ぽつんぽつんと目の前に現れて、こちらに目配せをして、それを、そのことばかりを、意識しながら、でも、気丈に、歩いて帰った。ははあ。

 だから、どうして、雨に降られたの?

 だから? だからって、降られたものは仕方ないじゃないか。雨は降るときは降る、降るときに出歩かないといけないこともある。

 そういう可能性の問題ではなくて、ついさっき、降った雨が、どうしてあなたにそんなにも降りかかったのでしょう?

 どうしてって、その理由は言葉にはできないんじゃないだろうか。

 いや、できる。それはね。

 と、彼女はぼくに耳打ちをはじめた。声は耳にくすぐったく、その内容よりも仕草や香りに、その女性性や間合いの取り方、その手の動きに体の動き、眉の上下運動に眼球のサイン・コサイン回転、彼女のトポスとその位置のずれ方はずし方、フッサール的な捉え方のいわゆる存在そのものに、ちらりと酔いそうになった、がしかし、それは彼女が言葉を発する前の仕草にだけ因っていて、あやうく言葉の音のみに耳を傾けるところであった。

 その時彼女は恐ろしいことを言ったのだ(ぼくは言い切ることに関しては疑問を呈する)。ぼくは納得したつもり、そうか、そういう物事の捉え方もあるものだ、いや、物事とはそう捉えるべきなんだ、いやいや、そうじゃない、それはやっぱり普通じゃない、いやでもしかし、では普通とはいったいなんなのだ……

 というわけでぼくはまた、ちょっとは言葉を信用しかけているわけなのだ。言葉そのものを。それで、こんなものをわざわざ書いている。

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雨に降られて higansugimade @y859

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