幻の白い花

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

 

 封筒には、「華」と印字された招待券が、たった一行文字をつらねただけの便箋に折り込まれて入っていた。肌理きめの粗い紙に顔料で印刷された琉球文様りゅうきゅうもんようと「金城」という作家の名前は、タイトルの下に小さく書かれている説明にらなくとも、そのもよおしが紅型染びんがたぞめの展示会であることを容易に判断させた。

 便箋のメッセージは「例の花、巧く再現できました。お待ちしております」と、極端に短い。差出人は、沖縄の染色工芸家、金城京介きんじょうきょうすけ、宛先は先年他界した父だった。

「父ちゃんのこと、まだ知らせてなくてね、銀座のデパートで作展を開きなさるて案内状が来たんだども、挨拶してきてくんなさい」

 田舎の母から電話を受けたのは招待状が転送されてきた日だった。既に作展は開催期間に入っていた。

 コンクリートとアスファルトの隙間を金属とガラスとプラスチックが塞いでいる。そんな無機質な街にも所々に幾つかのプランターが置かれていて各々それぞれの内側には原色の花が敷き詰められている。しかし、風と交わることのまれな都会の花々は陽光を照り返すばかりで、初夏にふさわしい透明な色彩を持たない。

 花には三種類ある。自然の花、イミテーション、そして、生花でも造花でもないが確かに花として咲くもの。父の言葉を憶い出した。生花でも造花でもない花……排気ガスにまみれて咲くこんな都会の花のことを言ったのかと、ふと思った。

 銀座に出た理由は、紅型展だけではなかった。人と会う約束もあったのだ。

「相談する相手が、他にいなくて」

 初めて藤石芳美ふじいしよしみの声を聴いたのは、三か月前だった。旅行代理店に勤めている。熊本の大学を出て、この春に上京したばかりだと言った。

「取材中に反政府軍に捕まったんじゃないかって。考えたくはないんですけど、兄はもう……」

 受話器を首に挟んで、側に置いてあった米国のグラフ雑誌をめくった。

 間近まぢか炸裂さくれつする迫撃砲弾はくげきほうだんの爆風を、宙に舞うヘルメットによって劇的にとらえた写真……サムライとあだ名されるカメラマン藤石えいが、行方不明になる直前に通信社に送ってよこした報道写真である。

「おなごの裸ばっか写しっとたったら、人間ば駄目になるばい」

 故郷の言葉でそう言って、彼はこの平和な国を出ていった。三年前だ。制止とめることは出来なかった。

 何処かの国でクーデターがおきる……亡命用飛行機に搭乗しようとする不安げな元首の姿。国境を挟んで紛争が勃発ぼっぱつする……最初に負傷した兵士の悲痛な表情。そんな写真の傍らに、E. Fujiishiいうサインをみることが頻繁となったのは二年ほど前からだった。英が中東のある国で行方不明になったというニュースがあった時、無謀ともいえる彼の取材ぶりがマスコミで問題になった。

「フォトジャーナリストとして死ねるなら、何時死んでもいい」

 そう簡単に死ぬような男じゃない、と芳美を励ました時、頭の中をよぎったのは、英のその言葉だ。

 芳美を連れ、外務省や大使館や通信社をまわり、捜索の手続きや情報の収集を依頼する。この三ヶ月間の休日の行動だった。

「新聞社の外事部から電話があったの。兄の消息を知っている人が、今、日本に来ているんですって」

 紅型展びんがたてんを観た後に芳美と一緒に会う人物は、そのイギリス人だった。


『琉球の花、紅型。金城京介・紅型展。本館七階』

 エスカレーターの内側に「華」とタイトルされたポスターが貼ってある。

「花……」

 父と金城京介という工芸家とのつながりを考えた時、ふと頭に浮かんだのは、父が織っていたあるつむぎだった。

 織物会社を廃業した後、五坪ばかりの工場に織機しょっきを一台置いて、父は紬を織っていた。

 父が織る紬は、色や質は良かったが、高い値で売るものではなく展覧会場に飾るものでもなかった。父は機織はたおり職人であって、伝統工芸家や芸術家ではなかった。だが、一度だけ、父が反物たんもの以外の紬を織っていたのを見たことがある。数年前である。

 旧盆きゅうぼんの帰郷の挨拶をしようと、機の音のする工場を覗いた時だ、いつもは無地むじの男物がかかっている織機で、父は壁掛けの様なものを織っていた。上下に交差する千数百本の縦糸たていとが、まだを通していない部分に、先染めの図案としては珍しいリアルな絵柄を浮かび上がらせていた。「おかえり」と無愛想な挨拶を返され、花の名をきく機はいっしたけれども、その白い織柄おりがらの奇妙な美しさだけは心に残った。手紙にあった「例の花」とはあの花のことかもしれない。

 デパートの開店から、まだ十数分しかっていなかったためか、個展の会場に、客らしき人物は一人しか居なかった。外国人だ。

 南の島の熱い空気を含んだ柔らかい布地は、漆黒の空間に浮き舞うように巧くディスプレイされてた。作品の紅型びんがたは、ほとんどが反物たんものだった。花や鳥や魚の文様もんようは、渋い色彩で染められているにもかかわらず、動的で、華麗な印象をあたえている。紅い花。黄色い花。抽象化されているが、皆、南国の花と判る。

 展示会終了後の引き取り先が決まっているらしく、ほとんどの作品に何々様御予約という札が付いていたが、一品だけ、非売品となっているものがあった。深いあいに、輝くような白い花が染め抜かれていて、写真の様にリアルな作風が異彩をはなっている。沖縄の花ではない。父が織っていたものと同じ花だと直感した。金髪の男性客は、さきほどからその作品の前で動かない。

金城さんは、どちらへ行かれたのですかDo you know where Mr.Kinjo is?」

多分、通訳をさがしにMaybe, he is looking for an interpreter.

 その外国人は、花に視線を奪われたまま応えた。

「この作品に興味があるのですか?」

 外国人が振り向いてうなずいたとき、白髪をきちんと揃えた老人が、会場に入って来た。首を横に振り、駄目だったというサインをよこす彼に、外国人は掌を此方こちらに向け、運よく通訳が見つかったことを目でげた。

 その外国人は国際線のパイロットだった。レスリーと名のった。作品の花について、是非、聞きたいという。

「この花を、ご覧になったことがあるのでしょうか?」

 イエスと、飛行家は答えた。しかし、ただ一度だけ、と付け加えた。

「私が見たのも一度っきりです」

 金城さんは、会場の一郭に置かれた長椅子に二人を座らせ、対面して自分も座ると、壁の花に目を遣りながら語り始めた。

 沖縄戦の体験談だった。

「ある洞窟に、私の小隊は立てこもったのです」

 銃弾がまだ尽きていないことを敵に示すために、見張り役の兵隊は、銃先つつさきを外に向け五分間に一発づつ発砲する。しかし、死へのカウントダウンのようなその銃声には、味方の負傷兵のかすかなうめき声をおさえつける効果しかなかった。

 金城さんは洞窟の一番奥で、銃弾が一発だけ装填そうてんされた銃をかかえ、横になっていた。玉砕ぎょくさいとか自決とか、口を開けば死ぬ話しか出てこない。体力の消耗もあって、皆、無口になっている。金城さんは負傷してはいなかったが、そこに居た兵が皆そうであったように、空腹と疲労と戦況への絶望とで、戦う気力を……多分、生きる気力も、無くしていた。

 寝返りを打とうとして、うっすらと目を開き首を回したときだ。金城さんは、洞窟の隅の暗闇に、ぼんやりとした光のかたまりを発見したのだ。

 発光体は、花だった。

 輝くほどに白い花……それが光を放っている。

 陽の全く当たらない場所に花が咲いていることを、その時、金城さんは、不自然だとは感じなかった。

……もし、生き残ったら、あの花の名前を調べてやろう。

 空気を激しく巻き込む音が洞窟を震わせたのは、そう思った瞬間だった。砲弾は洞窟の入口付近で炸裂さくれつした。

「私一人だけ、助かりました」

  洞穴の中に咲いていた花が造りものや幻覚であったとは、現在でも思っていないと、金城さんはつけ加えた。

 通訳のたどたどしい英語が、会話の時間を倍にしたためか、パイロットは金髪をかきあげながら、大きくため息をついた。

「私の見た花も造花や幻ではなかったと思っています。見た場所は砂漠のまん中ですが」

 多分同じ花だとパイロットは言った。

 レスリーさんはオーストラリア人だ。国際線のパイロットともあろうものが、よりによって自分の国の空で、迷子になってしまったのだ。

 レスリーさんの自家用機が不時着したのは砂漠の南側だった。夏、つまり南半球では寒い季節だったという。

「夜には焚火が必要となります。飛行機の燃料やプラスチックの部品を燃やして暖をとりました。墜落と言ったほうがいい様な着陸だったのでセスナは半壊していました。もちろん無線も使えません」

 三日めには食料も燃料も底をついた。

「窮地から脱出する名人でも、何かのちょっとしたきっかけで挫折してしまうことがあります。生還の方法だけを必死に考えていたためか、燃料と食料が底をついたとたん、頭の中が空っぽになったように感じました。生還のアイデアを探ることが面倒くさくなったのです。それでもまだ、死にたくないとは思っていたのですが、やがて」

 六日目の夜、

「今までに感じたことのないほどの強い眠気が襲ってきました。死を誘う睡魔です。しかし、あがなうだけの生への執着がもうありません。やり残した仕事は誰かがやってくれるだろう。家族には俺の保険がおりるさ……と死への妥協を正統化する考えしか出てこないのです。ところが」

 気が遠くなりかけた時、瀕死のパイロットは、花を見た。炎熱と氷寒ひょうかんを繰り返し微湿びしつうるおいもない岩砂漠の中で光りを放ちながら咲く花を、レスリーさんは見たのだ。そして朝、「救助のヘリコプターが私を捜し当てた時まで、見続けていました」

 ヘリコプターから視線を返したとき、花は消えていたという。

「この花です」

 レスリーさんは、紅型の花に目をやり、強く言った。

 しばらくの沈黙の後、金城さんは時計をみた。

「シベリアでこの花を見たという方が、今日あたり、ここにいらっしゃると思います」

 モスフィルムの古い作品をテレビで観ていたとき、アレクサンドル・プトウシュというその映画の監督の名を父が口にしたので、びっくりしたことがある。映画を好む父ではなかったが、このロシア映画には詳しかった。ソ連抑留よくりゅうの体験にからむある種の懐かしさから、この国の映画に愛着があるのではないかと、その時は思っていた。だが、父は、自分の知りたいことのために、この映画を観ていたのだ。『石の花』が、映画のタイトルだった。

「父は、昨年、他界しました」

 金城さんは、言葉の意味を探りかねるような表情をした。

「連絡も差し上げませんで、申し訳ありません」

「息子さんですか?」

「父の代理で参りました」

「お亡くなりになったんですか」

 金城さんは、ため息をつきながら、白い花の紅型に目をやった。

「この花をモチーフにして、染めてみたんです。それが専門誌に載った」 

 二十年も前だ。金城さんの作品が載った染織専門誌を手に持ち父は沖縄の工房を訪ねてきたと言う。

「鉄格子ごしに、一度だけ見たそうです」

 敗戦の年、関東軍の兵隊だった父は寒い国の虜となった。抑留されていたのは四年間だった。食料も暖も乏しい。飢えと寒さと重労働と帰国できぬことへの絶望で、仲間は次々と死んでゆく。父も、四年目の冬に、とうとう倒れてしまった。

 ソ連軍の衛生兵が首を横に振り、父は狭い独房で死を待つことになった。敗軍の兵で虜囚りょしゅうの身とはいえ己は軍人である。死を恐れるべきではない。自分にそう言い聞かせ、意識の薄れゆくのを待った。

「夜中に目が覚めた時、ああ俺は死んだんだな、と思ったよ」

 父から聞いた話の結末は、その後奇跡的に回復し三ヶ月後に帰国……という簡単なものだった。

「死んだんだな、と思った」時の詳しい模様を父は金城さんには話していた。

 夜中に目覚めたとき、父は、窓の外にぼんやりとした光を見た。ああ、あれが「お迎え」ってやつだと、父は思った。しかし、何時まで待っても、その「お迎え」は、枕元にまで来てくれない。せめて外まで自分で出ろということかと、父はベッドから出た。死にたてだから、まだ熱もあるし体も重いんだろう。そう思いつつ、なんとか窓まで這うようにして行った父は、そのぼんやりとした光の正体をみた。

「雪を割って白い花が咲いていた。お父様はそうおっしゃった。お父様は、自分が未だ死んでいないことに気がついた。いや、自分は死なないんだと確信したんです」

 金城さんは確認するように、「そうですか、お亡くなりになったんですか」と続けた。

 紅型の写真を一枚撮らせてくれと言うレスリーさんに、

「あなたに差し上げます」

 と金城さんは応えた。

 数枚の紙幣を渡そうとするレスリーさんを制しながら、

「これはイミテーションだから」

 金城さんは言った。

「自分のいのちそのものの姿を見ることがあるのかもしれない。それを見た者は、ああ、まだ咲いている…と思う」

 金城さんが呟くように言った時、紅型の花が、一瞬、輝きを強めた。


 金城さんのもてなしを辞退してデパートを出たのは、約束の刻限直前だった。芳美を確認し手を振ると、彼女は小走りに駆け寄ってきた。

「早めに行きましょ。時間にうるさいと思うの。イギリス人だから」

 店内には、外国人が多い。各々のテーブルには、花が飾ってある。

「反政府軍が侵攻してきたので、私は一時基地まで引き揚げたが、英は取材を続けた」

「その撮影中に、反政府軍に捕まったのでしょうか?」

「彼はサムライだから、捕まったというより、自分から潜入したんじゃないかな」

「それなら兄は、今、反政府軍を取材しているんですね?」

「獄中取材だろうけどね。捕まっていることだけは確かだ。彼を捕らえた反政府軍側の意図が判らない。国際世論があるだろうから、身代金を要求するようなことはしないだろう。反政府軍側に有利なプロパガンダ要員として洗脳されているという情報もある」

 反政府軍側のスポークスマンからあずかったという数枚の写真を彼は芳美に手渡した。

 一枚一枚、どの地点で何時ごろ写されたものかをイギリス人カメラマンは説明する。

 兵士の横で、幾分いくぶん不安気ふあんげな英。後ろ手に縛られている。反政府軍の一人が、英のニコンで撮影したものだろう。瓦礫がれきを背景に英は心細気こころぼそげに笑っている。

 次の写真も同じ場所で撮ったものだ。三人を正面から撮った集合写真だ。やはり後ろ手に縛られた英、中央と右端に銃を抱えた少年兵士。このスナップは失敗している。二人の少年は正面を向いているのに、一番左端の人物は左側を向いているのだ。シャッターをリリースする直前に横を向き、間の抜けた写真を撮らせてしまったのは英である。

 英は、好奇の眼で傍らの瓦礫の隙間を凝視めている。何を見ているのか、英の視線を辿たどった時、写真をめくろうとした手がとまった。

「……英は死なないよ」

「えっ」

 随分と大きな声で言ったらしい。芳美が首を傾げてこちらをみた。

「彼は、生きて帰ってくる」

 写真のなかで、英がみつめているもの……それは、瓦礫に阻まれて、全容をみせてはいない。しかし、ものにとりつかれたような英の表情と、英の瞳に異常に映える光は、その光の断片があの白い花であることを確信させた。       (了)

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