読書とは常に刺激だ。自他ともに。作者はきっかけ、場を与えて、読者はそこの場に浸る。文章を通じて作者と対話できればそれに越したことはない。読者は読むことで問いを立てねばならない。これを常とするべきだ。刺激は必ず感想を産むはずだから。本を読んだら読者は作為者に向かって対話を試みるということ。全ては問いから始まる。終いには情感を私としての知見に変える。きっと変えられるということをぼくは乞う。ここには「そんなことも知らないの」とのたまう差別主義者の入る余地などない。ぼくを変えること、つまりは己の世界が耕されるだけだから。耕す己の領地の比較のしようがないから。
だからぼくはせっせと読書に励む。上記のごとくこれは自慢でもマウントでもなんでもない。ただ自分の領地分の耕されることを楽しんでいるだけだ。ずいぶん個人的なことでありながら、これほど万人に通じる楽しみはなかなか他にないように思う。