第3話 自転車泥棒
1950年のイタリア映画です。
名作というものは、時に実にシンプルな場合があると思う。
しかしそのシンプルな作りの中に、多くの魅力と、そして真実がしっかりと描かれている。そういう作品に何度か出会ったことがある。
この「自転車泥棒」も、自転車探しというひとつのベクトルによって物語が進むという点においては実にシンプルな映画だと思う。しかし観る者に深い感動を与えるという点において、やはり並大抵の作品ではない。
主人公は妻と幼い子(6、7歳といったところか)を抱えているが、長い失業生活の後にやっと街角に映画のポスターを貼って回るという仕事にありつく。
その仕事のためには自転車が必要だつたので、質入れしていた自分の自転車を、妻のとっておきのシーツと引き換えに請け出し、早速その自転車に乗ってポスター貼りの仕事に出かける。
ところが、ちょっと油断した隙に、若い男に自転車を盗まれてしまう。
せっかくありついた仕事ができない。この日から、子供を連れて、自転車を探す日々が始まる。
この過程に、わが子といさかいをおこしたり、仲直りのつもりで入ったレストランでピザをぱくつく豊かそうな家族を見かけたり、ついつい占い師に頼ったりと様々な事があるのだが、話は自転車探しという1つの筋に沿って進行していくあくまでシンプルな作りである。
そしてもう一息で犯人らしき男を捕まえられそうになった時、逆にその仲間たちに取り囲まれてしまい、子供が連れてきた巡査に頼んでも証拠がなくては話にならないと言われ、主人公はどんどん精神的に追い詰められてゆく。
そんな時、子供とサッカー競技場の前を通ると、物凄い数の観客たちの自転車がそこに置かれている。
妻と子を抱え、いよいよ困窮した主人公はどうするかー。そう、彼は子供に先に帰るよう言い、暫し逡巡したあと、1台の自転車に飛び乗るのである。
しかし、こういう時に限って運悪く何人もの人に追いかけられ、捕まえられてしまうのだ。
しかも子供は帰ってなかった。ドロボー呼ばわりされて小突き回される父の手を取り、泣くのである。
それを見た自転車の持ち主は許してくれた。しかし親子がどんなキズを負ったか、わざわざ言及するまでもないだろう。
シンプルな話である。
時に名作は、とてもシンプルな場合があると思う。
そしてこの話、今の日本で起こっても少しもおかしくないところが、実に恐いと思うのだ。
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