第24話 放課後、空いてますか

 三時間目が始まっても、朝から降り続く雨は止んでいなかった。教室のガラス窓からは立ち込める灰色の雲が見え、気持ちをどんよりとさせる。

 おまけに、始まるはずだった日本史の授業は自習になった。職員室へ聞きに行った男子曰く、先生は体調不良だそうだ。急な休みだったせいか、課題のプリントなどはなし。各々、適当に時間を過ごすことになった。

 真面目に教科書を開いている者もいれば、直人みたいに居眠りする者もちらほら。後は雑談を始めたり、スマホでソシャゲとか。

 で、僕は駅前にある書店の紙カバーをかけた文庫本を読んでいる。中身は「黒の境界線」の二巻。昨日、みゆりが貸してくれたものだ。

 ページをめくったところで、不意にスマホが震えたので、取り出してみた。

「みゆり?」

 見れば、SNSでみゆりからメッセージが届いていた。時間から考えて、向こうは授業中のはず。そんなことする余裕があるのだろうか。

「読みましたか」

 淡々そうな言葉に、僕は、「黒の境界線?」と返事をする。

「そうです」

「二巻?」

「じゃなきゃ、何だっていうんですか」

「ごめん」

「謝らなくていいです」

「それで、読んだんですか」

「今読んでる途中」

「授業中ですよね」

「そっちもだよね?」

「わたしは保健室で寝てるので、大丈夫です」

 みゆりのメッセージに、僕はスマホを操る手を止めてしまう。文庫本はしおりを挟んで、閉じていた。みゆりは昨日、学校を休んでいる。「みゆりの気持ちを尊重してほしい」と話していた兄の直人。色々なことが脳裏によぎった。

「スマホ、没収されましたか」

 間が空いたことを気にしたのか、みゆりが反応をする。

「いや、今は自習だから」

「そうですか」

「だから、スマホいじってても平気なんですね」

「いや、そっちは保健室でも先生とかいるんじゃ」

「いないです」

「外で時間潰してるみたいです」

「それ、サボりなんじゃ」

「おかげで、気楽に寝られます」

 みゆりのメッセージは自慢げに満ちた言葉のようだけど、羨ましくはなかった。

「みゆりは」

「体調悪いの?」

 僕が思い切って質問を投げてみたところ、途端に更新が止まってしまった。既読にはなっているので、目にはしているはずだ。

「まずかったかな……」

 僕は小声をこぼし、おもむろに周りへ視線を動かす。

 教室内は相変わらずで、覗きにやってくる他の先生はまだいない。直人に至っては、先ほどと変わらず、居眠りを続けている。

 と、みゆりのSNSに返事があった。

「放課後、空いてますか」

「別に、空いてるけど」

「体調は別に悪くないです」

「お兄ちゃんには内緒で、話をしたいです」

 みゆりのメッセージに、僕は思わず、机に突っ伏して寝る直人を見てしまった。

 直人に秘密で、どういう話を聞かされるんだ。

 今までになかったみゆりの接し方に、僕は戸惑いを隠せなかった。自分の質問を流されたことを気にする余裕もなく。

「直人には内緒で?」

「はい」

「それ、僕が聞いていい話?」

「お兄ちゃんには心配をかけたくないからです」

 みゆりの言葉に、僕は試されているのではないかと思い始めた。ちゃんと耳を傾けてくれるかどうかを。軽い気持ちでいたら、みゆりに必ず見透かされそうだ。

「わかった。どこか適当なカフェで」

「わかりました」

「場所は透先輩にお任せします」

「わかった」

 僕が返事をすると、既読になってからは反応がなくなった。後は僕が駅前にあるカフェの場所でも送れば問題ないだろう。

 とりあえず、スマホは一旦しまい、僕は途中だった文庫本を再び読み始める。

「おっ。『黒の境界線』二巻か?」

「な、直人?」

 見れば、僕の席まで、先ほどまで寝ていたはずの直人が歩み寄ってきていた。欠伸を催しつつ、僕の両肩に腕を巻きつかせてくる。

「今、どこまで読んだんだ?」

「まあ、その、一巻で死んだと思っていたストーカーが現れたところかな」

「そこか。そいつ、その後さ、ヒロインの友達殺すんだよな」

「えっ? そうなの?」

「あっ、悪い。つい、ネタバレしちまった」

「別にいいよ。何か奢ってくれるなら。照り焼きチキンパン追加で計三個で」

「まるで、借金だな。まあ、いいけどさ」

 直人はため息をつくと、僕から腕をほどいた。で、机へ置いたままにしていたスマホの方へ視線を向ける。

「もしかして、みゆりからメッセージでもあったか?」

「いや、別に」

「そうか。俺はさっき見たら、何か来てたな。『今日は寄るところがあるので、先に帰ってて』っさ」

 直人は自分のスマホを片手に見つつ、口にする。多分、僕とのやり取りを終えてからだろう。もしかして、そのメッセージの受信とかでスマホが震えたとかで起きたのか。

「にしても、雨止まないな。こういう天気だとさ、何もやる気が起きなくなるな」

「そうだね」

「というよりさ、透は昨日徹夜だったんだろ? 眠くないのか?」

「眠いけど、何だろう。小説を書くことやこの、『黒の境界線』の続きが気になったりして、寝るのがもったないっていうか……」

「ああ、そういえば、さっきの数学はうたた寝してたもんな」

「そう言う直人はさっきと同じで居眠りしてて、先生に当てられたよね?」

「まあな」

 直人は頭を掻きつつ、再び欠伸をする。

「透さ」

「何?」

「もし、みゆりから何か相談受けたら、まあ、透なら、大丈夫だと思うけどさ、真剣に向き直ってほしい」

「それはもちろん」

「兄の親友として、よろしくな」

 直人は言うなり、僕の肩を軽く叩いた後、席に戻っていった。で、机に突っ伏して、再び眠りこけてしまう。

「直人、もしかして、気づいてる?」

 声をこぼしてみるも、実際はわからない。本人に聞こうにも、みゆりから、「お兄ちゃんには内緒で、話をしたいです」と頼まれている。約束を破るようなことはできない。

 僕は文庫本を閉じると、再びスマホを手に取り、みゆりと会うカフェの場所を調べ始めた。

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