122 ナゼール王国アルムストレイム教神殿にて
王宮から戻ってきたイグナートは神殿に戻ると、豪奢なソファにドッカリと座る。
「司教、王宮の方は如何でしたか?」
イグナートの世話役、ネリーが帰ってきた司教に淹れたてのお茶を渡しながら問いかける。イグナートはお茶を受け取ると一気に飲み干し、乱暴にカップをソーサーの上へと戻した。
「……全く、話にならぬわ! 再三、ヴァシレフの身柄を引き取りたいと申し出ておるというのに……!」
王国でアードラー伯爵──元ヴァシレフが捕らえられたと云う情報は神殿内部に瞬く間に広がった。しかもヴァシレフが牛耳っていた裏の犯罪組織ごと捕らえられたと云う。
処刑されたはずの元法国の諜報員が実は生きていて、しかも犯罪組織を操り悪事を働いていたその衝撃の事実に、王国内はもちろん獣王国からも法国は強い批判を受けている。
法国から正式に出した声明が、実際は虚偽であったと世界中に露見してしまったのだ。そうなれば勿論、世界各国からの法国への信用はガタ落ちだ。
しかしナゼール王国以外のアルムストレイム教を国教にしている国々へは、神殿が総力を上げて情報統制を行っており、それ以外の国々でも神殿が事態収束の為に動いたので、後は早急にこの事件を解決すれば、まだ法国の地位はかろうじて保たれる筈だ、と法国の上層部は考えていた。
そしてヴァシレフの身柄を引き渡させようと再三、王宮へ働きかけているのだが、肝心の王国からは引き渡しを頑なに拒否され続けている。
それは今まで法国に従順だった王国とは思えない対応だったため、法国上層部はかなり戸惑った。今までの王国であれば、法国の思い通りに動いていた筈なのに、と。
そんな法国へ追い打ちをかけるように、獣王国からかなり強いヴァシレフの身柄引き渡し要求が出されてしまう。このままでは戦争も辞さない勢いの獣王国に、法国は更に頭を悩ませる事態となっている。
「司教であるこの私自ら王宮へ出向いてやっているというのに……王国は至上神への信仰心が薄らいでしまったのであろうな……嘆かわしい事だ」
「それはやはり帝国の皇太子が王国に何か助言でもしているのかもしれませんね」
ヴァシレフが引き起こした一連の出来事は王国内で起こった出来事だった。それなのに何時の間にか帝国が介入し、しかも皇太子自らヴァシレフを捕縛したと云う。
「……うむ。しかしどうして奴がヴァシレフの事を暴くことが出来たのかそれがわからぬのだ。上級裁判を傍聴した貴族の話では、帝国の宮廷魔道具師をヴァシレフが拐かした為だと言っておったがな。……それにしてもタイミングが良過ぎるのだよ。まるで以前からヴァシレフの事を探っていたかの様ではないか」
帝国の宮廷魔道具師が拐われた次の日にはもうヴァシレフが捕らえられていた、と云う事がイグナートを悩ませていた。宮廷魔道具師が拐われてからの到着があまりにも早すぎるのだ。それはまるで以前から「何か」を探していたかのような──。
「……そう言えば、その宮廷魔道具師の他にももう一人拐われた少女がいたな。確か……」
そこでイグナートは思い出す。先程王宮内で出会ったウォード侯爵とその娘、ユーフェミア。そのユーフェミアがヴァシレフに拐われた本人であった事に。
「先程のユーフェミアと云う娘をヴァシレフが拐った……? なぜあんな娘を……?」
イグナートから見たユーフェミアは、化粧が厚すぎて素顔の判別が付きにくい令嬢であった。そして全体的にのっぺりとしており、正直全く印象に残っていない。
そんな娘をなぜヴァシレフは拐ったのか……?
「そのユーフェミアと云う娘の属性はご覧になられたのですか?」
ネリーの質問に、イグナートはユーフェミアを<解析>した時の事を思い返す。王国の侯爵家令嬢が珍しい四属性を持っていると云うのは知っていた。だが稀に属性が変化する者が現れるので、イグナートは人に会う度に<解析>していたのだが……。
「ああ、噂には聞いていたが、確かに四属性を持っておったな。しかし魔力が随分と少なかった。聖属性を持っていればともかく、あれでは大して役に立つまいて……いや、待てよ……」
イグナートはヴァシレフの罪状の一つに公文書偽造罪があった事を思い出す。
「ヴァシレフが婚姻届を偽造したとも言っておったな。わざわざあの様な娘と婚姻とは……ヴァシレフの趣味も随分と変わったものだ」
「もう王国ではめぼしい娘と婚姻出来なかったのでは? 『アードラー伯爵』の評判は散々でしたから」
「うむ。それもそうか……」
ネリーとの会話もあり、イグナートはヴァシレフがユーフェミアと婚姻を結ぶために彼女を拐ったのだろう、と思い至る。きっと婚姻を嫌がったユーフェミアを無理やり自分の物にするつもりだったのだろう。ヴァシレフはそんな嗜虐性を持つ人物だ。
「しかしヴァシレフの後任を早急に探さねばなるまいて。そうなると司教聖省に候補者の照会せねばならぬな。難儀な事だ。」
法国は王国の貴族の中でも熱心なアルムストレイム教徒に王宮内の情報をさり気なく流させている。それでも情報は限られてしまう為、貴族の中に法国の人間を送り込んでいる。ある時は養子に、ある時は配偶者に──。
王国の要所要所に法国の息がかかった人間を配置しているものの、ヴァシレフ──アードラー伯爵は性癖こそ問題があったが、それ以外は非常に優秀であった。何せ王国の中枢機関である元老院に顔を利かせていたのだから。
「こうなるとヴァシレフの失脚は手痛いな。奴ほど王国の中枢に潜り込んだ者はおらぬというのに、忌々しい『異界の忌み子』め……! 異界の血を引く存在と云うだけでも許容出来ぬのに、余計な真似をしおって! 全く以て汚らわしい……!」
現在の法国は、表立っての純血主義は鳴りを潜め、亜人達に対しても許容し受け入れていく流れになっているものの、未だに純血主義者は多く、上位聖職者になるほどその傾向が強い。その点、既に故人ではあるが、ウォーレン大司教はかなり珍しい部類に入る人物だった。
イグナートはどうすればヴァシレフの身柄を引き渡させる事が出来るかを思案する。
(帝国の『忌み子』をどうにか出来ぬものか……。しかし奴の能力は未知数で計り知れんからな。下手をするとこの大陸最強やもしれぬ。私が動かせる騎士団のレベルでは返り討ちに遭うのは目に見えておるしな。……であれば、暗部の中でも悪逆無道と云われている『八虐の使徒』なら或いは……だがアレを発動させるには聖座の使用許可を得ねばならぬ……ならば……)
「ネリー、使徒座に『異界の忌み子』を神去らす為の申し入れを」
「……! ……承知致しました」
司教であるイグナートには上位の騎士団を動かせるほどの権限はない。しかし緊急を要する場合や法国にとって不利益になるような問題が発生した場合の措置として、その様な者でも使徒座に訴え、必要と認められれば強権を発動できる。
ヴァシレフは法国の暗部に所属していた人間だ。本来ならば、他国に情報を漏らす前に口封じするところではあるが、ヴァシレフはあれでも法国にとっては必要な闇魔法の使い手で、優秀な術者でもあるためそれも難しい。しかも今は帝国の飛竜師団がその身柄を預かっているという。そうなるとイグナートの権限から大きく外れるため手出しが出来ない。その為にイグナートは飛竜師団に対抗でき得る戦力を法国から呼び寄せ、ヴァシレフの奪還を目論んだのだ。
使徒座からの返答待ちではあるが、イグナートの申し入れは受理されるだろう。法国の上層部は常日頃から帝国を目の敵にしている。その帝国の皇太子が精鋭とは言え、少ない人員で帝国から出国している今が皇太子暗殺のまたとない機会だろう。
帝国の件はこれで良いとして、次は王国だ。ここ最近の王国の法国に対する態度は目に余る。そんな生意気な王国にはきつくお灸を据えてやらねばならない。
「誰か王国を憎んでいる人間はおらぬものか……」
イグナートは勿論の事、法国の人間が直接手を出す訳にもいかないので、法国とはなるべく無関係な人間を選ぶ必要がある。しかし比較的善政を敷いている王国内で王族に恨みを持つ者などほぼ皆無だろう──そう、つい先日までは。
「あの『忌み子』に断罪され、国王に厳罰を与えられた奴らなら──元、元老院の人間……いや、もっと適材がいたな」
<魅了>を暴かれ、女としての尊厳を踏みにじられた、哀れな侯爵家令嬢──グリンダ・ウォード・アールグレーン。
彼女であれば、きっとあの『忌み子』と王族を憎んている筈。復讐をチラつかせれば、きっと法国の役に立ってくれるに違いない。イグナートはそう判断し、如何にしてグリンダを上手く利用出来るか思案する。
「かの令嬢の収監先がエルヴァスティ修道院とは、何たる僥倖。これは至上神様のお導きかもしれぬな……」
イグナートは自身が信仰する偉大な神──この世界を作り上げたと云う、唯一無二の絶対神である至上神に、感謝の祈りを捧げるのであった。
* * * あとがき * * *
お読みいただきありがとうございました。
不穏な空気再びです。ちなみに法国上層部のお話はだいぶ先(135話以降)になります。
次のお話は
「123 ぬりかべ令嬢、連れ込まれる。1」です。
どうぞよろしくお願い致します。
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次回から隔日更新を試してみようと思ってます。更新多い分、ちょっと文字数は減ってしまいますが……。(;´Д`)
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「ぬりかべ令嬢」共々、どうぞよろしくお願いいたします。
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