第2話 太陽がいっぱい


1959年 フランス映画です。


まず言えば、これほど何から何まで美しい映画は稀だろうということ、しかもこれは殺人の映画なのだということだ。

人を、殺すのである。それも2人も。


主人公の貧しい青年トムを演じるのは、当時24歳のアラン・ドロン。恐るべき美貌である。

そしてそのトムの友人フィリィップをモーリス・ロネ、フィリィップの恋人マルジュをマリー・ラフォレが演じているが、この2人も実に美貌である。


トムは、ヨットで地中海で遊び回るフィリィップをアメリカに連れ戻せば、彼の父親から多大な報酬を受け取る約束になっている。


しかし、トムはフィリィップやマルジュと一緒に遊び回るうち、自分を蔑むフィリィップを殺し、何もかも手に入れてやろうと思うようになる。


トムはヨットの上でフィリィップの胸にナイフを突き立て、死体を海に捨てるとフィリィップのサインを真似、声まで真似てフィリィップになりすます。


トムは自分の行動を怪しんだフィリィップの友人フレディまで殴り殺し、なんとか警察もごまかし、ついには美しいマルジュも手に入れて、全財産をマルジュに譲るというフィリィップの遺書を偽造し、と、こうしたサスペンスがこの映画の見所なのだ、が、しかし、この映画の本当の魅力はそのサスペンスだけではない。


美しい地中海や、イタリアの街や市場の情景なども主役の1つだし、なんと言っても、ニーノ・ロータという作曲家の、甘美な、どこか愁いをたたえた不朽の名曲があってこそ、この映画は大成功したのだと思う。


「太陽がいっぱい」とは、つくづくいい題名をつけたものだと思う。この映画の構成要素全てに、太陽のような眩しさが溢れている。


主役のアラン・ドロンを「恐るべき美貌」と書いたが、恐るべきというのは、彼が長年右に出る者がいない2枚目俳優として活躍できたのは、まさにこの時の美貌あってこそと思うからである。

「太陽がいっぱい」がなかったら、「アラン・ドロン」という大スターもいなかったかもしれない。


「太陽がいっぱい」はサスペンス映画である。しかし、それ以上に観客の心をとろけさせる甘い魅力に満ちていた。


そういう映画もあったということだ。

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