第30話 決意
それから数日が経過した。
クリストさんは特に怪しい素振りも見せず、アリサさんの仕事を手伝ったり、人間界の話をしたりしていた。
だが間もなく、例の奇病にかかってしまった。
もちろん、俺の『やくそう』ですぐに治療できたのだが、そのことで、病原菌がそう簡単に死滅するものではないことがわかってしまった。
最悪、この大陸にいる全てのエルフが同じ病にかかってしまうかもしれない。
早く俺という『やくそう』を流行らさなければ、アリサさんは安心して眠ることが出来ないだろう。
さてどうしたものかと考えていたある日、アリサさんの耳レーダーが、とある波動をキャッチする。
「彼女が来るわ……」
「…………」
「…………」
俺もクリストさんも、何も言えなかった。
この辺一帯に、怪しげな病気を持ち込めた人物……。
気づけばその最有力候補が、ビアナさんになっていたのだから。
* * *
仮に、ビアナさんが奇病を持ち込んだ犯人だったとして、一体どのような意図でそんなことをしたのか。
昔からの親友で、恋人でもあるアリサさんを死に追いやる理由など、果たしてどこにあると言うのだろう。
「1つだけ、考えられる筋があるの……」
「マジすかっ!?」
アリサさんは自身の感情を押し殺し、慎重にその可能性を探りつつ言った。
「そもそもダークエルフとは、人類を滅ぼしたいという願いの下に生まれた種族よ。私のように、ヒト族の社会を変容させたり、融和の道筋を探ろうとしている穏健な一閥とは、実のところ、根本的な思想が相容れないの……」
「おお……」
これまた、草だけに根の深い問題が出てきた。
ダークエルフ族の方がより深くまで人類社会に浸透していて、一見すると、エルフよりも人との融和が進んでいるように見える。
だがその根本にはあるのは憎悪であり、人類に対して、より攻撃的であることの裏返しでもあるのだ。
「つまりビアナさんは……エルフ族の間に奇病を流行らせることで、人類社会に対するヘイトを高めようとしたと?」
「あくまでも可能性の話だけどね。そして、私がターゲットにされた理由も、クリストを犯人としてでっち上げるためと考えれば、辻褄が合う……」
「ふむ……」
「なるほどです……」
庭のテーブルに三人で腰掛け、お茶の用意もしてビアナさんを待っている。
家の中も綺麗に掃除して、蒸留したアルコールで隅々まで消毒した。
スミレさんは……ひとまずデッキチェアに寝かせてある。
「あとは、知らぬ間にビアナが運び屋にされていたって可能性も考えたけど、ならとっくに彼女も発症しているわけで、今になってここを訪れるはずがない」
「そうですね……」
他に確たる治療法がない以上、すでに事切れてしまっていてもおかしくない。
「このタイミングで訪ねて来るということは……やはり、私の死の報せを聞いてのことでしょうね」
と、クリストさんがどこか他人事のように言う。
薪小屋で寝泊まりしている彼ではあるが、もうすっかりアトリエの一員だ。
「そうね。それで私が生きていると知って、奇病を克服した理由を探りに来たのかもしれない」
「でもそれだと、ビアナさまはおいそれとアリサさまに近づけませんね? 接触感染の危険が高いです。ケンジさんのこともまだ知らないでしょうし……」
「ええ……。仮にビアナが犯人だった場合、間違いなく私に対して距離を置こうとするでしょう。いつもの挨拶を拒否して来るようなら……確定ね」
言ってて、どんどんテンションが下がっていくアリサさん。
やはりその胸には、ビアナさんがシロであって欲しいという願いがあるのだろう。
まもなく、小道の茂みを裂くようにして、馬に乗ったビアナさんがやってきた。
いつもと同じ、深い藍色のローブを着ている。
「きましたね……」
「うん……」
3人で立ち上がって彼女を出迎える。
「……むっ?」
ビアナさんは、すぐにクリスト氏に目を向ける。
すっかり様変わりしたその姿を見て、警戒するようにして馬を止めた。
「まさか……生きていたの?」
そう言って、深く被っていたフードを外す。
俺たちとの距離は15メートルは離れている。
かなり慎重なソーシャルディスタンスだ。
「それに、その姿……」
「はい。私はもう、クリストであってクリストではありません。男であった頃の私は死んだのです」
クリスト氏は一歩前に出て、上着の裾をつまみながら女性的なお辞儀をした。
今は俺と同じ布の服を着ているだが、見た目は完全にエルフ族の少女だ。
「どうしてこんなことに……」
肩の上のフワフワが厳しい顔をしていた。
ビアナさんは一瞬俺の方を見る。
流石に勘が鋭いな。
その通り、彼をこんな姿にした犯人は俺です……!
「色々と話すことがあるのビアナ。お茶も用意してあるわ。ひとまず馬から降りて、休まない……?」
「ええ……そうね」
そしてアリサさんは、馬にまたがるビアナさんに歩み寄って行く。
背中に漂う緊張感。
俺はその様子を、固唾を飲んで見守った。
普段どおりであれば、馬の手綱を取って木の下に誘導して、それから馬を降りて挨拶のキスと抱擁をするはずだ。
「ごくり……」
アリサさんが馬の手綱を取った。
まだ接触には至っていない……。
木の下まで誘導したところで、ビアナさんが馬から降り始める。
「よいしょっと……」
2人で正面から向き合って、互いの腰に手を回す。
「会いたかったわ、ビアナ」
「わたしもよ、アリサ」
ついに、2人はお互いの頬に挨拶の口づけをかわした。
その瞬間に、ビアナさんが病気のことなどまるで知らないという事実が確定する。
「よかった……!」
「……えっ?」
目に涙を浮かべながら、相手の胸に飛び込むアリサさん。
よほど感極まったのだろう、そのまま泣き崩れてしまった
「ほっ……」
俺は胸を撫で下ろす。
良かった……。
ビアナさんは、シロだった!
* * *
「まあ、そんなことが……!」
お茶を飲みつつ今までのことを話す。
ビアナさんは、何度も驚きながらそれを聞いていた。
「病気を治し、傷を治し、あまつさえクリスト……さん? の性別まで代えてしまうなんて……」
それは主に、俺の能力に対してだったが。
「はっきり言って、あなたのその力の前では、その奇病とやらも霞んで見えるわね……」
「そ、そうですかね?」
ぶっちゃけ、俺がいれば恐れるに足りない病気だが……。
「でもビアナ、本来ならエルフの存亡に関わることなのよ。そんな恐ろしい病気を流布した者が居ること自体、由々しきこと。何としてでも、犯人を探し出さないと」
「まあそうね……でも、大昔に海の向こうで流行った奇病? そのようなものの研究をしている人間なんて聞いたことがないわ……。だいいち、その大陸とは国交自体が無いのよ?」
国政の中枢に出入りしているビアナさんにも、心当たりが無いようだ。
大陸中に浮名を流したクリスト氏ですら知らなかったのだしな。
「その点は、私も不思議に思っていました。エルフに特有の病であれば、その滅亡とともに病原菌もいなくなるはず……」
と、クリスト氏。
あまりに致死性の高い病気は、逆に流行りにくいと聞いたことがある。
宿主が死ねば、病原菌もそれ以上増えることが出来ないからな。
ビアナさんが、顎に手を添えながら言う。
「そもそも、かの大陸に住んでいたエルフの絶滅が、本当に病気によるものだったのかは、未だ確証の無いことなのよ」
「え、そうなの?」
「うん……数ある説の1つではあるけれど……」
そして話はますます、深い沼にはまっていく。
「かの大陸には森が少なくて、ヒトとエルフの距離がとても近かったとも言われているの。墓地に葬られていない遺骨も多いことから、病気ではなく、戦争で滅んだという説が、今は有力だと聞くわ」
「そうなの……知らなかった」
アリサさんも、一緒になって難しい顔である。
考古学に関しては、ビアナさんの方が詳しいようだな。
いずれにしろ、現在の学術レベルでは解明しきれないことなのだろう。
病原菌が人為的に運ばれてきたという説そのもが怪しくなってきた。
「だとしたら残る可能性は……」
「えっ?」
何故か、その場の全員が俺の方を見る。
「……本当にただの、自然発生?」
アリサさんがぽつりと呟くが、それに答えるものは誰も居ない
* * *
その二日後、ビアナさんがケホケホ言い出した。
早速やくそうを処方して、家の中で休んでもらう。
あんなに丁寧に消毒したのにな。
アリサさんと特濃接触をしたからだろうか?
だとするとこの病原菌は、治癒後も体内に残っているということになる。
とても厄介だ。
エルフさん達は、もはや俺なしでは生きられないじゃないか。
「ふわああ〜〜」
「あっ、スミレさん!」
外でアトリエの増築作業をしていると、デッキチェアで眠っていたスミレさんが目を覚ました。
そう言えば、だいぶ涼しくなってきた。
もうすぐ秋である。
「え、ええと……」
俺は、プロポースをした時のことを思い出して、つい顔を火照らせてしまった。
「お、おはようございます」
「おはようございますです〜〜。あらー?」
だが、そんな俺の恥じらいなど気にもとめず、スミレさんは目をこすりながら周囲を見渡す。
アリサさんとクリストさんも、手を止めてこちらにやってきた。
「あらあらー。寝ている間に、なんだか賑やかになったのですー?」
「これはお初にお目にかかりますセイ霊さま。私はクリストと申します」
と言って、恭しくスミレさんの前にかしずくクリストさん。
さてスミレさん、わかるだろうか?
「まぁ、これは可愛らしいエルフのお嬢さんですー。アリサさんの妹さんですか?」
わからなかったらしい。
俺は、性転換の経緯を話して、彼があのクリスト氏であることを説明する。
「まあーっ、そうでしたのー? ケンジさん凄いですねー」
「ええ、まあ……」
確かにすごいのだが……。
元はと言えば、スミレさんがアリサさんの治療法を教えてくれたことに端を発している。
「スミレさんが、色々教えてくれたからですよ」
「ほええー? 私、何かしましたー?」
「ええっ?」
ま、まさかスミレさん。
寝ぼけて覚えていないのか!?
「え、えーとぉ……。アリサさんが熱を出して寝込んでいたこと、覚えてません?」
「いいえー、全然ですぅー」
「ええええー!?」
まさに晴天の霹靂!
こころなしか、アリサさんが憐れむような視線を、俺に向けてきている……。
「因果応報……」
そして、なにか意味深なことを口にする!
「そ、そんな……! じゃあ、アレも覚えてないんです!?」
俺の『お嫁さんになって欲しい』のプロポースと、その後のチューは!?
「ええー? アレってなんですかー? とっても良い夢を見ていた気はするのですけど……」
「うわーっ!?」
俺は思わず頭を抱えてしまった。
スミレさんは、俺とのチューを覚えていない!
当然、プロポーズも!
夢には見たのかもしれないけれど、覚めると同時に忘れてしまったようだ……。
こ、これは……。
俺のファーストキスはどういう扱いになるんだ!
ノーカンか!? ノーカンなのか!?
「どうしましたー? ケンジさん、アレってなんですかー?」
「うっ、うう……何でも無いです」
「ええー、気になりますー!」
「た、大したことじゃないんです……!」
いや、大したことなのだが。
しかし、プロポーズの経緯を後から説明するなんて、かっこ悪くて出来やしない!
想像しただけで、顔から火が吹きそう……。
「ああ、なんてことだ……」
俺は肩を落としつつ、作業を再開すべくその場を後にした。
アリサさんが、やれやれと肩をすくめながらついてくる。
「ふふっ……まあこれで『おあいこ』ね」
「それ、どういう意味です?」
「教えなーいっ」
「……ええー?」
まるで、女性にしかわからない秘密のようであった。
悪戯な顔でからかってくるアリサさんに、俺はそれ以上の追求をする気を起こせなかった。
スミレさんは庭の様子が気になったようで、やがてアトリエの周囲を歩き始めた。
クリストさんも、それにチョロチョロとついていく。
――トントン、カンカン。
憂鬱な気持ちを振り払うようにして木槌を振るう。
スミレさんは大事なことを覚えてないし、病気の原因もわからない……。
全くもって前途多難だ。
(しかし……!)
俺は無限の生命力を持つ草。
どんなに踏まれても、刈られても。
しっかりと大地に根を張って生きていく!
スミレさんに、アリサさんに、ビアナさん。
うっかりニューハーフエルフにしてしまったクリスト君。
そして、まだ見ぬ森の仲間達とともに。
この世界で、逞しく生きていくんだ!
そしていつの日か、この世界を苦しみから救ってみせる!
「あらケンジさんの草に、変わった虫が……」
「あまり見ない虫ですね……」
「ん?」
虫除け草である俺に虫がつくなど、変わった虫もいるものだな。
――ブーン。
「うわっ?」
しかもこっちに飛んできて、俺の手の甲にピタッと止まる。
カブトムシように黒く、カナブンのように可愛らしい虫だ。
こんな虫、いたんだな……。
――キノッ……コォ。
「ん?」
今なにか聞こえたような?
キノコ?
そう言えば、キノコとカビってどっちも真菌で、分類学的にはまるで同じだって言う話だが……。
「まさか……」
あの闇キノコが変異したものが、例の奇病の正体だったりして。
そして、この妙に俺になつく黒いカナブンを宿主としているとすれば……。
「……むっ!?」
実は俺が、奇病を流行らせた犯人ってことにならんか?
エルフさんを、俺なしでは生きられない身体にしたのは、他ならぬ俺!?
「い、いやいや……」
流石に考えすぎだろうよ……。
――ブーン。
しばらく手の甲でもぞもぞしていた虫は、やがて何処かへと飛んでいった。
そして俺は、それ以上深く考えることをやめる。
「さっきから、なにブツブツ言っているの?」
「あ、いえ……何でも!」
何事も、慌てる必要などないのだからな!
俺はアリサさんと大工仕事しつつ、改めてこの地で生きていくことを誓った。
覚醒編
完!
病気は嫌だと願ったら『やくそう』に転生してしまった! 〜実は最強で生命力も無限だけど、早く普遍化して平和に暮らしたいです〜 ナナハシ @inu-x
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