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第2話 文章はそれ自体が最小単位への応援コメント
確かに一理ある。たしかこう言う考え方を全体論、と言うんじゃなかったかな……
第1話 論理「的」な説明への応援コメント
まあ、そもそも論理というもの自体が「非」論理的ですからね。
第22話 通用する社会に変えるへの応援コメント
考え方に共感します!
今の社会が全てではないですよね!
作者からの返信
なんだか大袈裟なことを書いてしまいましたが、的外れではないと思います。結局は、新しいことは嫌だ、つまり、余計なエネルギーを使いたくない、ということだと思いますが、そんなことを言っていては進歩はありませんので。
このエッセイが少しでも良い影響を与えられていたら良いですが……。
第21話 生きるか死ぬかへの応援コメント
生と死は複雑そうで単純かもしれませんね。
作者からの返信
そうかもしれません。
あ、ちなみに、今思いついたのですが、「生きている」と「死んでいる」の「ている」というのは、別の意味を表しているのかもしれません。前者は動きとしての継続として捉えることもできるが、後者は明らかに状態としての継続ですね。
第20話 スマートにスマートフォンを使う人への応援コメント
web小説も似ていますかね。
作者からの返信
大分前の内容で、何を書いたか覚えていないんですが……。
タイトルから察するに、スマートフォンをネットサーフィンや暇潰しだけに使うなよ、ということでしょうか。
僕のスマートフォンには主要なアプリしか入っていません。電話とサーチとメールくらい。これは別の意味でスマートですね笑。
第19話 生きたい?への応援コメント
生物学的に定義は可能かもしれませんが「生きる」って難しいですね…。
作者からの返信
そう考えている間も確かに生きているのだから、殊更不思議です。一度、そういうところまで考えすぎて、精神をおかしくしかけたことがあるので、要注意です笑。
第18話 ゲームも現実も変わらないへの応援コメント
ゲームも1つの現実ですよね…。
今年もよろしくお願い致します。
作者からの返信
ですよね現実1つのゲームも…。
こちらこそ、よろしくお願いします(読めという催促ではありません)。
第239話 日本語と英語はそこまで違う?への応援コメント
こんにちは!
日本語と英語の一番の違いは、修飾の方向にあると思います。
日本語は、「机の→上の→もの」、英語は「something ← on ← the table」
これは言語をイメージ化する時に、「描く順番が変わる」ことになり、英語を学習する上で越えなければいけない壁・・・のような気がしますが、どうでしょうか^^
作者からの返信
こんにちは。
まさにその通りだと思います。英語では前置詞を使うのに、日本語では(言ってみれば)後置詞を使うという違いですね。この前置詞、後置詞の違いが、修飾の方向の違いに繋がっているのだと思います。
ほかにも修飾関係のものとして、英語には関係代名詞があるけれど、日本語にはないという違いもありますね。しかしこれは、たとえば「The man 〈who lives in America〉」は「〈アメリカに住んでいる〉男の人」と訳せるため、日本語にも関係代名詞と同じ役割を持つ構文があると考えることもできると思います。
こんなふうに抽象化してしまえば、大した違いはないんじゃないの、と自分は考えるようにしています。じゃないと、難しくてとても他言語の勉強なんてできないので笑。
巧みなコメントありがとうございます。お仕事頑張って下さい(僕はこれからゲームをしようと思います)。
第12話 時間は本当に存在するのか?への応援コメント
相対性理論では時間は速くなったりゆっくりになったりしますね…。
作者からの返信
時間がゆっくりになっているというのも、不思議な表現の仕方ですよね。実際には、光という物質(?)の速度に近づく、つまり人間が本来体験できない速度で移動する、という意味ですから……。
第7話 感情的な判断に従うへの応援コメント
ちなみに僕は理性と感情は本質的に同一であると思っています…。
(大学時代哲学の講義でそんなことを言ったら怒られました。笑)
作者からの返信
まあそうかもしれません。分類した方が分かりやすいというだけで、本来はそんなふうに境界線がはっきりしているわけではないし、実在もしない、外から観察できる素振りに無理矢理種類をつけているようなものですから……。生物学的には、扁桃体のはたらきによって感情的な判断が、それに被さる前頭葉によって理性的な判断が……、みたいな説明をするのでしょうが……。
第5話 感謝は本当に必要か?への応援コメント
なかなかとんがってますね…。笑
でも何となく分かります!
別コメ失礼しますが、難しい、表現の問題です!
作者からの返信
申し訳ないです。冗談のつもりなので、気にしなくて良いです笑。
第28話 働きすぎは低能への応援コメント
一人の人が「やり過ぎる」と、いつの間にかそれが「標準」化してしまう。その愚かな繰り返しがこの国を作っているような気がします。
アジアの人たちと出会って、かれらの遊び(=人生の楽しみ方)上手さと、そこにいる人を分け隔てなく包みこみながら盛り上がりをつくっていく(≠体育会系のノリ)温かさに触れて、豊かな生き方って何だろうと考えさせられています。
作者からの返信
随分と昔の投稿にコメントをありがとう。
豊かな生き方について考えられるのは、豊かであることの証拠かもしれません。この投稿の立場に立って言えば、そういうことについて考えるのもほどほどに、ということになるのかもしれません。