第29話 実は最強


 気絶したクリスト氏を抱えて家に入る。

 アリサさんは、ベッドの上の毛皮を全て片付ける。


「服を脱がせて」

「はい」


 女子化して随分と軽くなった彼をベッドの上に置き、着ている服を全部脱がせる。

 胸には小ぶりながらも乳房が出来ており、上半身だけを見れば女性にしか見えない。

 だが下半身に目を向ければ、そこには男性の証がまだ残っている。


「少し腰を持ち上げて」

「う……はい」


 その男子の証の下に、まな板くらいの大きさの板を敷く。

 思わず股間が『ヒュンッ!』となってしまう。


 そう、今から行うのは去勢手術なのだ。


「じゃあ、やるわよ?」

「ごくり……」


 一振りのナイフを取り出すアリサさん。

 俺は治療用の葉っぱを握りつつ、その一部始終を、固唾を飲んで見守った。



 * * *



「ふう……」


 ベッドの上で眠る『ニューハーフエルフ』を眺めつつ、俺はため息をついた。

 いかにエルフ族そのものを犯そうとしていたド淫乱とは言え、同じ男として同情を禁じ得ない。

 ハーフエルフを群れに受け入れざるを得なくなった時は、去勢手術を行う。

 それが純血主義のエルフ社会における、一般的な慣習なのだった。


 エルフが人間に恋をすることはまず無いが、望まぬ妊娠をしてしまうことはありえる。

 また、人の社会で発生したハーフエルフが、エルフの里に戻りたいと願うケースもある。

 今回のケースはかなり特殊だが、クリスト氏は人間界における重要人物。

 みすみす殺してしまうには惜しいところがあり、そこでひとまず、去勢処置を行って様子を見ることにした次第だ。


「すう……すう……」


 寝顔を見る限りは、本当にただの可愛らしい少女。

 元に戻れぬ体になったことを知った時、果たしてどのような行動に及ぶのか。

 それは目覚めてみないとわからないのだが……。


――キィ……パタン。


 アリサさんが帰ってきた。

 クリスト氏の『形見』を、連れの人達に渡しに行っていたのだ。


「ただいま」

「おかえりなさい、どうでした?」

「うん……アレを見せたら、みなさん真っ青になっていたわ」

「ううっ……!」


 アレ……とは、摘出した陰嚢のことである。

 アリサさんはそれを、彼の剣とともに持っていったのだ。


「これで少しは、不埒な輩が減ってくれたら良いのだけど……」

「ひいぃ……」


 そりゃビビリますって!

 エルフ強すぎ、そして怖すぎ。

 その衝撃は計り知れないものだったに違いない。

 俺は改めて、股間をヒュンッとさせた。


「さてと……」


 アリサさんはベッドの上に腰を下ろす。

 そしてシーツをめくり上げて摘出後の患部を確認する。

 俺の力で治したから、すでに傷跡もなく、綺麗さっぱり玉無し竿有りの状態になっている。


「どう出るかしらね」


 怒り狂って暴れるか、それとも絶望に打ちひしがれて何も出来なくなるか。

 さてはて。

 それは目覚めてのお楽しみだ……。



 * * *



「ううん……」


 半刻ほどして、彼は目を覚ました。


 武器も魔力石も奪われ、さらには女性化して筋力が落ちた今は、もはや恐れるに足りぬ相手。

 俺とアリサさんは、丸腰のままその第一声に耳を傾ける。


「い、生きている……?」


 どうやら、本当に殺されると思っていたようだ。

 命乞いも特にしなかったし、負けたら死ぬという覚悟は出来ていたのだろう。

 そのあたりは大したものだ……。

 人間界に未練とか、無かったのだろうか?


「いいえ、遺伝子としての貴方は死んだわ」

「えっ……?」


 言われて彼は、己の胸元をまさぐる。

 女体化していることは明らか。

 しかし肝心なのはそこではない。

 やがてそのことに思い至ったのか、シーツをめくって重要な部分を確認した。


「…………」


 そしてしばし、無言で固まっていた。


「鏡は……ありますか?」


 やがてまくっていたシーツを戻すと、彼は開口一番にそう聞いてきた。

 予想していたほど取り乱していない。

 そんなに容姿が気になるのだろうか?

 アリサさんは黙って頷くと、近くの棚から手鏡を取り出す。


「ああ……」


 その手鏡を片手に、自らの頬をさすって嘆息をもらすクリスト氏。

 どこかうっとりとした表情で、まんざらでもない様子だが……。


「これが……私」


 しばし鏡を見つめ、己の肌の感触を確かめつつ言う。

 もともと女性的な顔立ちだったが、もう完全に男の娘だ。


「そうか……始めからこうすれば良かったんだ」

「え……?」

「むむ……?」


 意味深ことを呟きながら、クリスト氏は鏡を返してきた。

 始めからこうすれば良かった?

 男としては最悪の状況だと思うのだが、一体何が良かったと言うのか。


「自らを去勢した上で近づけば、無用な争いをすることも無かった……」


 そ、そうきたか……。

 金玉をちょん切られたというのに、この落ち着きっぷりは凄い。

 いやむしろ、ちょん切られたから落ち着いているのか?


 口にした言葉から察するに、そもそも繁殖が目当てでは無かったようだが。


「あなた、遺伝的にエルフを侵略しようとしていたのではないの? 洗脳を施してまで、我が物にしたかったのでしょうに……」

「ううん……そうですね。そのような欲望を胸に秘めていた気もしますが、今となっては、どうでも良いことに思えるのです……」


 な、なんと。

 女体化したことで、性格まで変化してしまったのかっ?


「それに……仮にアリサさまの体に私の子を宿すことに成功したとしても、その子はいずれ確実に去勢されてしまうのでしょう。私とて、全てのエルフを洗脳出来るとは思っていませんでしたし……」

「もちろんそうね。一族総出で、血の浄化に務めるでしょう」

「はい……私はただ、この身の内で荒ぶる欲望を抑えきれず、あなたに近づいたのです。子を成すことには、それほどの執着はなかったのかも……」

「う、ううん……? 交わりはしたかったけど、子は要らなかったってこと?」

「おお……!」


 そうか分かったぞ!

 アリサさんは首を傾げているがな。


 これはいわゆる一つの、賢者タイムだ!

 俺によって体内ホルモンを乱され、金玉まで失ってしまったクリストさんは、すっかり賢者になってしまったのだ。

 つまりはもう、完全に別人である!


「それよりも今はただ、純粋にエルフの森で暮らしたいです。このような姿で人の世に戻れば、一体どんな辱めを受けるかわかりません……」


 と言ってクリストさんは、不安げな顔でシーツを手繰り寄せた。


「そ、そうなんだ……」

「おおお……」


 な、なんということだ。

 俺は恐らくは、治療対象の性格まで変えてしまえるのだ。


 ならば是非とも、俺は世界に蔓延るべきだろう。

 そしていつか必ず、この地から不毛な争いをなくすのだ!


「と、ところで」


 そこで俺は、少し気になったことを聞いてみる。


「今のクリストさんは、男性と女性、どっちに興味があるんです……?」


 身体の中が花だらけになってしまった彼は、精神的には一体どちらの性別になってしまっているのか。


「そ、それは……」


 するとクリストさんは、どこか恥ずかしげに俺とアリサさんを見比べた。

 そして。


「ど……どっちも素敵かな……って」


 と言って、顔をシーツで隠しつつモジモジとした!

 性的傾向まで変質させてしまうとは……。

 俺は改めて、自分自身の力が恐ろしいと思った。


「じゃあ、私からも質問。なぜ貴方は、ここに怪しげな病気を持ち込んだりしたの?」

「えっ……?」


 だがそこで、クリスト氏は眉をひそめた。

 まるで心当たりが無いようだ。


「怪しげな病気? それは……アリサさまが罹ったという風邪のことですか?」

「ええ。大昔に海の向こうの大陸で、エルフ族を全滅に追いやった流行病……てっきり私は、それを貴方がどこかで手に入れたのだと思ったのだけど」

「そ、そんなことは……!」


 さも心外であるかのように顔色を変えるクリストさん。

 どうやら演技では無いようだな。


「思っても見なかったことです! そんな奇病があるとも知りませんでしたし、仮に私がそんな病原菌を入手したとして、私自身もまた、その奇病に罹患してしまうのですよ? それに全滅って……ならばどうやってアリサさまは助かったのです?」

「そ、それは……」


 と言って、俺の方をチラリと見てくるアリサさん。


「後で話すわ……とにかく、貴方が病気を持ち込んだわけではないのね?」

「はい、断じてそのようなことはありません!」


 恐らくは、彼の言っていることは本当なのだろう。

 考えてもみれば、例の病原菌は彼にとっても致命的なもの。

 それを知って手を出すことなど無いし、知らなければ尚更だ。


 ふーむ……完全に、俺とアリサさんの早とちりであったか。

 ならば真の犯人は一体……。


「じゃあ、なんだったの……あの病気?」


 そういう言う話になるよな。


「ここ最近で、アリサさまのアトリエを訪れた者は他にいないのですか? 特に人間……。人間ならば、そのエルフ特有の病気とやらに罹患しにくいかもしれません。エルフを絶滅させたいと願っている者がいることは、この前にもお話した通り……」

「いいえ、ヒト族との接触はないわ。リミリーの里には何度か足を運んだけど、そちらでも、ここ最近ヒト族と関わったという話はない……」


 つまり、謎は深まるばかり……か。

 突然、空から降ってきたとでも言うのだろうか?


「ひとまず貴方には、今しばらくここに居てもらうわ。例の病原菌が完全に消えたとわかるまで、エルフの里に近づけることは出来ないし」

「ええ、それは是非もないことです」

「ううーむ……」


 こうして、事件の真相はさらに深まっていくのだった。


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